12月26日。
今日は、学園に泊まり込みで合宿の日だ。
「御鏡、何かやつれてないか?」
休憩時間の最中、ふと私の顔を見た佐久間さんが眉根を寄せる。
私はノートにシャーペンを走らせる手を止めて、苦笑いした。
「ちょ……ちょっと、行き掛けに色々とゴタゴタがありまして……」
「ゴタゴタ?」
ジャグを傾けていた鬼道さんが、ついと片眉を上げる。
他の、近くにいるみんなも不思議そうな顔をして、こちらに注目しているが──言えるわけがない。
『が……合宿!?そんな!大勢の男子の中に1人混じって外泊なんて、パパは許しませんよ!!』
半泣き(寧ろ半狂乱)になった父親を、宥めて諫めて叱って慰めて、体力を使ったせいだなんて。
…………言えない。
「……そう、色々」
「遠い目になってんぞ、ヒヨコ」
何があった、といつもならからかうばかりの辺見さんまでもがそんなことを言ってくる始末。
ここまで心配されると言わないのも逆に悪いか、とお父さんの取り乱しようは伏せて、掻い摘んで説明することにした。
「えーっと……何て言うか、お父さんに、合宿を反対されまして」
「合宿を反対?」
そういうことに厳しい人なのか?と尋ねる源田さんに、私は唇を結ぶ。私限定で≠ニ付け加えるのは、ギリギリセーフだろうか。
「しかし、そんなに厳しそうな人には見えなかったが……」
「え?」
源田さんたちが、キョトンと振り返る。
その視線の先にいた鬼道さんは一瞬ハッとすると、何食わぬ顔をしてサッと顔を逸らした。
しかし、今更もう遅い。
鬼道さんの呟きをしっかりと聞き取ったらしいみんなは、各々違う表情で鬼道さんを見つめる。
「鬼道……」じと目になった佐久間さんの視線に気付かない振りをしつつ、鬼道さんは私の方へ歩み寄った。
「御鏡、今日の夕食はどんな手筈になっているんだ?」
「か、カレーにしようかと」
唐揚げでも付けましょうか、とどうでも良いことを話しながら、私たちはそそくさと部室へ向かう。
否、向かった──のだが。
「2人とも」
説明してくれるよな?──と。
超が付くほどの良い笑顔の源田さんに行く手を阻まれて、私たちは顔を見合わせ溜息を吐いた。
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「このブルジョア共め……」
仕方ないので昨夜のことを説明すると、返ってきたのは舌打ち混じりの低い声。そんな反応をした咲山さんが、現在進行形で包丁を握り締めてガスガスと人参を切りつけていくものだから、私も気が気でない。
夕飯作りを手伝ってくださったらお話しします!──と。
あのじっとりした空気をなんとかするためにそんな案を出したのは他ならぬ私だったが、こうビジュアル面を考慮するとそれも失敗だったようである。
野菜の青臭いにおいが充満する貸し切りの家庭科室で、私は小さく溜息を吐いた。
「だから言いたくなかったんだ」
「まぁ、そう言うなよ」
ぼやく鬼道さんを宥めつつ、玉葱を切る手を止めない源田さん。
私が予備で持ってきたエプロンをつけた姿が、何故だかとてもしっくりくる──と思ってるのは、みんな同じだろう。
現にさっき、ふざけて源田さんを「おかん!」と呼んだ辺見さんは、お玉で額を重点的に殴られて現在部室でダウン中だ。
「でも、今回は合宿っつってもたった1日だろ。それを止めるくらいなのに、何で前の合宿は問題なかったんだ?」
「うちのお父さん、大体1週間の内4日は出張で家にいないんですよ。この前は丁度その4日と合宿が被って……あ、佐久間さん、切ったじゃが芋はこっちの水の張ったボウルに入れてください」
「ん、おう」
佐久間さん作の身の少なくなったじゃが芋が、ぽちゃんぽちゃんとボールに沈む。
