「あ、明けましておめでとうございます……」

三が日が過ぎ、1月4日。年明け、初めての部活動。
部室を抜けてスタジアムへ行くと、既に全員がフィールドで練習に勤しんでいた。

「御鏡か……ああ、おめでとう」

丁度ベンチに戻ってきた鬼道さんが、私に気が付く。私は頷いて、書類を片手にベンチへ腰を降ろした。

「何だか、今日は皆さん来るのが早かったんですね」
「ああ……今日は今のうちに体を暖めておかないとならないからな」

「今日は?」首を傾げると、鬼道さんはそう言えば教えてなかったなと、思い出したように呟く。

「3ヶ月に1度、この日は──俺たちが篩いに掛けられる日だ」
「ふるい……?」

ああ、と鬼道さんが答える一方で、私は入部して間もない頃、佐久間さんに聞いたことを思い出した。

『チームには弱い人間はいらない。要はそういうことだ』

私はあの時、何と答えただろう。胸にぽつりと、黒い雲が浮かぶ。

「今日、俺たちの誰かがチームから降ろされるかもしれないと言うことを──肝に銘じておけ」
「……は、い」

静かな鬼道さんの言葉に、私はただ掠れた声で答えた。
けたたましい、ボールを蹴る音がスタジアムに響く。ピリピリと空気が震えているのは、多分そのせいだけではない。

「鬼道さん、良いッスか?」
「何だ?」

ふいに、部室からスタジアムに顔を出した辺見さんが、真面目な顔で鬼道さんの元へやってきた。

「影山総帥、あと10分したらこちらに着くそうです」
「……分かった」

鬼道さんは頷き、私にベンチに置いてある資料を持ってくるように促すと、足早に部室へ戻っていく。
それを見送ると、隣に腰を降ろした辺見さんが、ふと口を開いた。

「……ヒヨコ。お前も気を付けろ」
「え」

何をですか。尋ねると、辺見さんは顔を顰めて私を小突く。
分かってねーな、と呟き、頭を振った彼は辺りを気にしながら耳打ちした。

「ベンチ陣、ピリピリしてんの分かるだろ。特に藍本先輩!」
「あ、はい……」

それは確かに、と私は頷く。
この数ヶ月で部員の性格は把握しているつもりだ。

藍本先輩は、真面目だけどたまに自分の力を過信してしまうことがあって、少しだけ短気な人。
今もボールを追いかけながら、始終険しい顔をしている。

「あの人、別に悪い人じゃないけどよ……後輩に当たる癖、あるから。なるたけ近寄るなよ」
「で、でも……」
「でももしかもねーの!人が珍しく気にかけてやってんだから!」

少しは言うこと聞け、と最後にもう一度強く私を小突いて、辺見さんは部室へ戻っていった。
辺見さんは辺見さんなりに、私を心配してくれたらしい。……小突かれたところは痛いけど。

書類を小脇に抱え部室に戻り、カチコチと時計の音を聞きながら、私たちはただじっと待つ。
そして予定通り、10分後。

「──全員、揃っているな」

かつん──靴の音を響かせて、ゆっくりと影山総帥がやってきた。
ピシッと背筋を伸ばした鬼道さんが、総帥に駆け寄る。

「お待ちしておりました。全員、準備は整っています」
「宜しい。──マネージャー」
「え、は、はいっ」

突然指名された私は、ぎこちない動きで総帥の元へ行った。
総帥は小脇に抱えていたカムコーダと、メモ帳を私に手渡す。

「お前は、2軍の部室へ向かえ。記録を取りに来たと言えば良い」
「き……記録、ですか……」

2軍の記録を取ることと今日のこと、何か関係があるのだろうか。私は手に乗った2つの道具が急にズンと重みを増した気がして、思わず眉根を寄せた。

「あちらにも話は通してある。40分で済ませろ──行け」
「は、はいっ!」

身を竦めた私は、追い払われるような体で部室を飛び出す。
それを、部員たちが険しい表情で見送っていることなんて、私は少しも気が付かなかった。




「(帝国イレブン第2活動室──)」

ここだ、と呟いて、私は一つの扉の前で立ち止まる。1軍があるからには当然2軍もあるとは分かっていたが、ここを訪れるのは初めてのこと。
1軍の使っている部室からはかなり離れた場所にあるそこは、部活棟の中でも最も端にある部屋だ。

