「ななななな何かご用でしょうか」
「用がなければ呼びはしない」

ですよね!!

合宿まで1週間を切ったある日の放課後。部活にいく直前、理事長室に呼び出された私は、いつものように机に肘を突く影山総帥と対面した。
ガクガク震える私に、総帥はふと引き出しから一枚の茶封筒を取り出す。手のひらより少し大きいくらいのサイズのものだ。
机の上を滑らしたそれは落ちることなく私の前でピタリと止まる。

「こ……これは……?」
「合宿に必要な物を記述した紙が入っている」

首を傾げた私にそれだけ言うと、総帥は椅子をくるりと回して背を向けた。
どうやら話はこれで終いらしい。

「……し、失礼しました」

1歩、2歩。後ずさって踵を返し、部屋を出る。
パシュン、と扉が閉まった瞬間、私は詰めていた息をゆっくり吐き出した。総帥の呼び出しには永遠に慣れそうにない。

「(……合宿に必要な物が書いてあるって言ったよね)」

部室に行く前に、確認しておいた方が良いだろうか。
私は糊付けされていない封筒を開け、中に入っていた2つ折りの紙を開いて──

「………………」

パン、と閉じた。
両手に挟まれた紙が少し拉げたが、勘弁してほしい。
それより、あれ、おかしいな。今なんかおかしな文章が見えたぞ!気のせいかな!気のせいだよね!

「そうそう気のせい気のせい!」

そうだたまにはポジティブになるべきだ、ファイトだ私!
ハハハ、とから笑いしながら(端から見ると不気味な光景だっただろう)私はもう一度紙を開く。
そして次の瞬間。

「き……」

はらり、と手から紙が落ちる。

「気のせいじゃなかった!!」

薄暗く細長い廊下に、頭を抱えた私の悲鳴染みた叫びが反響した。



「──ん?」

部員全員が着替え終わり、鬼道がいつものマントを羽織った時だった。扉の向こうから近付いてきたバタバタと忙しない足音に、彼は顔を上げる。

「何だ……?」

眉を顰めた佐久間が呟いたのと、扉が開くのはほぼ同時。やけに青白い顔で部室に飛び込んできたのは、いつも以上に慌てた表情をした織乃だった。

「どうしたんだ、御鏡?そんなに慌てて」
「げ、げげげげ源田さん……」

ぶるぶる震えながら彼を見上げた織乃に、万丈が「どもり過ぎだろう」と呟く。
どうしようかとでも言いたげな視線で一同を見回し、「ああぁ」だの「ううぅ」だの、泣き声とも呻き声とも取れる妙な声を上げる織乃に、鬼道は仕方ないとばかりにその肩を掴んだ。

「取り敢えず落ち着け、御鏡。話してもらわなければどうもできないだろうが」
「は──そ、そうですね」

はたと鬼道の言葉に頷いた織乃は、つっかえながらこれまでの経緯を語り出す。
ここに来る前に影山に呼び出されたこと、彼に合宿についての書類を渡されたこと。

「──これが、その書類です」

いやに深刻そうな表情の織乃が差し出したのは、皺が寄りに寄った一枚の紙。
それを受け取った鬼道は大きく目を見開くと、一拍空けて文面を読み上げた。

「──万が一遭難しても、最低3日間は生き延びられる道具一式を買い揃えておくこと」

部室が、長い静寂に包まれる。

「…………総帥は、俺たちにサバイバルでもさせるつもりか?」

まず初めに沈黙を破ったのは、額に冷や汗を浮かべた寺門だ。
「これじゃ焦っても仕方ないな」と言った後に、なんせ御鏡だしと付け足した源田が、同情混じりの視線を向けながら、じめじめとした空気を背負ってキノコを栽培している織乃の頭を撫でる。

これを機に永遠に冬眠したい、と危うい独り言を呟く織乃に「それはもう永眠だ」と一言突っ込んだ鬼道は、ぶるりと頭を振った。

どんな命令が出されようが、これは合宿。強くなるための修行だと自分に言い聞かせる。
一体どんな合宿になるかは見当も付かないが、これも影山の考えの内ならきっと無駄なことではないはずだ──多分。
大きく息を吐き出した鬼道は、とにかく、と気持ちを切り替えた。

「まずは現状把握だ──御鏡!」
「はっ、はい!」
「合宿は何日後の何時集合だ」

問いかけた途端、織乃はキノコを放り出しポケットから取り出した手帳を慌ててめくっていく。

「えええっと、来週の火曜、朝6時までに正門前集合です!!」
「よし、みんなこれをもう一度頭に叩き込んでおけ」

一つ頷いた鬼道は部室の中央に行くと、「今日は特例で部活動は中止だ!」と右手を上げて、順に指令を下した。

「2年生は救急セットとドリンクの粉末を確認の後、いつもの店で足りない物の補給をお願いします」
「おう、分かった」
「俺と佐久間、源田、それから御鏡は、……隣町の百貨店に遭難しても最低3日間は生き延びられる道具≠ニやらを探しに行くぞ」
「あ、ああ……」
「鬼道さん、俺らは?」

