帝国に小学生たちが学校見学にやって来て早数日。
1月も終わりに差し掛かる頃、とある日曜日のことである。
「来ちゃった」
「帰れ」
間髪を入れず。
大樹は玄関へ出るなり、目の前でにこやかな顔を浮かべる成神に言い放ち扉を閉めようとした。
しかし、成神がそれに素直に従うわけがない。「テメッ」と小さく毒づき、成神は閉じかけた隙間に足を滑り込ませる。
「せっかく来てやったのにそれはねーんじゃねぇの大樹くん……!」
「呼んでねーもん。つか来ちゃったってなんだよ、彼女か!」
「大樹、何してるの?」
玄関にて言い合いをする2人に、近付く影がひとつ。織乃だ。その姿を見るや否や、成神が「織乃さん!」と顔を明るくする。
その様子を見て彼女は状況を把握したのか、はぁと呆れたような溜息を零した。
「大樹、意地悪してないで入れてあげなさい。友達でしょ?」
「うっ……」
厳しい声色で言われれば、大樹は渋々と扉から手を離す。
滑り込むように入ってきた成神は、おじゃましますとにっこり笑った。そして。
「……織乃さん、エプロン似合いますね」
「? ありがとう」
あまりにも自然にエプロンを付けた織乃に成神が半ば呆然として言えば、彼女は小首を傾げる。
「お菓子持ってくるから、リビングで待っててね」
そう告げてパタパタとスリッパの音を立て去っていく織乃を見送ると、成神は少し興奮気味に隣の大樹の肩を叩いた。
「何あの若妻みたいなの!違和感ないってどういうこと!!」
「……これだから家に上げたくなかったんだ……!」
大樹が頭を抱え、呻く。
昔から織乃は、仕事で家を空けることの多い母の代わりに台所に立つことが多かった。長兄の料理の腕が壊滅的に酷いことも相まって尚更。
小さな頃からその姿を見ている自分にとってはごく当たり前の姿なのだが、やはり他人から見ると少し違うらしい。現に今まで、家に招いた友人は姉のエプロン姿を見て各々好きなような感想を漏らしていた。
一番危険を感じたのは、冬樹がまだ高校生の頃に連れてきたクラスメートが、それを見て新しい道を築きそうになった時だろうか。
1人思い出に浸っていると、その脇腹辺りを成神が肘でつついた。
「リビングで待っとくんだろ?」
「……仕方ねーな……」
来客用のスリッパを放ると、成神は器用にそれをキャッチして「おじゃましまーす」と改めて言い直す。
リビングからは何か甘い匂いが漂い、扉を開けるとシンクでお茶を煎れる織乃の背中が目に入った。
2人がやってきたのに気付いた織乃は振り返り、少し申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんね、今スナック菓子丁度切れてて……健也くん、甘いもの平気?」
「あ、はい──って」
中途半端なところで言葉を切った成神に、織乃は首を傾げた。
一方で成神は、彼女の持ったお盆に乗った一口サイズのマドレーヌを指さし、問う。
「……手作り?」
「? 手作り」
こくりと頷く織乃に、成神は隠すこともせずガッツポーズをした。
その真意を知ってか知らずか──恐らくは後者だろうが、織乃は苦笑しながらそれをテーブルに置く。
「今朝、ちょっと調子に乗って作り過ぎちゃって。苦手だったらコンビニで何か買ってくるけど……」
「いいえとんでもないッス!いただきます!!」
やや声を荒げながらブンブン首を横に振れば、そう?と織乃は穏やかに笑った。
そして「ゆっくりしていってね」と一言言い残した彼女は、キッチンの方へ姿を消す。
どうやら洗い物の途中だったようで、作業を再開する織乃の背中を食い入るように見つめた成神は、ほぅと吐息をついた。
「もうアレ、完全に良妻じゃん。良いお母さんじゃん。大樹、織乃さんちょうだい」
「断固拒否する!!」
声を大にした弟の声を拾った織乃が、「そうだ」とふいにくるりと振り返る。
