「──えっ」
合宿に必要な物を下調べしに行って早2日、日曜日の朝。
ざんざんと雨の降りしきる中、遭難しても最低3日間は生き延びられる道具一式≠ニやらを購入すべく、私たち買い出し組は駅で待ち合わせしていた──のだが。
「佐久間さんと源田さん、来られなくなっちゃったんですか?」
「ああ……」
腕組みした鬼道さんが、溜息混じりに頷く。
曰く、2人とも今朝早くに突然総帥から呼び出されたそうだ。何でも新しい技の考案のため最新のデータを取るとかなんとか。鬼道さんはもう一度溜息を吐いた。
「細々したものは直接持ち帰るつもりだったが……2人だけじゃ、流石に無理だな」
「大きい物と一緒に、郵送してもらいましょうか。料金は増えちゃいますけど……」
そうだな、と頷いた鬼道さんは、そのまま「行くぞ」と踵を返しホームに入っていく。
慌ててそれを追いかけようとした私は、その背中に違和感を感じて一瞬歩を緩めた。何だろう。なんか……何かが、足りないような──
「(……あ)」
そうだ、マントだ。いつもの赤いマントが無いんだ。
どうやら鬼道さんがあれを羽織るのは、ユニフォームかジャージの時だけらしい。それもそうだ、こんな町中であんなもの羽織ったら悪目立ちしてしょうがないし。
第一私服にマントなんて──
「──? 何だ。どうした、御鏡」
「え。あ……な、何でもないです……!」
振り返った鬼道さんに、さっと視線を逸らして首を横に振る。
当たり前だが、鬼道さんの私服姿を見るのは初めてだ。まぁ、かく言う私も私服だが。
──ああもう、何をおかしなことを考えているんだ、私は!
「(まるでデートみたい≠セなんて!)」
デート?私と鬼道さんが?そんなことが起こった暁には、きっと明日は空から槍が降ってくるだろう。
丁度ショーウィンドウに映った私の顔が、少しだけ青くなっているのが見えた。
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「それで、買う物は?」
「は、はい、ええっと……」
先日訪れたデパートのスポーツ店、登山グッズコーナーにて。
私が買い物リストを読み上げると、鬼道さんがそれを見つけ次第迷うことなくポイポイとカートに入れていく。
携帯食料、マッチ、十徳ナイフ……本当にこれはサッカー部の合宿の準備なんだろうか。私は何度目かも分からない疑問を頭の中で反芻する。
「──あ。す、すいません」
「……! いや」
ふいに、棚に延ばした手が鬼道さんの手とぶつかった。
静電気が来たようにぱっと手を引っ込めた鬼道さんに首を傾げつつ、改めて棚の商品を持ち上げながら尋ねる。
「防水スプレー、何本買っておきましょうか?」
「…………3本で良いんじゃないか」
はい、と頷いて、スプレー缶を3本、籠に転がした。
鬼道さんは首の後ろを掻きながら、気疲れしたのか軽く溜息を吐いている。
「あとは──大きい物は注文して、一緒に発送してもらおう」
「はい」
リストを確認して、私は頷いた。
私がレジで会計をする一方で、鬼道さんがサービスカウンターで寝袋などの注文をする。合計すると結構な額だ。
「まとめて払います」と鬼道さんが総帥から預かった真っ黒いカードを出した時の、店員さんたちの雷にでも打たれたような顔はしばらく忘れられないだろう。
領収書を貰った鬼道さんと目が合った。つい、と視線をベンチに向けながら鬼道さんは呟くように言う。
「休憩するか」
「あ、はい」
さくさくと歩いていった鬼道さんは、自販機で紅茶を買ってベンチの端に腰掛けた。
私も痛みに悲鳴を上げる足を労るため、それに続く。糖分が欲しい。ミルクティーでも買おうか。
「買う物はあれで全部だったな」
「はい……あ、でも雪眼防止のメガネの在庫がなかったから、また違うお店で──あっ」
「どうした?」鬼道さんの不思議そうな声と、ガコンと自販機から缶が出てくる音が被る。
私は出てきた──ブラックコーヒーの缶を、絶望的な気持ちで見つめた。
「ぼ、ボタンを間違えました……」
「……」
本当はブラックコーヒーの隣にあったミルクティーのボタンを押すつもりだったのに!
