あの後、戻ってきた私の手が赤くなっているのを見た佐久間さんに、何かあったのかと心配された。
ドアに挟まれたんです、と本当のことを言えずに誤魔化すと、余計に心配されてしまった。

あれから既に数日が経ったけれど、あの人から最後に言われた言葉が頭に染み付いて離れてない。
だけど、いつも通り、いつも通りと心掛ければ掛ける程、みんなに「調子でも悪いのか」と言われてしまう始末。

普段以上の自分の不甲斐なさに泣きたくなる。
それと同時に、総帥の言葉を否定できなかった自分に絶望した。

だって──総帥のあの言葉は。

『自分の都合だけで、彼らを拠り所としているお前も十分、非道いのではないかと言っているのだよ。御鏡』

紛れもない、真実だったのだ。




クラスメートに避けられていることに気が付いたのは、いつ頃のことだっただろう。
少なくとも何がきっかけになったのかだけは、分かっていた。

『──御鏡織乃だな?』

それは、鬼道さんたちと初めて出会った日。
今まで何てことなかったクラスメートたちの態度が一変したのは、その次の日からだった。

私がサッカー部に馴染めば馴染む程、それはエスカレートした。何もしていないのに穿った目で見られ、少し話しかけると小さく息を飲まれる。
自分に向けられる、感情や視線。それが恐怖だと理解するのに、さして時間は掛からなかった。

理由も分からないまま恐怖の対象にされた私は、それが辛くて。
サッカー部にいるときだけ、安心することができた。部員のみんなが、私にそんな態度を取ることはなかったから。

ここにいればひとりじゃなくなる──だから、寂しくない。
自分の都合だけで、みんなを、サッカー部を、拠り所にして。

私は、みんなのように影山総帥の意向に着いて行くことは出来ない。
だけど、マネージャーを辞めることも出来ない。辞めたってきっとクラスメートの態度が変わるわけでもないし、サッカー部との繋がりが無くなったら、私は本当に独りぼっちになってしまう。

総帥のたった一言で、私が見ない振りを続けてきた感情は簡単に浮き彫りになった。
みんなに対する依存も、それを対価にした、クラスでの孤独も。

──だけどこれ以上、みんなに迷惑を掛けないためにも自己嫌悪を続けるわけにはいかない。気持ちの問題を引きずり続けても、仕事に支障が出るだけだ。
そこにどんな理由があろうと、あそこにいる限り、私がサッカー部のマネージャーであることに変わりはないんだから。

自分を叱咤して、影山総帥の言葉は頭の隅へ押しやって。
そう、思い切り気合いを入れた、矢先のことだった。




「ねぇ、聞いてるの?」
「きっ、聞いてます……」

──ああ、どうして私は大人しく付いてきてしまったのだろう。
壁を背に私は自分よりほんの少し背の高い人たちに囲まれ、体を縮めた。

珍しく部活のない放課後のこと。帰り際に知らない先輩に裏庭に呼び出されたと思ったら、これである。
複数で1人を囲むなんて何てベタな。漫画とドラマの観すぎですよ先輩。

「私たちはね、帝国サッカー部ファンクラブの1軍なの」
「(2軍もあるのか……)」

恐らく3年生かと思われる先輩は、綺麗に染め上げた髪を掻き上げて胸を張る。
つり上がった一重の目から、攻撃的な視線を浴びせられた。

「率直に言わせてもらうとね。貴女には、サッカー部のマネージャーを辞めてもらいたいのよ」
「……へ?」

何故、と。思わず目で問うと、先輩は「分からないの?」と挑発的に唇を持ち上げ小首を傾げる。

「私たちはファンクラブなのよ? 部員たちの側に女子がいたら、邪魔に思うに決まってるでしょ」

これ見よがしに溜め息を吐きながら、先輩はさも当たり前のことのように言ってのけた。
後ろの先輩たちも、小さく頷いて私に険しい視線を送っている。

「いい加減、鬱陶しいのよ」
「……!」

その瞬間、ずるりと芋づる式に出てくる私の負の感情。
辞めれば独りぼっち。辞めなかったら、目の前の人たちに何をされるか分からない。ここで辞めます、と言えばこの人たちは解放してくれるだろうか。

──ああ、だけど。

「…………嫌です」
「は?」

言いたい放題言われて、1つ踏ん切りと──決心がついた。
独りとか、抑圧関係なしに、私はサッカー部を離れたくない。依存だ何だって言われても、私があの日──クリスマスに鬼道さんに言った気持ちは、確かに本物だった。
私はみんなが好き。みんながサッカーをしているところが好き。その姿を、私の持てる力の限りで支えていきたい。
──その気持ちを。

「わ、私……私、辞めません」

こんな人たちに踏み躙られたくなんかない!!
俯かせていた顔をバッと上げると、「ハァ?」と不良も逃げ出しそうな面構えになった先輩たちと目が合う(超怖い!!)。
ひ──怯むな、私!

