マネージャーは部全体の雰囲気を読みとり、メンバーのサポートをしなければならない。
また、誰よりも日々の活動の流れを頭に入れておくことが重要である──

以前読んだマニュアルに書いてあった一文を思い出した私は、荷物の上に無造作に乗っていた一枚の紙を手に取る。
これに、合宿中の日程が載っている……筈だったのだが。

「……ん?あれ?」
「どうした」

紙をひっくり返したり、光に透かしてみたり。私の様子に気付いた鬼道さんが、こちらを向く。
他のメンバーは、既に部屋に自分の荷物を置きに行った後だ。

「そ、それが……」

私はもう1度よく紙を見て、鬼道さんにそれを手渡す。
「……どういうことだ」紙を受け取った鬼道さんが、顔を歪めて呟いた。

今日の日付が書かれた欄には、上から下までびっしりと練習メニューが記述してある。しかしそれ以外の残りの2日間の欄は──何もない。真っ白の空白だ。
その紙には、1日目である今日以降の日程が全く書いていなかったのである。

「……3日間、1日目と同じメニューをしろってことですかね?」
「──いや、それなら一々日付を明記してまで欄なんて作らないだろう。しかし本当にこれは一体……どういう…………」

言いながら、鬼道さんは紙をひっくり返したり光に透かしたりと、どうにかして真っ白な部分に何か書かれてやしないかと紙面をじっと見つめた。ああ、さっきの私もこんな風に見えたのか。
「……駄目だ」少しして、鬼道さんが溜息を吐く。どうやら諦めてしまったようだ。

「ど、どうしましょう。総帥に連絡を取って聞いてみますか……?」
「──いや」

思考したらしい鬼道さんは、間を空けて答えた。ゴーグルをキラリと光らせ、彼は続ける。

「恐らく……これは総帥の、俺たちへの課題だ。この空白の謎を解き明かせと言うな」
「……え……えー……」


そうかなぁ、考え過ぎじゃないかなぁ──そう思ったのだが、鬼道さんのやけに真面目な顔に私の言葉は引っ込んでしまった。

「総帥は、利益にならないことをするような人ではないからな」
「でも私のスリーサイズを暇つぶしに把握しようとしましたよね」
「………………」

それはそれ、これはこれだ──少し引きつった声でそう返した鬼道さんは、あの時のことを思い出したらしく耳の先を赤く染める。
──まぁ、キャプテンがそう言うのなら、マネージャーの私に口出しする権利はあるまい。

「分かりました──でも、皆さんには何て説明しましょうか?」
「そうだな……」

言えば恐らくこの謎の空欄に付いて突っ込まれることは予想が付くが、私たち自身これが何なのかまだ見当も付いていない。ふむ、と顎に手を添え考えを巡らした鬼道さんは、最終的にふっと息を吐いて。

「……まぁ、明日になるまでのお楽しみ──とでも言っておけば、辺見あたりが食いつくんじゃないか」

そんな上げて落とすみたいな。
半眼になってしまった私の呟きに肩を竦めて、鬼道さんは自分の荷物を手に歩いて行った。




とりあえず、今日の練習メニューの把握。
午後はみっちり2時間、ホテル周辺のランニング。お昼を挟んで、午後からは6時まで自主トレ。それ以降は体を休める為自由。就寝は9時。案外、自由な日程である。
聞けばホテルの設備にはフィットネスルームも含まれているそうで、恐らく自主トレはそこで行えと言うことだろう。

だけど何かが引っかかる。このメニューを作ったのは影山総帥。何が裏があるのではと思わずにいられない。上げて落とす──あの人が好みそうなことである。

「道は雪もあって滑りやすいので、お気をつけて」

しかしまぁ、気にしていたって現状がすぐに変わるわけでもない。
ホテルの従業員さんの忠告と営業スマイルを受けとって、私たちはまず、ランニングの出発点へと向かうことになった。
ホテルの周りには本来暖かいシーズンに使われる散歩コースがぐるりと建物を囲むように敷かれ、そこをランニングに使用する。出発点は屋根の付いたベンチ。私はここで待機して、それなりに長い1周を終えたみんなにドリンクやタオルを渡すのが仕事だ。
雪だらけの道は存外走り辛く、気を抜くと直ぐに足を掬われる。

「確かに、ここを走り続けるのは結構辛いかも……」

ドサリと籠とクーラーボックスをベンチに置きながら呟いた矢先、視線の先で佐久間さんが見事に転んで雪の塊にダイブした。

はい、ペンギンタオル準備完了。
始まって5分もしていない雪道のランニングに一抹の不安を覚えつつ、私は絆創膏とタオルを持って走る。
そして次の瞬間、雪につまずいて思いっ切り転けた。

