鬼道さんが風邪から復帰したその日から、みんなの様子がどことなくおかしくなった気がした。
そわそわしているような、落胆しているような、息巻いているような。そんな感じの、妙な空気。
それは少なからず鬼道さんにも言えることで、マントを羽織る背中に異様な熱気を纏う彼に、私は畏怖したかのように何があったのか聞くことができなかった。
そんな明くる日の出来事である。
「──織乃ちゃん」
「はい?」
部室でドリンクの粉を溶いている最中、背中に掛けられた声。振り返るとそこには、少し焦った表情をした土門さんがいた。
「あのさ、ちょっと変なこと聞いちゃうんだけど……良いか?」
「? は、はい……」
言わせてもらうと。性格は少し軽いところこそあるが、土門さんは帝国メンバーの中でまともな人間に分類されるような人だ。
そんな彼が、わざわざ前置きしてまで変なことを訊ねると言う。
私は思わず、身構えた。
「その、さ……こっちに、赤い色したペンギン、来なかった?」
「…………はい?」
聞き返した声が裏返る。
え、何?赤いペンギン?
「あー……ペンギンというか、ペンギンっぽい何かというか……」
頭をガシガシ掻きながら、土門さんは言い淀んだ。
取りあえず動揺の収まらないままここには来ていない旨を伝えると、土門さんは「そうかぁ」と眉を下げて嘆息する。
「んー、どこ行ったのかな……」
そのまま、土門さんはそのペンギン的な何かを探しに行くのか、部室を突っ切り廊下へ出て行った。
しかし、ペンギンだ何だのと、スタジアムで一体何が起きているというのだろう。
ジャグを籠に人数分入れながら、私は首を捻った。
そしてその5分後、私はそのペンギンの真相をしることになる。
:
:
「な……何事ですか……?」
頬を引きつらせる私に、ベンチにぐったりと腰掛けていた鬼道さんが重たい溜息を吐いた。
その眼前では、鬼道さんと佐久間さんを除く部員の大半がスタジアムのあちこちに散らばって何かを探しているという、なんともおかしな光景が広がっている。
「いや、こいつの仲間がどこかに行っちまってさ……」
「へぇ、そうなんですか……」
そう、口を尖らせながら言う佐久間さんが抱えているのは、ペンギンのぬいぐるみ。
ぬいぐるみが、「ぴぎゃー」と鳴き声をあげる。ナマモノだった。
「……え。え!?ペンギン!?」
「ああ。可愛いだろ!」
ニコーッとかつて無いほど幸せそうな笑顔で、佐久間さんはペンギンを抱きすくめる。
何か、何かもう、色々と突っ込みたいことは一杯あるんだけど。
「あ、あの、可愛いには可愛いんですけど……佐久間さん、腕めちゃくちゃつつかれてますよ……?」
恐る恐る佐久間さんに訊ねると、「甘咬みだから大丈夫!」とポジティブシンキングにも程がある返答が返ってきた。
あ、愛が盲目的すぎる!
