昨日1番驚いたこと?
そうだな、やっぱり夕方うたた寝から目を覚ましたら、隣に鬼道さんがいたことだろうか。
「やっと起きたか」と呆れたように言いながら、鬼道さんは驚いてソファから転がり落ちた私を助け起こしてくれたが、あれは驚いたというよりも恥ずかしかった。
だけどまあ、あれはまだ序の口と言うところだったらしい。何のってそりゃあ、合宿の。
「……冗談ですよね、鬼道さん」
「俺だってそう思いたい」
合宿2日目の早朝。
ホテルに帝国イレブン宛てのFAXが来たとの連絡が入り、私は熟睡しているところ内線電話で鬼道さんに起こされてロビーへ向かうことになった。
FAXを従業員の人から受け取った鬼道さんは、ギョッとしたように顔を顰める。
そして何度も文面を読み直した後、内容を私に話し──私はいっそ聞かなきゃ良かったと頭を抱えた。
「……本格的に、皆さんにどう説明しましょうか。もう、昨日の言い訳も通用しませんよ」
「だろうな……」
ロビーから出て、薄暗い廊下を歩きながら、私たちは唸り声を上げる。
はぁ、と溜め息を吐いたその時、廊下の先からぬうっと人影が現れた。
「──鬼道、ここにいたのか」
「あ、おはようございます、源田さん……」
影の正体は、まだ少し眠たそうな源田さん。どうやら、ふと目を覚ました時隣のベッドに鬼道さんがいないことに気付いたらしい。
源田さんは私たちにまずおはよう、と言った後、首を捻る。
「ところで……2人とも、こんな朝早くから何をしているんだ?」
「……それは」
すすす、と気取られない程度に、鬼道さんはFAXを後ろ手に隠す。
思惑通り、それに気付かなかった源田さんは私たちを見比べ、首を傾げて。
「……もしかして」
「え」
急に真剣な顔をした。
まさか、気付かれたか。思わずちらりと鬼道さんと目を合わせる。源田さんはそのまま続けた。
「逢い引きか?」
「「違う!」」
思わずいつもの口調もすっ飛んで鬼道さんとユニゾンで突っ込んだ瞬間、廊下の死角からズサーッと見慣れた人たちが現れた。
いや、現れるというより、滑り出てきたと言った方がいいのか。上から順に、咲山さん、佐久間さん、一番下で潰された辺見さん。源田さんが呆れたような表情をする。
「コントか、お前ら」
「お前が妙なこと言うからだ!」
大体逢い引きって何だ、どこの武士だ、寧ろお前は幾つなんだ、歴とした同級生だ──と、喧々囂々マシンガントークを繰り広げる4人と、頭を抱える鬼道さん。
ああ、これ本当にお笑い行けるんじゃないだろうか、とか頭の隅で考えちゃう辺り、これって私、もしかしなくても寝ぼけてるんじゃなかろうか。
そう言えば今日はまだ起きて一度もどもってない気がする。
ひとまず私は改めて口を開いた。
「あの、とりあえず皆さん」
「何だ」
「声落とすか、誰かの部屋に入った方が宜しいかと……」
ちなみに現在の時刻は起床30分前の午前5時。
現在地点は部屋の連なる廊下。勿論私たち以外の宿泊客も中にはいるわけで。
5人は押し黙って、頷いた。
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「で、結局2人はこんな時間にあんなところで何をしてたんだ?」
ソファに腰掛けて、改めてそう尋ねるのは源田さんである。
何を隠そう、いや別に隠さなくても良いのだが、ここは源田さんと鬼道さんの部屋。
昨日とよく似たシチュエーションに溜息を吐きながら、鬼道さんは「いずれ分かることだしな」とあのFAXをローテーブルの上に置いた。
「──さっきロビーに届いた物だ」
私と鬼道さんを除く4人は、紙面を確認した途端にカッと目を見開いて青ざめる。
「嘘だよな、嘘と言ってくれ」
「俺だってそう思いたかった」
さっきの私たちの会話と、似てるようで違うものを繰り広げる佐久間さんと鬼道さん。
「それで総帥はあんな指示を……」真っ先に冷静さを取り戻した源田さんが、口を手で覆って呟く。
「けど、流石に無茶ですよ」
遠回しに死ねと言ってるようなものです、とぼやいた私に、佐久間さんと辺見さんがガクガクと頷いた。
咲山さんが、どこか虚ろな目をしながら、ポツリと言う。
「決めたわ。俺、生きて帰れたら総帥と法廷で戦う」
「それは死亡フラグだ咲山!」ガックンガックンと辺見さんが咲山さんの肩を揺さぶるのを横目で見つつ、佐久間さんが顔色を悪くしながら呟いた。