「せっ……先輩たちの言い分は、私がマネージャーを辞める理由にはなり得ません!鬼道さんたちは、ファンクラブの為にサッカーをしてるわけじゃないんです!!」
「っこの、調子乗りやがって……!」

今まで溜め込んだ分を吐き出すように声を荒げると、先頭にいた先輩が瞳孔を開いて手を振り上げた。
殴られる!──私は反射的に目を瞑って、歯を食いしばる。

「──ちょっと、何してるの!?」

パンッと乾いた音が響いて、頬に痛みが走った。
衝撃に思わずよろめいたその時、驚いたような声が割って入る。
ファンクラブの人たちが、顔を青くしてギョッとしたように振り返った。
私は壁に片手を突きながら、そろりと細く目を開ける。そこには、今丁度ここに来たらしい先輩と思しき女子生徒がじょうろ片手に険しい顔で立っていた。

「ちっ」

私を打った先輩が舌打ちする。
「あ、コラ待て!」そのままファンクラブの人たちは、先輩の制止も聞き入れず蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

「──あ、君!大丈夫?」
「え、あ……」

ハッとした様子の先輩が、慌てて私に駆け寄る。
「ああ……赤くなってる」小さく呟いた先輩は私の顔を覗き込んだ。

「大丈夫?他に何もされたりしてない?」
「あ……えと、はい……大丈夫です……」
「そう?なら良いんだけど」

顎の先を摘み、私をつま先から頭の天辺まで見た先輩は、「ん?」と少し小首を傾げる。

「もしかして君、サッカー部のマネージャーの子?」
「っは、はい」

さっきのさっきで、私はその言葉に思わず背中を壁に押し付けた。
しかし先輩は私の反応は気に留めず、次の瞬間顔を綻ばせる。

「やっぱり!君、何気に有名だもん。ねぇ、みんな元気にしてる?恵那とか、また怪我してるんじゃない?」
「……え、え?」

予想外の反応に目を白黒させていると、気付いた先輩が「あ、ごめんごめん」と1歩後退した。
そして、にっこりと晴れやかな笑みを私に向ける。

「私ね、引退する去年の夏まで、サッカー部1軍のマネジだったの」
「……えっ!?」

ポカンと口を開けると、先輩はカラカラと笑い声を上げた。
次に、ファンクラブが逃げていった方向を睨みつけるようにして、彼女は続ける。

「あの子らの言ってることは気にしなくて良いよ。ファンとか言いながら、試合もまともに観に行ったことがないような奴らだから」

見た目とブランドを愛でてるだけなんだよ──と、苦々しい顔で言った先輩は、私が背中を預ける壁に寄りかかり、そこにストンと座り込んだ。

「少し、お話しようか」




先輩の名前は岡田美里さんと言った。
岡田先輩曰わく去年までのキャプテンが幼なじみだったそうで、彼に誘われて1年生の時から引退する時までの間、1軍のマネージャーを続けていたらしい。

岡田先輩、と反復すると、「みさ先輩って呼んでくんなきゃくすぐり倒すよ?」とおどさ……頼まれたので、以降はみさ先輩と呼ばせて貰うことにする。

「やった。ちゃんとした女の子の後輩欲しかったんだよねー。部活じゃ男しかいなかったんだもん」
「はぁ……あの、みさ先輩?」

聞きたいことが。私がおずおずと話しかけると、みさ先輩は嬉しそうに「何?織乃ちゃん」と笑った。

「さっき、私が有名って……?」
「ああ……サッカー部って、基本的に男子しかマネージャーになれないのよ」
「えっ、そうなんですか?」
「私みたく、例外も勿論あるんだけどね。1年ぶりに女子がまたマネージャーになって、しかも長く続いてるって運動部とかで話題になってたの」