「ご近所さんには、受験生が沢山住んでるから……さっきみたいに、騒がしくして近所迷惑にならないようにね」
「はーい」
言い聞かせるような織乃の声色に、2人は揃って返事を返した。
満足そうに頷き、織乃は再び洗い物を手に取る。それを見た成神は、「織乃さんマジ良妻」と小さく呟いた。
「お前ホントに、人の姉貴をどんな目で見てんだよ……」
テレビに接続されたゲームの主電源を入れながら、大樹が呻くように言う。
「年相応って言葉が似合わない超絶素敵なお姉さんだと思ってる」
「お前それ、褒めてんの貶してんのどっちなんだよ?」
「前者」
カチャカチャとコントローラーを操りながら、まぁいいかと大樹は嘆息した。
スピーカーから軽快な音楽が流れ始めると、シンクの水音にギリギリかき消されないくらいの声量で、2人は会話を続ける。
「大体何でお前がそんなに姉ちゃんを気に入ったのかが分からん」
「いやぁ、何でだろな。……あ、うま。お菓子うまっ」
「あ、テメっそれ食った手でコントローラー触んな!」
大樹に顔を顰められ、成神は渋々といった顔をしならコントローラーをティッシュで拭った。
テレビ画面では、タイムリミットを迎えたアイコンが思ってもいなかったキャラを選択した状態で点滅している。
ゴングを響かせるプレイ画面でキャラを右往左往させながら、2人はそのまま続けた。
「つーか、何でお前こそそんな織乃さんに執着してんだよ、あっコノ!」
「よしっ──何でってそりゃ、弟だからに決まってんだろ」
「世間ではお前みてーなのをシスコンと呼ぶんだ、──おし行けっ」
「あ、やべ──良いんだよ、自負してるから!」
「いやしちゃダメだろ!」
成神の少し大きめな声とともに大樹の操作するキャラクターがフレーム際まで吹き飛び、LOSEの字が浮かび上がる。
一瞬、ピタリと動きを止めた2人は、そろりと後ろを見た。
幸い織乃は騒ぎに気付かなかったようで、淡々と洗い物を続けている。
ほっと息を吐き第2ラウンドを選択しながら、大樹は自分もマドレーヌにかじり付いたのだが。
「でも、もし織乃さんと結婚するようなことになったら、お前が弟になっちまうってのがなぁ」
小さく呟かれたそれに、大樹は危うくマドレーヌを喉に詰めそうになる。
慌てて麦茶を呷ってキッと横を睨めつけると、成神はどこ吹く風で口笛を吹いていた。
「ま、冗談だけど。半分くらい」
「おいもう半分はどうした」
「さぁねー、──隙ありっ」
「あっ、ズリィ!このっ!」
「……ん?あ、ちょっ壁ハメはなしだろ!やめろアホ!!」
「いって!」
口論からついにリアルファイトに行き着いてしまった2人は、ゲームそっちのけで睨み合う。
「大人気ねーぞ大樹!」
「同い年が何を言う!お前が兄になるなんて死んでもごめんだ!」
「論点はそこじゃねーよ!」
「そうだね」
不意に口論に混じったソプラノに、2人はコントローラーをごとんと取り落とした。
いつの間にか声が最大音量になっていたようで、自分たちを見下ろす織乃の視線がとても冷たい。
わしっと弟とその友人の頭を鷲掴んで──彼女は声のトーンを低くし、静かに言い放つ。
「約束守れない子は、外に放り出しちゃうからね?」
ギリギリと手の力を込めながら織乃は微笑むが、如何せん目が笑っていない。
2人はその笑みと頭の痛みに、顔を蒼白にしながら悲鳴をあげた。
「いただだだごめん姉ちゃん!」
「ホントッ静かにしますからッ!」
絶対だからね──と釘を刺し。
織乃は洗い物が終わったのか、エプロンを外し、その場を去る。
痛みの引かない頭を抑えながらそれを見た成神は、ぐったりとした様子で零した。
「大樹、お前の言う通りだった。──織乃さん、コワイ」
「だろ……」
同じく力なく大樹が自嘲の笑みを浮かべれば、成神は心の中でひっそりと呟く。
先の結婚発言は勿論冗談だったが──やっぱり年上には、一線引いた位置から可愛がってもらうのが一番だと。