──どさどさどさ、とどこからか聞こえてきた雪解けの音で、私は目を覚ました。
「んぅ……」
うっすらと目を開けると、古びた木目の天井と、窓の外で白み始めた空が視界に入る。
私はのそのそと頭を上げて、眠気眼で腕時計を確認した。
「…………ごじ」
起床時間まであと30分。これはやっぱり、起きておいた方が良いんだろうな。
──と、頭では考えるのだが体が動かない。本能が寝袋から出ることを拒否している……。
「寝るな」
ふと突然、誰かに軽く頭を叩かれた。
「うぶっ」とその反動に顔を寝袋に埋めて、私は目を擦りながら頭を上げる。
そこには、片膝を突いた鬼道さんが呆れ顔で私を見下ろしていた。
「……お、はよーござい……ます」
「ああ、おはよう。出来ればそのまま起きておけ」
鬼道さんが何か言ったようだったが、うまく頭に入ってこない。
生返事しかしない私を、鬼道さんはむっと眉間に皺を寄せながら、もう一度「起きろ」と言ってぐにっと頬を抓った。
「……いひゃいれす、きどーしゃん」
「なら、早く起きろ」
「……あとじゅっぷんだけ……」
「だから寝るなと言っているのに」
ぐらん、と横に傾いた私の体を、鬼道さんは少しびっくりしたように支えてくれる。
ああ、鬼道さんって腕細いのにやっぱり男の子だからだろうか、力が強いや。
ふいに、何か暖かいものが頭をすっと往復する。くしゃり、と動いた髪が少しくすぐったい。
何だか安心する。だけどつい最近も、この感じを味わったような──
「……いつまでやってるんだ?」
「ッ!?」
──ゴンッ、と。
夢心地から一転、状況がよくわからないまま体を支える物がパッと離れて床に倒れ、側頭部に衝撃を受けた私は瞼の裏に星を飛ばす。
い、いたい……もう、なんだっていうんだ、ほんとうに──
「……源田。起きてたなら言え」
「今起きたんだ。……で?鬼道は何をしていたんだ?」
「……起こしていただけだ」
「鬼道さんのムッツリー」
「辺見起きたのならこっちへ来い、ジャッジスルーをくれてやる」
「ちょ、それは勘弁して下さい!──て言うか、鬼道さん?」
「何だ」
「ヒヨコ、二度寝してますよ」
「……!?起きろ、御鏡!」
:
:
「う、……んー……?」
瞼に刺さる光にまばたきを繰り返して、目をこする。腕時計の時刻は、丁度5時25分を指していた。
「ヒヨコぉ!お前、起きんのおっせえんだよっ!!」
「うおわぁッ!?ご、ごごごごめんなさいっ!?」
ふいに視界ににゅっと辺見さんが割り込んできて、私はあまり女子らしくない悲鳴を上げて仰け反る。
……というか、アレ。
「辺見さん、何で額に痣が……」
「お前のせいだバカッ!」
「ええぇ責任転嫁!?」
ちょっと涙目気味な辺見さんにユッサユッサと体を揺すられながら思わず叫んだ。うえ、酔いそう。
「──お前のあの寝惚け癖は、何とかならないのか?」
「あ、き、鬼道さん……」
おはようございます、と掠れた声で階段を登って現れた鬼道さんに挨拶すると、鬼道さんは何だかすごく微妙な表情しながら、「覚えてないんだな」と呟いた。
「え。な、何をですか……?」
「……いや。分からないなら良いんだ、そのままで」
そう言われてしまうと、余計に気になるのですが。
「実は鬼道さんてばよぉ」ニヤニヤしながら何かを言い掛けた辺見さんを、鬼道さんは鋭いひと睨みで黙らせる。こ、怖い……。
「御鏡、起きたのか?」
「あ、お、おはようございます、源田さん」
「ああ、おはよう」階段下からひょいっと顔を覗かせた源田さんは、少し微笑む。
そしてふとこちらに寄ってきたかと思うと、じっ──と私を見下ろしてきた。
……え、な、何?何事?