知らない?と首を傾げるみさ先輩に、私は慌てて首を横に振る。
自分の知らないところでそんなことが話題になってるなんて、思いもしなかった。

「でも、何で私やみさ先輩は例外なんですか……?」
「そういう伝統なんだってさ。でも一時期、それを分かっててもマネージャーになりたい!ていう女子もやっぱり後が絶えなくて……」

──みさ先輩から語られた話をまとめるとこうだ。
前年度のFFが終わり、3年生の先輩が引退した後もマネージャー志願する生徒は色んな組や学年から集まって、あまりの多さに総帥が入部テストとして──志願者たちに、サッカー部の練習試合を見に来るように指示を出したそうだ。
それを観た上でまだ入部したいという生徒だけ、マネージャーになることを認めると言ったらしい。

「──でも、結果は収穫0。まぁ、あんな試合観た後で入ろうとは思えないよねぇ。どっちにしろ、あそこのマネージャーは並の根性じゃ続けられないけどさ」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
「うん?」

どうかした?と首を傾げるみさ先輩に、私はゴクリと小さく唾を呑んで、問う。

「──サッカー部は、……みんなは、一体どんな試合をするんですか?」
「……観たこと無いの?」

みさ先輩の表情が、目に見えて堅くなる。
少し考えて、先輩は逆に問った。

「──織乃ちゃんは、どうやってマネージャーになった?」
「え?え、と……去年の秋頃に……」

突然やって来た鬼道さんたちからの通達。拒否権もない決定事項。
私がマネージャーになった経緯を掻い摘んで話すと、先輩はことさら悩むように眉間に皺を寄せ、長考して。次にみさ先輩の口から漏れた地を這うような低い声に、私は肩を揺らした。

「……あのグラサンオヤジ」
「!? み、みさ先ぱ……うわっ」

話しかけようとすると、先輩が突然私の両腕をがしりと掴む。
そして顔に影を少し落としながらも、先輩は強い口調で言った。

「織乃ちゃん、もしかしてマネジになってからクラスの子らに避けられたりしてるんじゃない?」
「な、何で分かるんですか?」
「陰謀だからよ!」

微妙に会話が噛み合ってるような、ないような……。
「ああもうあのグラサン!細面!ショタコン!!」先輩が何事か叫びながら頭を抱えて、急にキッと私を見据える。

「自分で気がつかなきゃ意味がないから言わないけど!織乃ちゃん、負けちゃダメだよ!!」
「な、何に?」
「色々!」

先輩が何に腹を立てているかピンとこない私は、ただただ首を捻ることしか出来ない。
しばらくするとみさ先輩は気持ちが落ち着いて来たのか、大きく息を吐いてそこに座り直す。

「──これは、私の持論だけどさ。マネジって結局はサポートの為の存在だから、どうしても選手の根本の考えとかを変えるってことは、やっぱり難しいんだよ」
「根本を変える……?」
「そう」

頷いてみさ先輩は立ち上がり、私の前に中腰でしゃがみ込んで、ひどく真面目な顔になった。

「このままやって行けば、どっちにしろ知ることになる。あの子たちが、どんなサッカーをするか」
「……は、い」

みさ先輩は、少しだけ強張った私の顔を見て苦笑すると、ぽんとその手を私の頭に乗せる。

「それを観て、どうするかは織乃ちゃん次第。もしもそれでマネジを辞めたいと思ったら……そこで終わり。言い方は悪いけど、きっとファンクラブの奴らや今まで辞めてった子らとさして変わらない」

傍らに置いてあったじょうろを持ち上げ、先輩は1歩後退した。
チャプンと水の跳ねる音がする。

「……続けたいと、思ったら?」

にこりと、みさ先輩が笑う。
傾いた夕日が、私たちのゆっくりと影を伸ばしていった。

「その時は、陰謀なんかに負けないで。織乃ちゃん自身の意志で、あの子たちのそばにいてあげて」

先輩の影が、角を曲がって消えていく。私はそれを見送り、ゆっくり息を吐きながら立ち上がった。

「……お礼言うの、忘れちゃった」

せっかく、けじめがついたのに。
固くなった筋肉を少し解して、スカートに付いた砂埃を払う。
先輩の言う陰謀や、サッカー部と私の孤立の関係性のことも。結局分かったことは無かったけど。

私は、負けたくない。
鬼道さんたちから離れていくようなことを、したくない。
それを心に決めて、大きく深呼吸をした私は地面を蹴った。

弱者の意地