がっくりと肩を落としながら、鬼道さんから1人分距離を開けてベンチに座る。どうしようかな、コーヒーはあんまり得意じゃないのに。帰ったらお兄ちゃんにあげようかな。でも喉も渇いたし、かと言って違うものを買い直すのもお金がちょっぴり勿体ない。サッカー部に入ってから、お小遣いは殆ど練習用のテーピングテープやルールブックに費やして毎日火の車なのだ。
「──代えるか?」
「はい?」
鬼道さんの声に、コーヒーから視線をそちらに向ける。
呆けた私に少し顔を顰めながら、だから、と鬼道さんは言葉を繰り返した。
「飲めないんだろう、コーヒー。交換してやろうかと聞いてるんだ──まぁ、こっちはもう少し減ってしまったが」
「えっ……い、良いんですか?」
ぱっと私が食いつくと、鬼道さんは驚いたのか少し肩を揺らす。その拍子にちゃぷ、と紅茶の缶が音を立てた。
「……ほら」
「あ、ありがとうございますっ」
鬼道さんに2度目の後光が見える。紅茶とコーヒーを交換した私はゆっくりとそれを傾けて、ほっと息を吐いた。
その一方で、鬼道さんがコーヒーの缶を握り締めたままどこかポカンとした顔でこちらを見ている。
「? ど、どうかしましたか?鬼道さん」
「──いや。何でもない」
やけに真顔になった鬼道さんは、カシュッとブラックコーヒーのプルタブを開けた。
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「やっと帰り着きましたね」
「そうだな」
「佐久間さんたちの用事は終わったんでしょうか……」
「さぁな」
「……鬼道さん、どうかしました?」
「どうもしない」
そうかなぁ、絶対どうかある気がするんだけどなぁ。デパートでの休憩から、鬼道さんは何だか上の空だ。
何か気に障ったことでもしたかと初めはハラハラしたが、どうやら違うらしい。考え込んでいるというか、放心気味と言うか──私が顔を覗き込むと、鬼道さんはびくりと体を揺らした。
「……本当にどうもないんですか?」
「…………ああ」
珍しく覇気を感じない返答である。不信感を拭えないままふと視線を駅の外にやると、人混みの向こうに見覚えのある傘が揺れているのが見えた。
「──織乃!」
「……えっ、お兄ちゃん?」
「冬樹さん?」ここで初めて、鬼道さんが肩を揺らしまともに反応する。
お兄ちゃんは傘の水を払いながら、私たちの所へやって来た。
「丁度ここらに用があったから、ついでに迎えに来たんだよ」
「そうなの?」
空いた手に持っていた飲みかけのペットボトルを私に渡しながら、お兄ちゃんがふと……ちょっとだけ険しい表情で、鬼道さんに視線を向ける。
「お前は確かこの前家に来た……えっと、鬼道だったっけ」
「──はい」
そうか。そう言えば2人は、私が風邪で休んだ日に会ってるんだっけ。
丁度また喉が渇いてきていたので、渡されたペットボトルの蓋を開けて既に中身の少ないそれを飲んでいると、ふいに鬼道さんと視線がぶつかる。
その途端、鬼道さんの肩から一気に力が抜けたように見えた。
「──……俺は、これで失礼します。御鏡、来週も頼んだぞ」
「あっ……は、はいっ!お疲れ様です……!」
踵を返し、傘を開いた鬼道さんの後ろ姿が人混みの中に消えていく。
お兄ちゃんが、私の頭にポンと手を乗せて微笑んだ。
「んじゃ、俺たちも帰るか」
「うんっ」
お兄ちゃんの隣に並んで、ちらりと後ろを振り返ってみる。
遠くに見えた鬼道さんの背中は、いつも通り堂々として見えた。