「俺たち、無事に帰れるかな……」
神のみぞ知る──と言う言葉があるが、この状況にこそこの言葉は相応しいだろう。
しかしこの場合、下手をすれば冗談抜きで神様のお膝元に行ってしまう可能性もある。
咲山さんの意見を真似た訳ではないが、訴えたら勝てると思う、確実に。
「とにかく、御鏡。起床時間を過ぎたら、メンバーに午前は自由行動──出来る限り体力を温存しておくように伝えてくれ」
「りょ、了解です……」
鬼道さんの下した苦渋の決断は、これ以上なく最善の物だったと思う。
──だけど出来れば、こんな指令は突っぱねられた方が、よっぽど良かったんだろうけど。
私はFAXに目をやった。
紙面には、パソコンで打ち出された無機質な文字が踊っている。
──2日目の予定。午後からは、ホテルから山道を通り下山すること。尚、下山しきるまで、乗り物や救助などの申請は受け付けないものとする。
「……登山とかって、専門の人が一緒じゃなきゃダメなんじゃなかったですかね……」
「影山総帥の前では、どんな常識も意味をなさない」
そう言い切る鬼道さんは、どこか悟ったような表情をしている。
冬の山を、ガイドも無しに下山。
──無事に下山出来たら、絶対にあの人に言ってやろうと思う。「総帥は鬼の化身なんですか」と。
「死亡フラグは端から折って行ってやるからな!!」
やや涙目になっている辺見さんが、ガッと私の頭を押さえつけた。
私たちの嘆きなど露知らず、時計の針は無情に進む。
昼食を終え、午後1時。経緯を説明し、げんなりした様子の部員たちを連れ立った私たちはロビーの出入り口付近に並ぶ。
私がホテルで無料配布している地図を眺めていると、ふいに隣から電子音。鬼道さんの携帯だ。
鬼道さんはディスプレイを見るなり、少し顔をしかめるようにすると、通話ボタンを押した。
「──はい、鬼道です。…………え?」
突然、どこか焦ったような色になった鬼道さんの声音に、みんながこちらに注目する。
「しかし、……いえ……はい」最後に分かりました、と一言告げて、鬼道さんは困惑した表情を引き締めながら通話を絶った。
「……御鏡。ボールを」
「へっ?あ、はい……」
何でここで急にボールが必要になるんだろう。私が首を傾げながらネットから取り出したボールを渡すと、鬼道さんはそれを片手に、みんなを見渡す。
「たった今、総帥から新しい指令が入った。──下山の際は、ボールを使用するように、だそうだ」
「は?」
つまりどういうことだ、とでも言いたげな視線に、鬼道さんは顔に影を落として続ける。
「簡潔に説明すると……ドリブルしながら下山しろということだ」
その瞬間、私は見た。
みんなの頭上に、ズガンと特大の雷が落ちたのを。
「──これより、特別特訓メニューを開始する」
そんなわけで、地獄の下山──もといトレーニングが始まりました。
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いってらっしゃいませ、とにこやかに言うのは従業員の方々。
後から知ったのだが、このホテルは影山総帥の財閥が取り仕切っているらしい。どうりで中学生だけの下山を止めないわけだ。
ボン、ボンとボールを蹴る音がするが、辺りは一面雪で覆われているため、ボールは転がることなく雪に埋まる。
ランニングの時点で悲鳴を上げていた辺見さんは、開始20分で既にぐったりとしていた。
「キツけりゃあ特訓になるってもんでもねーだろ……」
「全くだ」
意外にも、それに同調したのは鬼道さん。数メートル先に埋まってしまったボールを見て、鬼道さんは小さく舌打ちする。
「雪が邪魔で、足が上手く動かないな」
「つーか、足先がかじかんできたんスけど……」
そう言って、辺見さんはずぼりと雪から片足を引っこ抜いた。
第一、スパイクに防水スプレーを掛けただけの状態で雪道を走っているのだ。中に水分が浸透しても仕方ないだろう。
──で、かく言う私はというと。
「良いよな、お前は走らなくて」
「はぁ……」
ぶいーん、と小さく機械音を響かせながら、私を乗せたスノーモービルは至極ゆっくりと進む。
スタート間際に、ホテルの従業員の人が「こちらをご利用下さい」と持ってきてくれたコレ。
何と自動操縦かつ、周りの人のスピードに合わせて走るとことが出来るという意味の分からない高機能付きである。
