96

フィフスセクターが革命派に対し強行手段を取ったことが判明した翌日。
天馬はあれから何があったのかは分からないが、ひとまず廃校のショックからは立ち直ったらしい。
正しさを求めた結果が廃校であるなど、恐ろしいことだ。だが、それ以上に許してはならない暴挙である。いくら恐怖に足がすくんだとしても、革命の中心である自分たちが今さら立ち止まることは出来ない。
それでも、いつもと変わらぬ笑顔で部活に訪れた天馬に、仲間たちは密やかに安堵した。普段から笑顔と元気を周りに振り撒く彼が落ち込めば、彼らも落ち着かないのだ。

──ただ、それと入れ替わりに。

「──なぁ、信助何かあったの?」
「うーん……」

ボールを小脇に抱え、葵からドリンクを受け取った依織はそのまま顔を彼女の方に寄せそっと尋ねる。
昨日まで元気だったはずの信助は、今日は部活が始まった時からどこか物憂げで上の空だ。葵は困ったような顔をして、周りに聞こえないように依織に耳打ちした。

「さっき天馬にも伝えたんだけど……信助、昨日の帰りに三国さんから、本格的にキーパーを目指さないかって誘われたの」
「三国先輩から?」

目を眇め、依織はゴール前で屈伸している三国を見やる。
前回の幻影学園戦で信助をキーパーに推したのは三国だと聞いた。きっと信助のプレーにキーパーとしての可能性を感じ取ったのだろう。実際、彼は幻影学園のシュートを止めて見せたのだから。
今の雷門イレブンには彼以外キーパーはいない。後継者を育てるという意味でも控え選手を用意するという意味でも、三国の案は良案と言えるが──

「でも、信助もずっとフィールドプレイヤーとしてやってきたらしいから……きっと不安なんだと思う」
「……まあ、だろうな」

信助の気持ちは分からないでもない。依織だって、突然FWを辞めてキーパーを任されるようなことがあったら不安にもなるだろう。
結局、その日の練習中信助はずっと浮かない表情をしたままだった。




「──今日の練習はここまでとする。十分に休養を取って、新雲学園戦に備えるように」
「はい!」

ありがとうございました、と鬼道に頭を下げて、肩の力を抜いた選手たちはそれぞれ雑談しながら部室棟へ戻っていく。
しかし、信助だけはテクニカルエリアから足に根が生えたかのように動かない。階段に足を掛けながら、天馬は振り返った。

「信助、一緒に帰ろう?」
「……ごめん、先に帰ってて!」

ハッと我に返り天馬を見上げた信助は、困ったように手を振る。
「信助……」一向に元気の出る気配がない友人に眉尻を下げる天馬の肩を、通りすぎ様に神童が軽く叩いた。

「放っておいてやれ。1人で向き合わせてやるんだ」
「……はい」

──確かに、誰だって1人になりたいことはある。
神童の言葉に素直に頷き、天馬は後ろ髪を引かれながらも階段を駆け上がった。




夕暮れの赤い光が窓から差し込む。
眩しさに目を細めながら膝に置いたサッカーボールを撫でていた太陽は、引き戸の開く音に顔を上げた。

「──あ、イシドさん!」

病室を訪れたイシドに、ぼんやりとしていた太陽の表情がパッと輝く。
「元気そうだな」引き戸を後ろ手に閉めながら病室に入ってきたイシドに、太陽は勿論です、と大きく頷いた。

イシドとの付き合いはもう2年になる。病院の関係者でもあるという彼は、入院中暇を持て余す太陽によく会いに来てくれる。
治療費を支援してくれているのも彼の管理するグループだということもあって、太陽は彼によくなついていた。

「検査の結果は良好だ。退院の許可が出た」
「やった!」

薄い笑みをたたえてそう告げたイシドに、太陽はベッドの上で小さく跳ねる。
1週間ほど前、病院に試験的に導入された新医療装置の仕様を太陽に勧めたのはイシドだ。それから数日間、そこでの集中的な治療を受けた結果、太陽の病状は目に見えて良くなった。
太陽はベッドから乗り出しながらイシドに尋ねる。

「じゃあ今度の試合、出場できるんですね!」
「……そのことで担当医と話した」

途端、イシドの表情から笑みが剥がれる。首を傾げる太陽に、彼は眉間に皺を寄せて続けた。

「残念だが、次の試合は見送ろう」
「! そんな」

輝いていた笑顔が瞬く間に凍りつく。ストン、と脱力した様子でベッドに戻る太陽を、イシドは痛ましい表情で見下ろした。

「治療に専念するんだ。病気は必ず良くなる」
「っ病気とは長い付き合いだし、僕、絶対に無理しませんから……!」

ボールをギュッと抱え、太陽は懇願する。
ずっと病院から解放される日を待ち望んでいた。それは単純に自由になりたかったからではない。外で思いきりサッカーがしたかったからだ。
それに、今度の試合の相手は。必死にこちらを見つめる太陽に視線を返し、イシドは──小さく首を振った。

