病院に運び込まれ、入院を余儀なくされた佐久間さんと源田さんが部活に戻ってきたのは、それから4日後のことだった。
「ツいてないにも程がある」
ベンチに腰掛け、仏頂面でそんなことを呟くのはユニフォームではなく通常の制服に身を包んだ佐久間さんである。
「そう言わないで下さいよ。詳しくは聞いてないけど……神経とか色々、大変だったんでしょう?」
言うと、佐久間さんは分かってると顔をしかめて溜息を吐いた。
2人がこうして無事に、4日という比較的短い期間で復帰出来たのは、あの技がまだ未完成段階だったおかげらしい。
しかし、源田さんと比較し線が細くスタミナも少し低い佐久間さんの体は、そのダメージに耐えきれなかったそうだ。
退院後も1週間は安静に、と申告された佐久間さんは、今週は見学1択というわけである。
「せっかくのペンギンなのに……」
「今回は諦めて下さい」
がっくりと肩を落とす佐久間さんに、私は苦笑いすることしか出来ない。
──1発だけだったから、選手生命を絶たれずに済んだのだと。後日、鬼道さんは苦い顔で私たちにそう説明してくれた。
『あの技は、使ってはいけない。──封印、しよう』
眉根を寄せながら総帥の元へ報告に向かった、鬼道さんの背中は。
今までにないくらい、複雑な気持ちを背負っているように見えた。
「……怪我したら、サッカー出来ないじゃないですか」
私の呟きに、佐久間さんはフィールドで紅白戦をやっている鬼道さんを眺めながら唇を噛む。
「──せっかくの、チャンスだったのに」
「チャンス?」
聞き返すと、佐久間さんはそれに答えることなくそのまま続けた。
「俺……入部したての頃、辺見と同じように、鬼道にさん付けして敬語使ってたんだ」
私が黙ったまま頷いて相槌を打つと、佐久間さんは安心したのか、ゆっくり──訥々と、語り始める。
「でも鬼道は、お前は参謀なんだから堂々としておけ、なんて言ってさ。その日から、さん付けも敬語も止めた。──止めたけど」
「……けど?」
ダメなんだ、と。消え入るような声で佐久間さんは呟いた。
深く俯き、さらりと額に落ちた前髪をぎゅっと握りしめる。
「いくら対等に接していても、やっぱり俺とあいつは違う。俺はもっともっと強くならないと──あいつの見る世界が、見られない」
「…………佐久間さん」
僅かに震える佐久間さんの肩にそっと触れると、それに気付いた佐久間さんに指を絡め取られた。
佐久間さんはゆっくりと顔を上げ、どこか虚ろな──深い色になった瞳を、私に向ける。
「なぁ──俺は、どうしたら強くなれるかな、御鏡」
私の片手を痛いほどに握りしめる佐久間さんは、泣きそうな──だけど他にも、色々な感情が入り交じったような、複雑な表情をしていた。
そう。例えば、迷子になった子供のようなそれ。
道が分からなくて、指し示してくれる人もいなくて、不安の真っ直中にいるような。
私は慎重に言葉を選びながら、ぐしゃぐしゃになった佐久間さんの前髪を撫でつけた。
佐久間さんは一瞬、驚いたような顔をしたが、甘んじてそれを受け入れる。
「──私は選手じゃないから、佐久間さんの気持ちが分かり切ったわけでもないし、正解をあげることも出来ません」
だけど──と、私はゆっくり続けた。この言葉が、少しでも彼を救う切欠になることを願って。
「出来ない自分を責め続けても、前には進めません。自分の弱みを認めてこそ──それを強みに出来ることだって、あると思うんです」
この世界に、生まれたその瞬間から完璧な人なんていない。
挫折して、失敗して。だけどそれを恐れずに、バネにして。そうして初めて、人は次の道へ進むことが出来るんだ。
「月並みな言葉だけど……過去を踏み台に出来ることも強さの1つだって、私は思います」
「……ん」
佐久間さんが、少し頭垂れる。
それはまるで、親に叱られた子供の姿のようだった。
「自分のペースで進むことは、決して悪いことじゃ無いはずです。佐久間さんは、佐久間さんのペースで進んでいけばいいんですよ。きっと」
「──そ、か」
ふと。佐久間さんは大きく息を吐き出して、顔を上げる。
その口角がほんの少し上がっていて、私はホッとした。
「何か御鏡といると、時々自分に姉貴でも出来た気分になるな」
「……私も、大きい弟が増えた気分になりますよ」
思い切って冗談を飛ばしてみると、佐久間さんはカラカラと笑う。
どうやら、言いたいことを言ってスッキリしたようだ。私がそっと安堵の溜息を吐いた、その時である。
「──やっているか」
響いてきた低い声に、繋ぎっぱなしだった手がスルリと離れる。
タイムキーパーをしていた寺門さんがこちらに気がついて、鋭くホイッスルを吹き鳴らした。