「──っし、失礼します」

深呼吸の後、思い切って扉を開ける。
一瞬、無音──ざっと一斉に向けられた視線に、私は思わず後ずさりしそうになった。

「……お前は」

ふいに、椅子に座っていた1人が口を開く。
左腕にマーク。どうやらこの人が2軍のキャプテンらしい。

「あ……1軍マネージャーの、御鏡と言います。えと、総帥に言われて、記録を取りに来ました」
「マネージャー……」

そうか、と頷いて、その人は立ち上がる。
それ以上の言葉を発することなく、彼は部員たを振り向きながら行くぞ、と奥の扉へ足を向けた。私も慌ててそれに続く。

「時間制限は」
「よ、40分で済ませろと」
「分かった」

淡々と答えたその人に続いて、私は扉をくぐる。
そこには、1軍のスタジアムの約半分程の広さのある場所に、フィールドの線が敷かれていた。

「全員やることは分かってるな。──御鏡は俺たちの活動を映して、気が付いたことをメモに取ればいい」
「わ、分かりま……」
「出来ればマイナスになるようなことは書くなよ」

ふいに、後ろから伸びてきた手が私の肩を掴む。
思わず「ひょえっ」と変な声を上げて振り返ると、そこにはひょろりと背の高い強面の上級生がいた。

「花川……無駄な脅しはやめろ。そんなことしたって、総帥はお見通しだ」
「ハン──どうだかね。どうせあの人、1軍しか目に掛けてねぇんだから」

「なぁ、そうだろ」花川と呼ばれたその人は、体を折り曲げて私の顔を覗き込んで来る。
からかうような口調だが、目が笑っていない。それが妙に恐ろしくて、私はただ口をもごもごさせながら目をそらした。

「花川、やめろ。怖がってる」
「はいはい。怖いねー、津田部長さんは、っと……」

そのまま、のんべんだらりとした足取りで離れて行く花川先輩。私はホッとしながら、肩を降ろす。

「……悪いな。あいつも、ただ珍しがってるだけなんだ」
「珍しい……?」

ああ、と頷いて、その人──津田先輩は屈伸を始める。ピリピリとした空気の中で、この人だけが唯一、悠然と落ち着いているように見えた。
津田先輩は問いには答えず、ぐぐっと背伸びをして、フィールドへ1歩踏み出した。

「さぁ──始めようか。俺たちがのし上がるチャンスだぞ」




それからきっかり、40分後。

「た、ただいま戻りました……」
「来たか」

作業を終え、第1スタジアムへ駆け戻る。頭だけこちらを向いた総帥に、カムコーダとメモを渡してフィールドに目を向けると、額に汗を浮かべた部員たちの姿が見えた。
総帥はメモを流し読みすると、「20分したらまた来る」と、踵を返してスタジアムを出て行ってしまう。

「あ、御鏡……戻ってたのか」
「えっ、あっ、はい……」

ふらりとこちらをみた佐久間さんが、不思議そうに目を瞬く。何だろう、と思っていると、佐久間さんはふと顔をしかめた。

「……御鏡。何でお前まで、そんなに疲れてるんだ?」
「え」

ぎく。強ばった私に、佐久間さんはますます険しい顔になる。
その隣で、フィールドに豪快に仰向けになった咲山さんがマスク越しに言った。

「どーせ、花川さん辺りに絡まれてたんだろ」
「う」
「ああ、あの人ならあり得るな」

肩を回しながら呟いたのは土門さんである。
……花川先輩の他にも、何人かの先輩に絡まれたなんて言えない。

「20分と言ったな……」

鬼道さんがマントについた芝を払いながら尋ねる。
頷くと、彼は硬い表情でゆっくりと溜息を吐いた。

「待つしかないな。御鏡、悪いが、ドリンクを頼む。タオルは各自用意するから」
「あ、はい……」

私は大急ぎで部室からジャグの入った籠を抱え給湯室に行って、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
ひやりと冷気が頬を撫でた。

「(今日、誰かがいなくなるかもしれない、か……)」

1つ1つ、ドリンク粉をジャグに入れる。数週間掛けて覚えた、1人1人の好みに合わせた粉の量。作業を繰り返しながら、私は考える。

──出来れば、誰にもいなくなって欲しくないというのが本音だ。
個性の強い部員たちとも、それなりに仲良く──というのは私の勝手な思い込みかもしれないが、多少は理解し合ったつもりである。
それが、無くなってしまう。一片たりとも残らずに。

「(──むなしい)」

そうだ。私はあの時佐久間さんに、むなしい≠ニ答えたんだ。培ってきたものが、崩れて、消えてしまうことを。
ぎゅっと唇を噛みしめて、私はジャグを握りしめた。




──それから時計の針は進み、20分後。部室で大人しくしていると、廊下から靴音が聞こえてきた。
来た、と誰かが呟く。
開いた扉の先に立った総帥は、中に入ることなく、そこから全員の顔をぐるりと見回した。

