「何だ、有人。友達か?」
「っああ、はい……サッカー部の、マネージャーをしてもらっています」
私と鬼道さんが目を丸くする中、少し驚いたような父親の声に、鬼道さんはやや戸惑いながら答えた。
鬼道さんのお父さんは、ふむと考えた後、私のお父さんに視線を投げかける。
「どうですか、御鏡さん。ここは子供たちだけにしてやっては?」
「え?うーん……そうですね、確かに挨拶まわりに子供たちを付き合わせるのも……」
うん、と一人納得したお父さんは、ふと鬼道さんに目を向けた。ほんの少しだけ目付きが鋭い。
鬼道さんは少し驚いたように、小さく肩を揺らす。
「──うん。鬼道さんの息子さんなら安心だ。では行きましょうか、鬼道さん」
「ああ。それじゃあ有人、行ってくるよ。織乃さんをしっかりエスコートするんだぞ」
そのまま大人2人は、私たちの返事を聞かないままあっという間に人波の中へ消えていった。
私と鬼道さんはポカンとそれを見送った後、顔を見合わせる。
「……端に、寄るか」
「はい……」
私たちはお互い微妙な雰囲気になりながら、ホールの端へ寄った。
壁に背中を預けて一息吐くと、鬼道さんが「それにしても」と口を開く。
「まさか、同じ理由だったとは思わなかったな」
「そうですね……」
特に私に関してはそうだろう。
普段なら、こんな豪華なパーティーに縁もゆかりもないのだから。
「だから鬼道さん、あんなに憂鬱そうにしてたんですね」
「それはお前も同じだろう。たまにこうしてこういう場に連れ出されるが……慣れないんだ」
それは──そうだろう。私は答える代わりに、目の前でざわつく群衆を眺めた。
この大人たちの中に1人だけ混じるのは、ひどくプレッシャーが掛かる。現に数分前の私がそうだったから、彼の気持ちはよく分かった。
ホールの奥の方で、ざわめきが大きくなる。
どうやら主催者の人が弁舌を奮い始めたようだったが、人の壁に視界を阻まれて、その姿を見ることは出来ない。
「それはそうと、御鏡の父親はとうさんと仲が良いみたいだな。何の仕事をしてる人なんだ?」
「あ……えと、国際ジャーナリストです。色んな商業とかの取材を担当してるって……」
まぁ、国際と銘打っても、実際海外へ飛ぶのは4年か5年に一度程度なんだけれど。
そう付け加えると、鬼道さんは納得したように頷いた。
「それで、アメリカに転勤したり……か」
「はい、──あれ?」
私、鬼道さんにその話したことあったっけ。
首を捻ると、鬼道さんは僅かに眉を動かして私から視線を外す。
「……土門からな」
「ああ、成る程」
別に隠しておきたかったわけでも、土門さんに口外して欲しくなかったわけでもない。
私は納得して、頭を前へ戻した。
「鬼道さんのお父さんは?」
「……財閥を取り仕切ってる」
「……て、ことは……社長さん?」
まぁな、と鬼道さんは前を見据えたまま、さらりと返す。
これはまた──このパーティーの主催者と言い、お父さんの人脈には驚かせられるばかりだ。
「(──じゃあ、鬼道さんが次の社長……ってことになるのかな?)」
思わず鬼道さんをじっと見つめると、それに気付いた鬼道さんが眉を動かす。
私は少し不躾だったかと、急いで目を伏せて視線を外した。
「──それにしても、とうさんたちが気を利かせてくれたのは良いが、時間が空いてしまったな」
「暇、ですよね……」
挨拶まわりに付き合わなくて良くなったのは幸いだが、やることがない。
だからといって、テーブルに並んだ食事にありつこうものなら悪目立ちしてしまうだろうし。すると鬼道さんは少し考えると、急にニッと口角を上げた。
「──御鏡。悪いが、理由になってもらっても良いか」
「はい?」
「暇なんだろう?」と鬼道さんは私の了承を得ないまま、突然ポケットから携帯を取り出す。
どうやらお父さんに連絡を入れたようだ。話の内容は雑音で聞こえなかったが、鬼道さんは一言三言、言葉を交わし通話を切る。
「よし、行くぞ」
「え、ど、どこへ?」
踵を返した鬼道さんを慣れないヒールにぐらつきながら追うと、振り返った鬼道さんはニヤリと笑った。
「暇つぶし≠ノ、だ。……エスコートは必要か?」
「う……い、いりませんっ」
どうやら足元が覚束無いのを悟られたらしい。からかうような口調に私がそっぽを向くと、鬼道さんは笑みを深めながら扉に手をかける。
そして私たちは、ざわつく室内から閑散とした廊下へと出た。