鬼道さんたちもハッとして、ボールを追いかけるのを止めてこちらに駆け寄ってくる。
鬼道さんはいつもより一層表情を引き締めて、その人を見上げた。
「どうなさったんですか、総帥」
部員たちに緊張が走る。
佐久間さんたちが倒れても、影山総帥はスタジアムに来ることは無かったのに。
私たちをざっと見回して、鞄を小脇に抱えた総帥は淡々と言った。
「何──今日から遠出をせねばならないからな。行き掛けに、様子を見に来ただけだ」
ふいに佐久間さんに視線を寄越して、総帥は静かに訊ねる。
「回復は進んでいるようだな?」
「は、い。来週には復帰します」
少しだけ、つっかえながら。
姿勢を正して答えた佐久間さんに、総帥は頷く。
「では、私は行くとしよう。試合に向けて励めよ」
カツ、カツ、カツと靴音を響かせ、総帥は颯爽とスタジアムから出て行った。
私は、みんなが肩の力を抜いてフィールドに戻っていったのを確認して、ベンチから立ち上がる。
「御鏡?」
「すぐに戻ります」
驚いたように名前を呼んだ佐久間さんに言い残して、私は細い背中を追いかけた。
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「──何か用か、マネージャー」
振り返ることもしない。
長い廊下でピタリと足を止めた総帥は、言った。
私は息を整え、顔を上げる。眉間に皺が寄っていくのを感じた。
「──何で、2人にあの技を考案したんですか?」
「佐久間はFWで、鬼道の参謀。源田は帝国の誇るゴールキーパーだ。何の不満がある」
「人選の問題じゃないんです!」
思わず声が大きくなる。
総帥が煩わしげに振り向いたが、怯みたくはなかった。怖がる暇はない。これだけは、訊かなきゃ気が済まないんだ。
「何で──何であんな技を作ったんです?総帥なら、あれを使ったら使用者の体が壊れることも、予想出来たんじゃないですか!?」
源田さんのいつもより念入りにテーピングのされた手を、佐久間さんの技を使えない無念の中に混じる悔しそうな横顔を、私はこの目で見た。
あの2つの技は他ならぬ総帥自身が考えた技だ。その威力も、その対価も、分からないはずがない。だとしたら、何故。
総帥がカツンと靴音を響かせて、私に1歩近付く。
私はほんの少し後退して総帥の様子を見上げたが、サングラスに隠れた瞳からはその表情を読みとることは出来ない。
「──勝つためだ。それ以外の、何がある」
「は……」
カツンと。
また少し、距離が縮まる。
「敗者に存在価値などない──勝利を手に入れるためには、まず強さが必要だ。そして強さを手に入れるには、それを知る機会と知識がいる」
カツン──とまた1歩。私の耳には、総帥の声と靴音しか届かない。
「私が与えるのは、その機会と知識。そして彼らが対価に差し出すのは、完璧な勝利だ」
「……その為には、誰かが犠牲になっても良いって言うんですか?」
自分の声が、震える。
そうだ──と、低い声が答えた瞬間、私は一気に狭まっていた総帥との距離を取った。
「そんな──そんなひどいことがあって、良いわけないです!」
「甘いことを言うなよ、マネージャー。彼らはとっくにそれを受け入れている」
「っそれでもです!」
ガン!──と。怒りや悲しさが入り交じる衝動に耐えきれず、私は壁を殴りつける。
じん、と左手に走った鈍い痛みに気付かない振りをして、私は総帥を睨むように見上げた。
「勝ちにこだわってサッカーが出来なくなるより──負けて1つ成長する方が、余程有意義なことだと思います……!」
「それが既に、敗者の考えなのだ。マネージャー」
思わず目尻がつり上がる。
しかし、あろうことか総帥は、僅かに口角を上げていた。
「負けることに意味はない。勝利こそが、真実だ」
「……私には、分かりません」
呻くように言って、奥歯を噛み締める。
総帥は相も変わらず笑っていた。
「分からないのなら別に構わん。私の考えに嫌気が差したのなら、部を辞めても良い。──だが、偽善者振るなよ。マネージャー」
私は顔を上げる。
一体何がそんなに楽しいというのか──三日月のようにキュッと口元を歪めた総帥の一言で、私の心臓が、ドクリと嫌な音を立てた。
「さっき、お前は私を非道いと言ったが。お前が人のことを言える立場なのか?」
「何──」
カツン、と。総帥は答えずに、前に向き直ってゆっくり歩き出す。
そして角を曲がる直前。
総帥のサングラスが、電灯に照らされてギラリと怪しく光った。
「自分の都合だけで彼らを拠り所としているお前も十分、非道い人間なのではないかと言っているのだよ。御鏡」