辺見を筆頭とする1年生たちが、控えめに挙手する。鬼道は一瞬口を閉ざした後、彼らから視線を逸らしつつ言った。

「…………パソコン室で、サバイバル技術のことでも調べておいてくれ」

それを聞いた一同の顔が、揃って若干青くなった。



山に行くのに必要な物って何だろう。
『山篭もり〜滝に打たれ早十年〜』──というタイトルの本に目を奪われていた私は、「それは多分役に立たない」と鬼道さんに諭された。ですよね。

そんなわけで、ここは隣町の百貨店。所謂デパートである。
最近オープンしたばかりのここは、メジャーからマイナーまで取り揃えるというのがコンセプトらしく、品揃えの良さが半端ない。
ついでに人の量も半端ない。

「しかし、平日の夕方だというのに凄い人ごみだな」
「そ、ですね、あ、すみませんっ」

スルスルと人波を縫っていく3人に対し、色んな人にぶつかりつつ謝りながら歩く私。こちらの容姿に気が付いた前方の鬼道さんがやや呆れた顔をして振り返った。
そんな彼との距離は目測3メートル程。やばい、このままじゃはぐれてしまう。この年で迷子はキツい!

「待ってくださ……ああごめんなさい!」
「……佐久間、源田」

2人を連れ立ち私の元へやってきた鬼道さんが、すっと右手で私を指した。

「左右を固めろ」

いや試合じゃないんだから。
そんなツッコミが出来るわけもなく、呆ける私の両腕を佐久間さんと源田さんが掴む(佐久間さんは嫌々と言ったオーラを醸し出しつつ)。その様子はまさに捕らえられた宇宙人。
そしてニタリ、といつもの顔──悪役面と言っても過言ではない──をする、鬼道さん。

「これなら、はぐれて迷子になるようなこともないだろう」
「……ソウデスネ」

確かにはぐれる可能性はぐっと減ったが、代わりに周りからの目線がぐっと増えました。
視線が痛い。そして佐久間さんが掴んでる方の腕も痛い。
周囲の注目を集めつつ、私たちはデパートの一角にある大きなスポーツショップに辿り着いた。

「それで……遭難しても最低3日間は生き延びられる道具って、例えば何だ?」
「さぁ……やっぱり、食料とかなんじゃないか?あとは寝袋とか。でも、雪山だしなぁ……」

商品棚を眺めながら、佐久間さんに源田さんがそう答える。
やっぱり男の子はこういうアウトドアな物に心惹かれるのか、2人ともどこか楽しそうだ。
佐久間さんなんて、若干ペンギングッズを見てるときみたいな顔になっている。

「今日はただの下見だ。必要になりそうなものは覚えておけ」

携帯用の雨合羽を見ながら、2人に忠告する鬼道さん。
私は3人が見ていく物をちょこちょこと手帳に書き留めながら、本当に総帥はサッカー部に何をさせるつもりなんだろうと考える。

実は何てことない普通の合宿なんだけど、士気を上げる為とか、緊張感を高める為とか、わざと大袈裟に言っただけ……みたいなオチの可能性は無いんだろうか。
思ったことをそのまま鬼道さんたちに言ってみると、3人は揃って顔を顰めながら首を振った。