「……今回は諦めろ」

とりつく島もない答えに、太陽は唇を噛み締めて俯く。
ボールを握る手に力が籠り、色白い手の甲が更に白くなった。期待していた分、ショックも大きいのだろう。イシドは眉根を下げ、掛けるべき言葉を探す。

「……嫌です」
「!」

ややあって、ぽつりと返ってきた声にイシドは目をまたたく。
瞬間、太陽は弾かれたように顔を上げた。

「サッカーだけなんです! 僕が夢中になれること……辛くても不安でも、グラウンドにいる間は全部忘れられる……!」

ほんの少しの時間だけでも、ボールを追い掛けている時は楽しかった。病気であることも忘れ、走り跳び回り、あとから怒られることもお構いなしに、ただサッカーをすることが楽しかった。

「サッカーが僕の命を繋いできたんです……!」

太陽の悲痛な訴えが病室に響く。
2人はしばし見つめ合う。しばらくして、太陽はそっと俯いた。抱えたボールに向かって喋るように、独りごちるように、小さく呟く。

「試合に出られないなら僕……死んだと同じです」

日は暮れて、室内も少しずつ暗くなっていく。目を伏せ、踵を返したイシドは電気のスイッチを入れながら言った。
もう一度、よく考えるように──その言葉を最後に、イシドは病室を去る。ボールに額を押し付けて、太陽は震える声で呻いた。

「依織……僕は君と、サッカーがしたいよ……」




太陽の小さな独り言が、戸越しに微かに耳に届く。
廊下に出て密やかに溜め息を吐いたイシドは、背後に気配を感じて振り返った。

「! 虎丸」

自分のすぐ後ろに佇んでいた自分の第一秘書である青年は、「お迎えに上がりました」と小さく頭を下げる。
2人並び、日暮れの廊下を歩く。けれど、イシドの向かう先は玄関ではない。呼び出したエレベーターを待つ途中、虎丸は隣を見やってやや強い口調で言った。

「まさか、雨宮を試合に出すつもりではないでしょうね?」

イシドはその問いに答えない。沈黙を肯定と受け取ったのだろう、虎丸は険しい顔つきになって続けた。

「雨宮の才能は本物です。そしてサッカーに対する気持ちも……しかし、今彼の体が試合に耐えられるとは思えない」

元より、長い入院生活で体力は下がりきっているはずだ。病状も良くなったとは言え、あくまで退院出来る状態になっただけで完全に治ったわけではない。それを鑑みても、そんな体の彼をホーリーロードに出場させるのはあまりに無謀すぎる。
可哀想ですが、と俯く虎丸に、イシドはふと口を開いた。

「──雨宮を見てると思い出すんだ。あいつのことを……」

「あいつ?」と虎丸は一瞬首を傾げたが、すぐにそれが誰か思い当たったのだろう。得心が言ったように彼ですか、と呟く。
かつて日本とアメリカの試合で戦ったフィールドの魔術師。怪我の後遺症に蝕まれる体で試合に臨んだ彼は、見かねた監督の指示により試合の途中でフィールドに立つことが許されなくなった。

「あいつと同じだ。サッカーへの気持ち、そして思うようにサッカーが出来ないことへの苛立ち……」

病気というのは理不尽に人の自由を奪う。院長室へ歩きながら、イシドは歯噛みする。彼もまた、別の理由ではあるがサッカーが出来なくなる辛さは身を持って知っている。だからこそ、太陽の望みを叶えてやりたい。
例え、それが後々彼本人や──他の誰かを苦しめることになったとしても。

ふと窓の外を見下ろすと、太陽の幼馴染みだという少女と、かつて自分の支配下にあった少年──剣城が並んで歩いているのが見えた。




「──ん?」
「? どうした」

ふいに足を止めた依織が振り返る。剣城も釣られてその視線を追ったが、そこには病院の窓が見えるだけで誰かがいるわけではない。

「いや……今、何か視線を感じた気がしたんだけど。気のせいだったっぽい」
「視線……?」

途端、険しい顔つきになった剣城に「気のせいだって!」と依織は慌てて首を振った。どうもこの手の話題が出ると剣城が過保護になっていけない。

「と言うか──ほんとに良かったのか。雨宮のところに寄っていかなくても」
「え? ああ……いいんだよ。多分今日は検査やらなんやらで疲れてるだろうし」

肩を竦め、依織はそう答える。
ここ数日、太陽が別棟の新しい医療装置による治療を受けていたことは依織も知っている。さっき病室に戻ってきたらしいよ、というのは先程見舞ったばかりの優一の言葉だ。

「どうせ、明日は嫌ってほど喋ることになるんだし」
「まぁ……それもそうだな」

太陽が荒雲学園の生徒であることは、剣城にも話していない。特に話す理由もないし、気を遣わせるのも面倒である。
依織はそれ以上太陽の話題を出すつもりはないのか、大きく伸びをしながら言った。