その赤い色をしたペンギンを覗き込むと、何とも悪い目つきと視線がかち合った。
私は鬼道さんの方を振り返る。
「……事情説明、してもらってもよろしいでしょうか…」
鬼道さんは疲れたように頷いた。
「──これだ」
ばさりと鬼道さんから手渡されたのは、数枚に渡る何かの書類。
曰く、先日私の届けた封筒に一緒に入ってた物の1つらしい。
「総帥が考案した必殺技でな。名前は確か……」
「皇帝ペンギン1号、ですか」
読み上げたそれに「そうだ」と鬼道さんが頷く中、私は一言総帥に言いたいと思った。何でペンギンをチョイスしたんですか、と。
総帥は意外とファンシー趣味なのかもしれない、と開き直ろうかと思ったが、何だか気分が悪くなったからやめた。
その時、「あっ!?」と佐久間さんの驚きと悲しみの入り交じったような声が聞こえて、私たちはほぼ同時に振り向く。
そこには、空っぽになってしまった腕の中を見つめて、呆然としている佐久間さんの姿があった。
「……? 佐久間、さっきのペンギンはどうした?」
「き……消えた」
「逃げちゃったんですか?」
尋ねると、佐久間さんはブンブンと慌てて首を横に振る。
「な、何か、まばたきした途端にぱっと消えた」
「……え?」
「──成る程な」
まさか心霊現象?──と私が考えていた一方で、鬼道さんは一人合点の言ったように呟いた。
「端的に言えば、あれは力が具現化したものだ。時間が立てば自然消滅するんだろう」
果たしてそんなものなんだろうか(確かに赤いペンギンなんて非現実的ではあるが)。
その理屈に私が首を捻っている間にも、鬼道さんは書類を片手にすっくと立ち上がる。
「さて──じゃあ俺は、源田の様子を見てくる。あいつの新しい技も、総帥の考案だからな。御鏡、佐久間のサポートは頼んだぞ」
「あ、はい」
そう言ってマントを翻らせる鬼道さんを見送り、私はベンチに残された書類に目を通した。
「佐久間さん。この必殺技、最後まで試してみたんですか?」
「いや。さっきはそれに書いてある通り指笛吹いた途端、ペンギンが出てきて……」
「……練習忘れて、夢中になっちゃったんですね」
そんなことだろうと思ったけど。
そんな意味を込めて溜息を吐けば、「うるさい!」と少し顔を赤くした佐久間さんに頭をぐしゃぐしゃにされた。
「今に見てろ、俺はこの技で得点王になってやるんだ」
佐久間さんは呟きながら、ボールを取りに籠の方へ歩いていく。
そしてボールをドン!と目の前に置くと、「無心になれ俺!」と突然叫ぶ佐久間さん。
「(分かりやすいなぁ……)」
多分、佐久間さんは今脳内でペタペタ行進するペンギンを必死に追い払っているのだろう。
あの総帥が考案した技だ。きっと集中力を極限まで高めないと成功しないだろうから、雑念は振り払わなければならない。
「──?」
ふと、佐久間さんがピュイッと指笛を鳴らす音以外に、耳が微かな声を拾った。
ゴールポストの方が騒がしい。気になって私がそちらを振り返ったのと、佐久間さんの声が聞こえたのは、ほとんど同時だった。
「皇帝ペンギン──1号ッ!」
ふいに。
ドシャリと背後で音がして、私は体を元の向きに戻す。
そしてその瞬間、息を詰めた。
「──ッ佐久間さん……!?」
彼方には転がるボール。
芝生に手と膝を突き、肩で荒く息をする佐久間さんに、私は手にした書類を取り落とす。
それがひらりと地面に落ちるのも構わずに、私は転がるように佐久間さんに駆け寄った。
「佐久間さん!どうしたんですか!?」
「わ──からな……っぐ……!」
肩を支えると、佐久間さんの額にじわじわと冷や汗が滲む。
尋常じゃないその様子に、私は自分の血の気が引くのを感じた。
引きずるような形で佐久間さんを何とかベンチまで運び、呼吸が詰まらないよう楽な姿勢で横にならせる。
せめてと佐久間さんが抑える箇所に氷嚢を当て、私は鬼道さんたちの元に走った。
「鬼道さん!!佐久間さんが、……!」
「──佐久間もか……!」
寸前まで駆け寄った私は、鬼道さんの前でたたらを踏む。
顔を青くした鬼道さんが支えていたのは、両腕で自分の体を抱えた源田さんだった。
私は震える足を必死に動かして、二人の元にしゃがみ込む。源田さんは額に玉のような汗を浮かべ、痛みに耐えるように歯を食いしばって、一言も喋らない。
私はクラクラする頭を叱咤して、奥歯を噛みしめて立ち上がった。
「──保険医の先生と救急車呼んできます!!」