「確かに、普通の監督ならその線もあったんだろうが……」
「相手が総帥だからな」

……何やら色々と底知れぬ理由がありそうだ。でも、確かにあの人なら、こういうこともガチでやりそうだし……。

「で、でも流石に総帥も、私たちを雪山に放置したりはしませんよね!」

ここで3日間生き延びろって雪原にポーンなんて、と場の空気を明るくするために冗談くさく言ってみたが、3人の雰囲気はいっそう重たくなった。

「……総帥だからな」

顔に影を落として、呻くように鬼道さんが言う。……有り得るのか。雪原にポーンが。私は自分の顔色が悪くなったのを感じて、手にした防水スプレーをやや乱暴に棚に戻した。




──そして更に、1時間。

「意外と分からないものだな……」
「まぁ、総帥にしては割りかしらアバウトな指令だったしな……」

自販機で買ったジュースの缶を開けながら、佐久間さんが溜息をつく。
スポーツ店を出た私たちは、そこから少し離れた場所に据えられたベンチでぐったりとしていた。

いじっていた携帯の蓋をパチンと閉じながら、鬼道さんが背もたれに体重をかける。

「──やはり辺見たちも、事が漠然としすぎて大したことは調べられなかったようだな」
「大したことは……ってことは、少しなら分かったんじゃないか?」

一縷の望みを託した、と言わんばかりの表情で源田さんが顔を上げたが、鬼道さんは芳しくない表情のまま、淡々と答えた。

「ワニの倒し方や砂漠で水分を補給する方法が、雪山で役立つと思うか?」
「…………」

源田さんが一気に脱力する。
さっきのさっきで説得力がないが、流石に総帥も部員をワニのいる川や砂漠やらに放り出したりはしないだろう。遠回しな殺人行為だ。
その時、空になった缶をゴミ箱に投げ入れた佐久間さんが、ふいに立ち上がった。

「……? どうかしたんですか、佐久間さん」
「息抜き」

一言だけ答えて佐久間さんが淀みない足取りでズンズン向かって行ったのは、デパートによくあるゲームコーナー。
更に正確に言うと、そこにある──大きなペンギンのぬいぐるみが景品として置いてある、クレーンゲームに直行していた。本当にあの人ペンギン好きだな。

仕方ないといった風に鬼道さんと源田さんが立ち上がり、私も慌ててそれを追いかける。
私たちが佐久間さんの後ろにやってきたときには、彼は早くも2回目のコンティニューをしていた。

「っあー!取れない!!」
「そんなデカいのが取れるわけないだろう。諦めろ佐久間」

「あと1回だけ!」早く帰るぞと急かす鬼道さんに必死に頼み込む佐久間さんを、道行くチビッコたちが変な目で見ている。これはちょっといけない。
2人とデカペンギンを見比べ、私は財布から百円玉を取り出した。

「鬼道さん、1分下さい」
「は?」

鬼道さんが怪訝な顔をする。
きょとんとした佐久間さんに「ちょっと待ってて下さいね」と言いつつ、私はじっとクレーンを見上げた。
百円玉を投入し、ボタンを押す。
ぐわっと開いて降りてきたクレーンが、ぬいぐるみの頭部をぐっと押し出した。

「……あ」

呆然としたような佐久間さんの声。ペンギンは景品口に転がり落ちて、クレーンはついでとばかりにペンギンの後ろにあった小さなウサギを掴んで戻ってくる。
景品口から2つのぬいぐるみを取り出すと、いつの間にか出来ていたギャラリーから小さく歓声が上がった。

「──はい。どうぞ佐久間さん」
「お、おう……あ、金」

「2個取れたから良いですよ」慌てて握りっぱなしだった百円玉を差し出す佐久間さんを制止する。
佐久間さんはしどろもどろしながらお礼を言うと、嬉しそうに頬を染めてペンギンを抱き締めた。
その様子につい『どこの乙女だ』と思ったのは言うまでもない。ウサギのぬいぐるみを抱え、私たちはようやくデパートの出入口へ向かう。

「でも、意外だったな。御鏡がクレーンゲーム得意だったなんて」
「ゲームなら大体出来ますよ。お兄ちゃんの影響だけど……」

「冬樹さんの?」首を傾げた鬼道さんに私は頷いた。
自称自宅警備員なお兄ちゃん。いつも家に籠もってるけど、決してただのニートと言う訳じゃない。
自分で作ったパソコンゲームを、ネットを介して売り出しているのである。

「お兄ちゃん、行く行くはゲーム会社を立ち上げたいとかで……研究の為って言って、昔からよく私を連れてゲームセンターに繰り出してたんです」
「ただのニートじゃなかったんだな……いでっ!」

しみじみ言った佐久間さんの脹ら脛を鬼道さんが蹴り飛ばした。まぁこれはお兄ちゃんの自己紹介に問題があるだろう。
ひとつのジャンルに拘らず、様々な視点で物を見るのが成功への近道だ、とか言って、色んなゲームのコツを教え込まれたあの頃が懐かしい。

「……でもゲームが得意なんて、あんまり自慢できることじゃないので、なるべく他言無用でお願いします」
「ああ、分かったよ」

小さく笑った源田さんが頷く。
デパートを出ると、一気に耳に入る音が少なくなった。
鬼道さんも心なしか笑っているように見えて、佐久間さんは、……ペンギンを幸せそうに抱きしめている。

「なぁ御鏡、また次の機会があったら頼んで良いか……?」
「次の機会というか、次のペンギンじゃないのか」

キラキラした目で私に尋ねる佐久間さんに、呆れたように源田さんがまた苦笑いする。

「──お兄ちゃん、か」

隣を歩く鬼道さんが、ふと遠くを見るような目で、小さく独り言ちたのが聞こえた。

聳えた懸念