私は足りない分を追加すべく包丁を握り直した。
「まぁその代わり、前はお兄ちゃん達に色々と止められたんですけど、ね……」
思い出す、目眩く抗議の嵐。あの時も大変だった。
『が……合宿!?何言ってんの姉ちゃん!だってサッカー部って男ばっかなんだろ!?』
『そうだぞ織乃、いくらサッカー部が良い奴らでも子羊が狼の群に突進していくようなもんじゃないか!!お兄ちゃんはお前をそんな無謀な子に育てた覚えはありません!』
『おおかみいるの!?』
『お姉ちゃんたべられちゃうの!?』
思い出さなきゃ良かった。
「…………そう、色々」
「……何か、すまん」
遠い目をした私に色々な何かを悟ったのか、聞いてきた佐久間さんは何とも言えない表情をして、次の野菜に包丁を入れる。
「何、お前そんなに家族に溺愛されてんの」と、で私の(強烈な)家族をみたことがない咲山さんが、ちらりと横目で私を見た。
「溺愛と言えば、そうかもな」
その問いに答えたのは源田さん。
そう言えば彼は、お兄ちゃんと大樹以外、良樹と和樹にも対面しているのだ。この中では最も私の家族を把握していると言っても過言ではないだろう。
「やっぱりあれか?母親もあんな感じだったり……」
「いえ、お母さんは唯一のストッパーです」
お父さんとバカップルなところを抜かせば、お母さんのような人の存在はとても有り難い。
どちらかと言うと放任主義なお母さんだが、その鶴の一声には兄弟もお父さんも適わないのだ。
事実、その都度「あなた達いい加減にしなさいよ?」と顔にズンと黒い影を落とし満面の笑顔を浮かべるお母さんには、有無を言わさぬ迫力がある。
「まぁ、何にせよ、家庭が平和なのは良いことだろう」
「──そうですね」
鬼道さんのその言葉に。
ふと昨夜聞いた話を思い出した私は、つい口を噤んだ。
両親を亡くし、唯一の血縁とも離れ離れになった鬼道さんと、片や許容しきれないほどの愛情を受けながら育った私。
本当は、ただそれを当たり前と思ってしまっているだけで、普通の生活ほど幸せなことはないと、分かってはいるはずなのに──
「何、辛気くせーツラしてんだよマネージャー」
「あだっ!」
ごわん、と咲山さんが、中身の入っているらしいボウルを私の頭に力強く乗せる。
慎重にそれを下ろして中を覗き込むと、ズタズタに切られた人参が入っていた。何コレむごい。
「カレーってのは、作るのも食うのもワイワイするもんだろーが」
「ど、どこ情報ですか、それ……」
「テレビのCM」
ふん、と自信ありげに鼻を鳴らす咲山さんに、後ろにいた佐久間さんがちょっとだけ吹き出す。
「あァ?なァに笑ってやがんだよ、佐久間コラ」
「え、あ、ちょ、あぶっ……包丁!せめて包丁は下ろせ咲山!!」
ゆらりと包丁を持ったまま1歩踏み出す咲山さんと、それに顔を青くして逃げまどう佐久間さん。源田さんは玉葱と格闘中。部室では、今頃土門さん達が辺見さんをいじっていることだろう。
そうだ。鬼道さんは、私にプレッシャーを掛けたり、同情を誘う為にあの話をした訳じゃないんだ。
同じように昨夜のことを思い出したらしい鬼道さんと顔を見合わせ、私たちは目の前で繰り広げられる光景に小さく笑った。
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咲山さん曰く。
カレーと言うのは、作るのも食べるのもワイワイするものらしい。
全くもってその通りだと、私は今実感している。
「おかわり!」
「俺も!」
「あ、はーい」
突き出された空のお皿に、私は大盛りのご飯とカレーを装った。
大野さんと渋木先輩は先程からお互い競い合うようにして食べ続けている。2人ともこれで3杯目のおかわりなのだが──成長期の食欲で片付けるべきなのか、それとも体の大きさで片付けるべきなのか、そろそろ難しいところだ。