私が疑問符を飛ばしている間に、源田さんはどこか満足そうな表情になって、私の肩をポンと叩く。
「やっぱり、こっちの方がしっくりくるな。御鏡は」
「な、何が……?」
私、自分の知らない内に何かやらかしてしまったんだろうか。うんうんと考えている間に、源田さんは肩から手を退かす。
「鬼道。もう起床時刻になるが、出発はいつにする?」
「とりあえず……全員を起こしてから、考えよう」
そう答えた鬼道さんは、スタスタと階段を降りて行った。
そして一番手近にいた土門さんから順に、少々手荒な方法(背中、お腹を踏んづけるなど)で起こしていく。
……これ以上被害が広がらない内に、私も他の人を起こしにいこう。
私も慌てて1階に降りて、まずは壁際で寝袋にくるまって丸くなっている佐久間さんを起こしに掛かる。
「佐久間さん、朝ですよ」
「……んぐぅ……」
「……佐久間さん、そこにペンギンが」
「っマジで!?」
試しに言ってみただけだったんだけど、本当に起きるとは思わなかった。
勢いよく跳ね起きた佐久間さんは一瞬キョロキョロして私に目線を固定すると、ふっと溜め息を吐いた。
「何だ、夢か……」
「(すいません現実です)お、おはようございます、佐久間さん」
ああ、とくぐもった声で言いながら、佐久間さんは欠伸をかみ殺す。
続けざまに、「朝ご飯ですよ!」と声を少し張り上げて言ってみると、体の大きな大野さん兵藤さん渋木先輩が弾かれたように起きあがった。
ちょっと面白い。
「まぁ、朝食と言っても、ただの携帯食料だがな」
呟くように付け足した鬼道さんに、3人はへなりと脱力する。
暖炉に火を熾し、私がお湯を沸かすのを一瞥しつつ、鬼道さんは広げた地図と腕時計を見比べた。
「朝食後、9時に出発する。それまでに、各自ストレッチをしておくように」
鬼道さんの指示に、全員が頷くなり返事を返すなりと反応を見せる。
それから程なくし侘びしい朝食を終え、ストレッチと荷物の整理を済ませた私たちは再び山小屋の外へ出た。
全員に念のため雪目防止用のサングラスを渡して(鬼道さんはゴーグルで事足りると辞退した)、私は全自動のスノーモービルに乗り込む。
その瞬間、見計らったように勝手にエンジンのついたスノーモービルに戦慄。何かもうコレ、怖い。
一度全員を一列に並ばせ点呼を取った後、鬼道さんはバサリと赤いマントを翻した。
「よし──出発するぞ!」
その声を合図に、部員たちは雪道へ足を踏み出す。
鬼道さんの言っていた通り、一昨日のランニングや昨日の下山で雪道に慣れたらしく、幾分かスムーズな足取りだ。
ゆっくりと動き出したスノーモービルの上から、私は遠ざかっていく山小屋を一瞥する。今日で合宿も終わりか思うと感慨深い気もするが、出来ればもう二度とこんな目には遭いたくない。
そうして、30分弱。
雪道を進んだ私たちは、少し道から逸れ平地になった場所で休憩していた。
私は出発前に準備したドリンクを配りながら、空を振り仰いだ。この調子なら、日没までには麓にたどり着けるだろう。
偏に合宿と言えども、やっていることは殆どサバイバルに近いのだ。早く帰れるに越したことはない。
ふと、遠くに見える山をざっと眺めた鬼道さんは、立ち上がって膝についた雪を払った。
「山の天気は変わりやすいと言うからな──そろそろ行くぞ」
その一言に、休憩していたみんなは力の籠もった返事を返しながら、雪の上から立ち上がる。
そうして私たちは、再び下山を開始した。
スノーモービルは比較的後方を走っているから、丁度みんなの背中が見渡せる。
──形は違えど、試合をサポートするときは、こんな光景を眺めることになるのだろうか。
ボールを追いかけるみんなの背中を、見ることになるのだろうか。
『試合の有無の確認も、マネージャーの仕事の内だ。──ただ、これを決めるのは総帥だからな』
ふいに、いつかの鬼道さんの、何かを含んだような言葉が蘇る。
──私は、見ることが出来るのだろうか。みんなが戦っている姿を。
知ることが出来るのだろうか。みんなが隠している、何かを。
私は、スノーモービルの上で小さく体を縮める。
ぼさりと、近くの木から雪の固まりが落ちる音が聞こえた。
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そうして、昼食を挟み(これもまた携帯食料である)、30分の前進、十数分の休憩を交互に繰り返して、数時間。
「……ん?」
徐々にスノーモービルのスピードが緩まってきたことに気がついた私は、顔を上げた。
少し距離はあるが、雪かきのされたコンクリートの地面が見えて、ハッとする。
「なぁ、あれって……」
佐久間さんが、ふいに前方を指さした。
コンクリートの地面、駐車場。そこに、1台の大きなバスが留まっている。合宿初日に、私たちを乗せて山を登ったバスだ。
「やっと辿り着いたな……」
「や、やりましたねっ、これで合宿終了ですよ!」
これで家に帰れる!と思わずはしゃいでスノーモービルから転げ落ちそうになった私を、鬼道さんはほんのちょっぴり笑いながら諫める。
「さぁ、──学園に帰るぞ!」
「はいっ!!」
最後まで乱れることのない声。重厚で威圧感のあるバスが、今だけは私たちを歓迎してくれているように見えた。
ついでに、後日談。
鬼道さんと共に、総帥の元へ合宿の成果報告をしに行った際。
「……来年の夏合宿は、無人島にでも行ってみるか」
書類を見ながらそんなことを呟く総帥に、私たち2人が顔を見合わせ真っ青になってしまったのはここだけの話である。