「──香田。お前は2軍へ降格だ」
「……!」

一瞬、大きく目を見開いた香田先輩は、少しすると、はい、と呻くように答えて項垂れる。
これで終わりか、と思った矢先、総帥は再び口を開いた。

「藍本。お前は、明日から来なくて良い」
「は──」

からりと乾いた声が藍本先輩の口から漏れる。
少し震えた部室の空気。藍本先輩が、椅子をひっくり返しそうになりながら立ち上がった。

「な、何故ですか!何で俺だけ、退部なんて……!!」
「お前のプレーにはムラが有りすぎる。この調子では、例え2軍に行っても足手纏いになるだけだ」

そう言って総帥は、小脇に抱えたノートをパラパラと捲る。
──あれは、週に一度、私が総帥に提出する部活の日誌だ。いつの間に持って行っていたんだろう。

「マネージャーでさえ、それに気付いている──自分の力がこれ以上及ばんと言うことを、いい加減理解したらどうだ」
「……!!」

先輩が握りしめた拳が、血の気を失って真っ白くなる。
以上だ、と最後に締めくくった総帥は、そのまま一瞥もくれることなく、部室を去って行った。

「……御鏡!!」
「痛ッ……!」

ガツンと椅子を蹴飛ばした藍本先輩が唐突に、壁際に立っていた私の襟首を掴む。
「藍本!」ギョッと目を見開いた恵那先輩が、叫んだ。

「日誌に何書きやがった──俺が役立たずだとでも書いたのか!?」
「そ、んなこと、何もっ──」

怒りに顔を赤黒くした先輩の、ぎちりと力の籠もった指先が首に食い込む。
思わず咳込みそうになったところで──視界の端に、赤が揺らめいた。

「──鬼道」

眼光を鋭くした藍本先輩が、小さく呟く。
私の腕を強引に引いて藍本先輩の手からもぎ取った鬼道さんは、落ち着いた声で──眉間に少し皺を寄せて、彼に言った。

「……御鏡は他人を貶めるようなことはしません。それは、藍本先輩もよく分かっているでしょう」
「……」

藍本先輩はギュッと瞼を閉じて、ゆっくりと息を吐き出す。
「……ああ」そしてようやく紡がれた声は、酷く嗄れたものだった。

「…………悪かったな、御鏡」
「い、いいえ……」

そのまま先輩はロッカールームから自分の荷物を取ってくると、振り返ることなく部室を去って行く。
一瞬、部室に沈黙が訪れて、香田先輩がゆっくりと立ち上がった。

「それじゃ──俺も行くよ。チャンスがあったら、また同じチームで戦おう。……じゃあな」

寂しげな笑みを浮かべ告げた香田先輩も、荷物を抱えて部室を出て行く。
チクタクと時計の音がする中、渋木先輩が舌打ちした。

「……湿っぽくなっちまったな」
「仕方ないよ……いつものことだ」

静かに答えた恵那先輩が、力なく笑う。
毎回──これから先、何度もこんなことがあるのだろうか。
そんなことを考えていると。

「うぐっ!?」
「……源田、絆創膏を取ってくれ」

いきなり私の顎を真上に向けた鬼道さんが、源田さんに言う。
「何でだ?」と聞きながらズボンのポケットから(常備しているらしい)絆創膏を取り出した源田さんに、鬼道さんは答えた。

「爪が食い込んだようだな──血が出てる。力任せに掴んだんだな」
「だっから気を付けろっつったのによォ!」
「おぐぅっ」

ぐき、と音がした気がする。
鬼道さんに代わって私の顎をぐいんと持ち上げた辺見さんに、喉の奥から変な声が出た。

ぺたりと張られた絆創膏をなぞりながら、私は尋ねる。

「あの──2軍の記録を取ったのはどんな意味があったんですか?」
「ああ……総帥は2軍のデータを元に、降格する人間を選ぶんだ」

極端な話、2軍の平均的な能力より劣っていたら降格される──鬼道さんは、どこか疲れたように説明した。

「逆に、2軍の中で力を付けた人間がいた場合、昇格されるが──今回はいなかったようだな」
「はぁ……」

気合いの抜けた声を返して、私はロッカールームを見つめる。空いたロッカーは、2つ。しばらく埋まることのない隙間。

「──俺たちが必死になれば良いだけのことだ。お前も気を抜くな」
「……はい」

ぽん、と私の頭に手を乗せた鬼道さんは、マントを翻してスタジアムへ向かう。
部員がぞろぞろとそれに続き、1人になった私の心の中では、胸に浮かんだ暗雲がどろどろと広がって大雨を降らせていた。

降り始める雨