──うん、やっぱりこの道を走るのは辛い。それは十二分身に染みたので、佐久間さん。

「そっ、そんなに笑わなくても良いじゃないですか!!」
「わ、わり……ぶ、あははは!」

笑わないで下さいってば!──私の叫びがその周辺に木霊した。




「──鬼道。何かあったのか?」
「……は?」

脈絡のない源田の問いに、鬼道は眉根を寄せる。
ゴーグルに隠れた目は、少し先で少々乱暴に佐久間の怪我の治療にあたる織乃と、その痛みに悶える佐久間に固定されていた。
くるり、とこちらに目を向けて、何がだ、と質問を質問で返す彼に、源田は「ああ」と呟く。

「じゃあ、聞き方を変えるか」

「何かあったか、御鏡と」再度問われた鬼道は、少し驚いたように眉を上げた。

「……何故そう思うんだ」

僅かに顔をしかめて聞き返す彼に、源田は事も無げに肩を竦めて見せる。

「今朝から、御鏡に突っかかるような素振りを見せていたからな」

まぁ、本人は分かっていないと思うが──そう付け加えた彼に、鬼道は居心地悪そうに俯いた。

「……何かと言うわけではないが」
「ああ」

あー、と鬼道は珍しく言葉に詰まったように唸った後、観念したようにぽつぽつと語り出す。

「……日曜、御鏡と必要なものを買いに出かけた時なんだが」

──鬼道の話はこうだ。
先日の買い物の日。休憩の際、自分が「交換してやろうか」と彼女に冗談混じりに差し出した飲みかけの紅茶。それに、織乃は何の躊躇いもなく口を付けた。
織乃本人としては、間違って購入した飲めないコーヒーと交換してもらってご満悦だったのだが、鬼道はそうもいかない。

いわゆる、間接──彼女の唇が缶から離れた瞬間、その単語の続きが浮かんだ。
大手財閥の御曹司とは言えども、中身はまだ13の子供。思春期も真っ盛りの年頃である。鬼道はその後しばらく、羞恥心を押し隠すのに思考の大半を費やした。

しかし、である。
彼女は別れ際、迎えに来た兄・冬樹に渡された飲みかけのペットボトルにも、これもまたあっさり口を付けた。

ここで1つ、鬼道の中で仮定が生まれる。
彼女は、異性への意識というものが他と比べて低いのではないか。
勿論、冬樹とのそれは兄妹だからというのが一因だろう。だが、それだと鬼道の飲みかけの紅茶に抵抗を持たなかったのは何故という話になる。
そこから出した結論だ。

無論、爪の先ほどのそれはあるだろう。過度なシスターコンプレックスな兄と弟に挟まれて育ったせいで、織乃は思春期特有の異性への意識が極端に薄れてしまったのではないか。
それに加えて、あの独り言。

『弟と一緒の布団で寝るなんて日常茶飯事だし、昔はお風呂も一緒だったし──』

つまりは、その延長線と言うわけだ。可能性に確実性が加わった瞬間でもあった。

「──どのラインが基準か計ってたってことか。それで、わざと隣に座ってみたり?」
「まぁな。それにあいつ、土門が部屋割りのことを言った時、特に気にしていないような素振りを見せただろう」

スパーン、と土門の頭をスリッパで殴ったのは源田本人である。確かにあの時、織乃は特に恥ずかしがったり、嫌悪したりする様子は微塵もなかった。
寧ろ言葉にするなら、『それで事が解決するなら構いませんよ』という顔をしていた気もする。

「ただでさえ男所帯なんだ。そういう意識は、少なからずあった方が良い。──ただ、今朝から見ても基準があまりにも……」
「ああ……」

ジャージ制作が原因の騒ぎの時の彼女は、赤くなったり青くなったりしていた。
あれは男子への意識ではなく、ただの女子としての羞恥心から。
行きのバスで鬼道が隣に座ったとき、彼女はそれを疑問に思ったようだったがすぐに手元の手帳やデータを覗き込んで仕事をしていた。
土門のふざけていたとはいえ中々の衝撃発言にも、わりかし平然としていた。

「……20%といったところか」
「下手するともっと低いかもな」

鬼道が溜息を吐く姿を見て、源田はゆるりと頬を緩める。

「……何だその顔は」
「いや?」

何でもないような顔をして答え、源田は鬼道を追い越した。
鬼道が他人を心配することは、極めて珍しい。初めは難色を示していたマネージャーが対象なら尚更だ。

佐久間もマネージャー採用に最後まで渋っていた1人だったが、今ではほとんど織乃に心を開いている。
恐らく先日のペンギン効果だろう。懐いている、と言った方が合っているかもしれない。

普段おどおどしているせいであまり分からないが、織乃は根っからのお姉さん気質なのだ。懐くなという方が難しいだろう。

源田は源田で、年は同じなものの彼女を妹のように思っていることは自覚済みだ。
織乃もそれを肌で感じ取っているのか、自然と彼を頼りにしているような素振りが増えてきている。

「(チームが明るく──なってきてるんだろうな。きっと)」

悪いことではない。寧ろ、良いことだ。
チームの微々たる変化に気付いた帝国のオカン(命名・辺見)こと源田は1人そっと微笑んだが、前方で寺門が雪の山に頭から突っ込んだシーンを目撃して、つい吹き出してしまったのだった。

彼女のボーダーライン