しかし、と私はスプーンを口に運びながら、テーブルを眺める。
ピンとした姿勢で席について食べる鬼道さんや源田さん、玉葱が苦手なのか時々憎たらし気な顔で皿を睨む佐久間さん、少しマスクを持ち上げてその隙間へスプーンを持っていく咲山さん(非常に食べ辛そうだ)と、食べ方にも個性が出るようである。
しばらくすると、沢山のカレーが入っていた鍋は綺麗に空になった。
「ごちそうさま」
「美味かったぞ、御鏡」
「お粗末さまでした」
食器洗いに勤しむ私に、テーブルのお皿を持ってきてくれた寺門さんや源田さんに、私は顔を綻ばせる。
他の人たちは、今頃シャワールームで汗を流している頃だろう。
「御鏡!」ふと名前を呼ばれ振り返ると、丁度シャワールームから戻ったジャージ姿の佐久間さんが小走りにやってきたところだった。
「まだ終わらないか?」
「えっと、あと3枚くらいです。何か用事ありましたか?」
尋ねると、佐久間さんは一瞬言い淀んだ後、私の隣に並ぶ。
「……て、手伝う」
「え?ああ、大丈夫ですよ佐久間さん」
「おわっ!」
「うわああ!」
ツルンと佐久間さんの手から離れたお皿を寸でのところでキャッチして、私は胸を撫で下ろした。
今日夕飯作りを手伝ってもらって初めて知ったのだが、佐久間さんはサッカー以外のことに関してはほんの少し不器用だ。
「さ、佐久間さん……ここは大丈夫なので、ミーティングルームの方お願い出来ますか?多分、源田さんたちが寝る場所を作ってくれてるはずなので……」
「……わ、分かった」
しょぼん、と目に見えて落ち込む佐久間さんに押し寄せる罪悪感。とぼとぼと遠ざかるその背中に、私は思わず声をかけた。
「佐久間さん、気持ちは嬉しかったのでありがとうございますっ」
「……おうっ!」
佐久間さんは案外可愛らしい人である。
さて、話は変わるがミーティングルームは意外と広い。
折り畳み式の机と椅子を全部端に寄せてしまえば、あっという間に寝るスペースが確保できるのだ。
と言っても、以前の合宿で使用した寝袋を人数分敷くと足の踏み場は無くなってしまうが、贅沢は言えないだろう。
そしてそんな中、私は。
「──な、何か、疎外感を感じるんですけども……」
「隔離と言え」
余計に嫌です。
部室にて、ベンチを2つ並べてマットレスを敷いた簡易ベッドに腰掛け、私は目の前で仁王立ちする鬼道さんを見上げた。
女子をあの中で寝かせるわけにはいかないだろう、と私がミーティングルームで一緒に寝ることを断固拒否した源田さん。
確かに彼の言い分は当然と言えば当然なのだが、「源田さん私のお父さんたちみたいなこと言いますね」と思わず呟くと、源田さんは少しショックを受けたような顔をしていた。
「そう拗ねるな、御鏡」
「別にそういうんじゃないです、けど…何て言うか……」
言い渋る私を、鬼道さんは訝しげに見下ろす。
そしてふいに、思いついたように意地の悪そうな顔で笑った。
「何だ、寂しいのか」
「…………」
図星だから、何も言えなくなってしまうわけで。
顔を少し上げると、鬼道さんはムッと唇を引き結んで片眉を上げる。そして無言で、私の頭にぽすんと手を乗せそのまま撫でつけた。
「──それじゃあ、おやすみ」
「……おやすみなさい」
鬼道さんは満足げに頷いて、部室の電気を消して去って行く。
真っ暗闇の中、横になって天井を見上げると、扉の僅かな隙間から入った光が、空気中の埃を浮かび上がらせたのが見えた。
これは大晦日、部室の大掃除をした方が良いかもしれない。
1人決心して、遠くから聞こえるみんなの騒ぎ声をBGMにしながら、私はゆっくり眠りに落ちた。