カチャンと扉の閉まる音が、やけに響く。受付の人はどこかへいっているのか、姿が見えない。
そのまま靴音を響かせて廊下を進む鬼道さんの背中に、私はちらりといつかのことを思い出した。
「き、鬼道さん……本当に勝手に出てきて良かったんですか?というか、なんて理由で……」
「ああ、お前が人混みに酔ってしまったから付き添いついでに風に当たってくる──と言っておいた」
「妥当な理由だろう?」したり顔でこちらを見る鬼道さんに、私は舌を巻く。よくもあんな一瞬で言い訳を思いつくものだ。
……というか、私を理由にするって、そういう意味だったのか。でも、風に当たってくるって、一体どこに行くんだろう。
疑問に思って尋ねると、鬼道さんは簡潔に「屋上だ」と答えた。
「屋上?行っていいんですか?」
「ああ。今日このビルは、主催者が貸し切ってるそうだからな。警備員に見つかっても、招待客の連れだと言えば問題はない」
はぁ、と私は気の抜けた声で返す。しかし、クリスマスパーティーの為にこんな大きなビルを貸し切るとは、随分豪勢な。
主催者の人は、私が想像している次元とはまた飛び抜けたところにいるらしい。
「でも、主催者の人が私たちに会いたがってるみたいな話を聞きましたけど……」
「ああ。だが、今夜は無理な相談だろうな。御鏡、このパーティーに何人くらいの客が呼ばれたか、知っているか?」
ボタンを押してエレベーターを呼び出した鬼道さんの問いに、私は首を横に振る。
すると鬼道さんは、指を2本こちらに向かって立てて見せた。
「約200人、だそうだ」
「にっ……!?」
思わぬ数に言葉が詰まった私に、鬼道さんは淡々と頷く。
「それだけの人数だ。とうさんたちが主催者に接触できるのはものの数秒だろう。話を持ちかけた方だって、忙しさに忘れていても仕方がないさ」
「ですね……」
ただ呆然と、私は鬼道さんに同調するしかなかった。
しかし、あの部屋に200人も人がいたとは。道理で窮屈に感じる筈である。
思わず溜息を吐いた丁度その時、見計らったようにやってきたエレベーターに私たちは乗り込んだ。
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「──わぁ……!」
キンと冷えた空気の中、私は眼下に広がった光景に息を飲む。
「凄いですよ鬼道さん!」屋上の柵に捕まりながら振り返った私に、鬼道さんが苦笑した。
「落ち着け、御鏡」
「あっ、す、すいません……」
はしゃぐ私を諫めた鬼道さんに少し恥ずかしくなりながらも、私は再びビルの下を覗き込む。
街を彩る煌びやかなイルミネーションと、車のライトが星のように瞬いて、思わずほうと息が漏れた。
生憎と本物の星は分厚い雲に隠れて見えないものの、それでも私の心を動かすにはこれで十分だ。
「──とうさんたちが、1時間以内には部屋に戻ってくるようにと」
携帯を閉じながら言う鬼道さんに頷いて、私は立ち上って行った自分の白い息を見上げた。
「そういえば……鬼道さんは、お父さんに敬語を使うんですね」
ふと、先程から気になっていたことを尋ねてみる。
そしてすぐに後悔した。鬼道さんが、どことなく寂しそうな表情をしたのが見えたのだ。
「……お前と同じ、癖みたいなものだ。俺は、鬼道家の養子だからな」
「え」
口から掠れた声が漏れる。
──私には、鬼道さんは初めから、鬼道さん≠ナあることが当たり前だったから。
思わず、ごめんなさい、と咄嗟に小さな声で言うと、鬼道さんは少し困ったように笑う。
「……そんな顔をするな、御鏡。俺が虐めたみたいじゃないか」
そう言って、鬼道さんは私の頭を撫でた。この人にこうやってされるのは何回目だろうかと、頭のどこか冷静な部分が呟く。
鬼道さんの手は、気温とは逆に、とても暖かかった。
「──義父さんは、良い人なんだ。総帥から推薦された俺を、施設から引き取ってくれて」
ふいに、鬼道さんは私の頭に手を乗せたまま、訥々と語り出す。
両親の事故のこと。影山総帥と出会った施設のこと。──そして。
「……妹がいるんだ」
小さく呟いた鬼道さんは、そこで私の頭を撫でていた手を止める。
「あと2年で、──迎えに行ける」
私は、何も言わなかった。
訊けなかったのだ。
鬼道さんの言う2年が何を指すのかも、どうしてそんなに、苦しそうな顔をしているのかも。