「お前こそ良かったのかよ。兄弟水入らずのとこに私がお邪魔して」
「別に……呼んでほしいって言ったのは兄さんだからな」

優一がそう望むのならば、依織が見舞いに同席するのもやぶさかではない。
剣城はそう言うが、実際のところ彼女がいると弟がいつもよりよく喋るようになって楽しいと言うのが優一の本音である。
兄の内心も露知らず、鼻を鳴らす剣城に依織は「ふぅん?」と笑うように小さく肩を揺らす。

「──あ」
「ん?」

ふと、耳に見慣れた音が聞こえてきて、2人は揃って階上にある中庭の方に目を向けた。
木々の隙間から、時おりサッカーボールが打ち上がるのが見える。退院間近の子供たちが遊んでいるのだろう、小さな笑い声も聞こえる。
それを見上げながら、剣城はふいにこんなことを言った。

「なぁ、鷹栖──お前は聖帝の……イシドシュウジの正体を、知ってるのか」

一歩前を歩いていた依織の足がピタリと止まる。
ややあって、依織はいつものニヤリ笑いを張り付けてぐるりと体ごと彼を振り返った。

「──何だよ、正体って! まるで聖帝のあの姿が偽物みたいな言い方して……」
「どうなんだよ」

からかうような声に、剣城は動じる気配を見せない。
目をまたたいた依織は、笑みを潜め小さく息を飲んだ。

「……知ってるのか。お前は知ったのか、剣城。イシドシュウジが、誰≠ネのか」

その返しは、剣城の質問に対する『イエス』だった。頷く剣城に、真顔になった依織は小さくそうか、と呟いて足元に視線を落とす。

「……知ってる。知ってるよ、勿論」

依織がイシドに関するその情報を知ったのはもう随分と前だ。最初は外れれば良いと思っていた予感。それが確信へと変わったのは、恐らく円堂が監督になってからだったと記憶している。
豪炎寺修也。かつてイナズマジャパンのメンバーとして、円堂や鬼道と肩を並べ戦ったプレーヤー。

「あの人は……豪炎寺さんは、3年前、大きな大会に出場したのを最後に失踪した」
「失踪……?」
「ああ。失踪の正確な理由はまだ分からないけど……やっと見つけたと思ったら、あんなところでふんぞり返ってんだもん。ビックリだよな」

あんなところ、と言うのはフィフスセクターのことを指すのだろう。大げさに首を振った依織は、それで、と剣城に流眄を向けた。

「お前はどうして分かったんだよ。まさか、シードの時から知ってたわけじゃないだろ?」
「……昨日、松風に聖帝が接触した時だ」

「は? 天馬?」ここで天馬の名前が出るとは思ってもみなかったのだろう、目を丸くした依織に、剣城は昨日あったことを掻い摘んで説明する。

放課後、廃校のことで思い悩む天馬に、突然接触したイシド。彼らが会話している途中、偶然現れた引ったくりをイシドが天馬のボールを使って撃退したらしい。
その時のフォームで分かった。見間違うはずがない──幼い頃、兄弟で一緒に彼のシュートを真似したものだ。

「……ファイアトルネードか。懐かしいな、私も太陽とよく真似したよ。上手くいったためしなんて1回もないけど」
「ああ、俺もだ」

浮かべた笑みに、懐かしさとほんの少しの寂しさが入り混じる。
豪炎寺はFWであれば誰もが一度は憧れるトッププレイヤーだ。そんな彼が、何故フィフスセクターの聖帝としてサッカーを管理・支配することになったのか。

「俺は、豪炎寺さんが聖帝になった経緯は知らない。だが、あの人が本当にやろうとしてるのは──」
「剣城」

突然伸ばされた人差し指が、剣城の唇を押さえる。
依織はもう片方の人差し指を自身の唇の前に持っていき、小さくかぶりを振った。

「その件は調査中だ。……それに、その事はあまり外で話さない方がいい」
「っ……フィフスセクターの誰かに聞かれたら困るからか」

依織の手を掴んで降ろした剣城は声を落として尋ねる。
それもある、と短く答えた依織はしばし考え込む素振りを見せると、「剣城ならいいか……」と小さく独り言ちて続けた。

「フィフスセクターは、今内部分裂してる。イシド派ともう1つに二分してるんだ」
「内部分裂……?」

自分があそこに出入りしている頃は聞かなかった話に、剣城は眉をひそめる。剣城の表情から察したのか、割りと最近の話だよ、と依織は付け加えた。

「二分って言っても、その大半が反イシド派。そして主導者の実態はまだ掴めてない。もしかすると、フィフスセクター外部の人間かもしれないんだ」
「近くにいても、こっちは気付けないかもしれないってことか?」
「そーいうこと。これ、誰にも言うなよ?」

レジスタンス本部だけにある極秘情報なんだから、と目を細めた依織に、剣城は神妙な顔で頷く。
彼女は剣城を信用しているからこそ、この情報を教えたのだ。それを無下にすることは出来ない。

「……次の試合も勝つぞ。イシドを──豪炎寺さんを、早くあの椅子から蹴り落としてやんなきゃ」
「ああ……分かってる」

その豪炎寺本人がすぐ近くにいることも知らず、2人はゴツンと拳を合わせた。