「織乃ちゃん、それ、場所チェンジしてくれたりは……」
「そ、そうしたいのは山々なんですけど……」
どうやらこのスノーモービルはより特殊に作ってあるらしく、特例を除き(けが人が出た場合など)私や荷物以外のものが乗ると、エンジンが止まってしまうのである。科学の力って怖い。
「マネージャー、中継地点まであとどのくらいだ?」
「あ、えーっと……」
こちらを振り返った咲山さんに、私はガサガサとリュックから地図を取り出した。
「あと小1時間くらい歩いたら、山小屋が見えてくる筈です」
「小1時間か……」
白い息を吐き出しながら、源田さんが呟く。
しかし、山小屋と言ってこの辺りの山を登る人は少ないらしく、設備もそれに伴いあまり充実していないらしい。
総帥が遭難云々といった指令を出したのは、そのあたりを考慮してのことだったのだろう。どうせなら時期を考慮してほしかった。
「ちくしょう、俺の体重が空気よりも軽ければ……っ!」
ずぼずぼと雪の中を進みながら、佐久間さんが私を──というか、スノーモービルを恨めしげに睨みつける。
というか、空気よりも軽かったらそれはもう人間じゃないのでは。一瞬そんな考えが頭を過ぎったが、八つ当たりされるのは目に見えていたので私は黙って地図を見つめておいた。
そうして更に、1時間。
たどり着いた山小屋を見上げるなり、辺見さんが声を上げる。
「……え、ボロッ!!」
声と言うより、その様子を示す擬音のようだった。
野晒しにされたように風化した外壁、巻き付いた蔦は枯れて、カサカサになっている。
中は掃除こそされていたが、思わず「築何十年?」と聞きたくなるような状態では、そんな言葉が飛び出ても仕方なかった。
ぷしゅー、と山小屋の前に着いた途端にエンジンの切れたスノーモービルから降りて(科学の力って怖い)早速暖炉に火を熾した私は、案外高い天井を見上げる。
「……朝起きたら、屋根が雪の重みで落ちてきたりしてな」
「!? こここ怖いこと言わないで下さいよ、縁起でもない!」
暖炉の前に縮こまった咲山さんの呟きに、私は思わず自分の肩を抱いた。
というか、咲山さん、もしかして寒いのが苦手なんだろうか。いつもはヤンキーみたいな首の曲げっぷりなのに、下山し始めてからずっとネガティブ全開というか──
「俺、この合宿が終わったら、スポーツ店で目ェ付けてた赤いバット買いに行くんだ……」
「死亡フラグ!」
うん、ネガティブ全開。というかサッカー選手なのに何故バット。
辺見さんに頭をひっぱたかれた咲山さんの背中を眺め、私が首を捻ったその時だった。
ピルル、ピルル──と、くぐもった電子音が、室温の上がり始めた山小屋に響く。
「──総帥からだ」
その言葉に、疲れ切ってぐったりとしていた部員たちがハッと体を起こした。本当、どこかで監視してるんじゃないかと思うくらいのタイミングの良さだ。
鬼道さんは携帯をスピーカーモードに切り替えて、通話ボタンを押す。
『中継地点に着いたようだな』
特有の、感情の籠もらない声。
はい、と鬼道さんが返事を返すと、総帥は「次の指令だ」と言葉を続けた。鬼道さんは一瞬苦虫を噛んだような顔をしたが、すぐいつもの表情に戻って私に何かジェスチャーする。
私はメモの用意をして、頷いた。
『まず遡って説明しよう。下山までのタイムリミットは、明日の午後6時までだ』
「……万が一、その時間を過ぎてしまった場合は?」
『麓に待たせたバスがお前たちを乗せることなく去っていくことになる』
淡々と、事も無げにそう言い放たれた言葉に、山小屋の気温が少し下がったような気がした。
総帥はそのまま続ける。
『明日、どんなスケジュールで行動するかはお前たちの自由だ。ただし──』
そのスケジュールで何が起ころうと、私は一切責任はとらない──と。スパン、と切り捨てるような台詞に、全員が硬直する。
誰よりも先に硬直状態から回復した鬼道さんは、ギュッと携帯を握り直した。
「──了解しました」
『ああ、それと』
「はい?」
まだ何かあるのか。思わず身を乗り出して、じっと耳を澄ませる。総帥は物のついでみたいに軽い調子で言葉を続けた。
『山小屋の近くに温泉があるらしいから、入浴はそこで済ませるが良い。では、学園で待っている』
──ブチン、ツー、ツー。
みんながに再び一斉に硬直状態に陥る中、ただ通話の切れた音だけが空間を支配していた。