ゴーグル越しにうっすらと見える目は、私を通り越してもっと遠くのものを見ているようで。……何故だか少しだけ、寂しくなった。
「──似てますか。私と妹さん」
「え?」
口をついて出た問いに、鬼道さんは虚を突かれたような顔をする。
「どうしてそう思う?」逆に聞き返された私は、少し居心地悪さのようなものを感じながら、鬼道さんから目を逸らした。
「……鬼道さん、最近こうやって私の頭撫でるから、何となく……」
「…………」
「っあ、嫌ではないんです!」
途端、難しい表情になって手をのかそうとした鬼道さんに、私は慌てて付け加える。
鬼道さんは「そうか」と一言返して、やっぱり手をのかすと、改めてこちらを見た。今度は、ちゃんと私≠見ている。
「──外見や性格は、全く似てないな。……ただ、あるとしたら」
「……? あるとしたら?」
1秒、2秒、3秒。
たっぷりと間を空けた後で、鬼道さんはそっぽを向いた。
「……まぁ、そんなとこだ」
「声に出てませんよ鬼道さん!」
あからさまな誤魔化しに思わず声を大にして突っ込んでしまう私。
鬼道さんは寒さに顔を赤らめながら、軽く笑って交わすだけだ。
「──なぁ、御鏡」
「はい?」
ふいに鬼道さんは、街を見下ろしながら静かに切り出す。
私はそんな鬼道さんを見上げる形で、言葉の続きを待った。
「この先、お前はいつかきっと、俺たちを──サッカー部を、快く思わない日が来るだろう」
「え?」
唐突な鬼道さんの不吉な予言に、私は顔をしかめる。鬼道さんは変わらず、街をじっと見下ろしているだけだ。
「何、で……そんなことになっちゃうんですか……?」
「……今までがそうだったからな」
今まで。それは、私の入部前のことを言っているのだろうか。
鬼道さんは、構わず続ける。
「出来れば俺たちは、……このままお前に嫌われるようなことなく過ごして行きたい。……だがきっと、それは無理な話だ」
遠くの方で、車がクラクションを鳴らす音がした。
鬼道さんは街から視線を外し、どこか寂しげな顔で私の方を見る。
「だから、そのいつか≠ェ来るまで、御鏡。俺たちを支えていて欲しい」
「…………」
鬼道さんの言葉に、私は頷くことが出来ない。
その代わり、どこか遠くを見つめるような瞳に、せり上がるもの。
「……何で、私が嫌いになるって、そう決めつけちゃうんですか」
「──御鏡?」
──それは、鬼道さんに対する憤りだった。
キッと目を吊り上げると、鬼道さんはそれが予想外だったようで、驚いたように眉を上げる。
「今までがそうだったとか、そんな物差しで私の気持ち決めないでください!今の私にはみんながいるサッカー部が居場所なんです、無くしたくないんです!それに私!鬼道さんたちが思ってるよりずっとずっと!鬼道さんたちのことが大好きなんですからね──!!」
──そこまで言ってしまったところで、私はハッと口を噤んだ。も、物凄く恥ずかしいことを長々と語ってしまった……!!
目の前では、鬼道さんがさっきの驚いた顔のままで私を見ている。
「……まさか、お前がそんなことを言うとは思ってなかった」
「すすすすいません調子乗りましたごめんなさいいいい!!」
「こら待て逃げるな」
逃走失敗。腕を掴まれた私の体がガクンと止まる。羞恥心に頬を熱くしていると、クツクツと小さく笑い声が聞こえた。
鬼道さんが、口元を抑えて声を押し殺しながら笑っている。
「……わ、笑わないで下さいよ」
「いや、すまん。──ありがとう、御鏡」
そう、嬉しそうに言う鬼道さんが私の頭を再び撫でるものだから、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
息を整えて俯いた私は、小さく呟く。
「嫌いになんか、なりませんよ」
「ああ」
口では何とでも言える。
だけど私は、それを繰り返す。
さっきの話はきっと、鬼道さんの弱さの一部だ。
何で私に話してくれたのかとか、あの話をしたことが鬼道さんの中でどれほど大きいとか、そんなことはわからない。
だけど私には、あれがみんなを受け止める、許容する理由になる。
鬼道さんたちが何を隠しているのかはまだ分からないけど、私は、何があってもみんなを嫌いになりたくない。
大切な人たちだから。
それから私たちは言葉を交わさず、雪が降り始めるまで隣に並んで夜の街を静かに見下ろしていた。