堂々としていろ、と。
鬼道さんが言ってくれたことで、心の奥底でまだくすぶっていた気持ちが綺麗に無くなった。

過程や理由がどうあれ、私がマネージャーであり、帝国サッカー部の一員であることは変わらない。
自分の気持ちにただ蓋をし続けても、辛いだけだ。
私はサッカー部のみんなが好き。だから、自分の限界が許す限り、みんなを全力でサポートする。
それが私に出来ること。

みさ先輩、私頑張ります。




「試合の詳しい日程が決まった。日時は2日後の土曜。午後から相手校のグラウンドで試合をする」

ミーティングルームにて。
鬼道さんは書類数枚を片手に、淡々と説明を行う。対戦相手は、聞いたことのない名前の中学校だった。

「割と距離があるが……移動はいつもので行くのか?」

挙手して尋ねた佐久間さんに、鬼道さんは頷いて答える。
ふいに、パラパラと書類を捲っていた手を止め、鬼道さんは紙面のある一点をじっと見つめた。

「どうかしました? 鬼道さん」
「ん、ああ……いや、何でもない」

軽く頭を振り、鬼道さんは書類を小脇に挟む。
ちょいちょいと手招きされて、私はキャスター付きのホワイトボードをガラガラと引っ張り、鬼道さんにマジックを手渡した。

「それでは、作戦会議を始める」

言って、鬼道さんはホワイトボードに簡単な図を描き上げ、そこにパチリと何色かのマグネットを11個、貼り付ける。
ボードの上で再現されたのは、帝国のフォーメーションだ。

「聞くに相手は、守備に特化した陣形を使うらしいが──こちらがサイドから攻めれば切り崩せる」

キュ、キュとマジックが滑って、ホワイトボードは点や矢印で埋め尽くされていく。
総帥がブラジル出張から帰国して早3日──会議の内容を報告しなければならない私は、それを細々とノートに書き写していった。

「だが、用心するに越したことはないだろう。デスゾーンはいつでも発動出来るようにしておけ」

その言葉に頷くのが、佐久間さん、寺門さん、辺見さんの3人。
私はデスゾーン、とノートに書いたところで、手を止める。

「デスゾーンって……技、ですか? フォーメーションの方ですか?」
「この場合は前者だ。俺たちのフォーメーションも基本的にデスゾーンと呼んでいるから……ややこしいだろうが、感覚で覚えろ」

ふと「誰かデスゾーン変わってくれよ」と呻く辺見さんに、私は首を傾げる。

「何でですか?」
「三半規管が軟弱な奴にはキツい技だからな。あれは」

少し小馬鹿にするような言い方をした佐久間さんに、辺見さんがすかさず「んだと!」と食ってかかった。
鬼道さんがあからさまに面倒くさそうに顔をしかめる。

「お前だって、覚え立ての時は酔っただの気持ち悪いだの呻いてたくせに!」
「けど、一番最初にあれに慣れたのは俺だっただろ!」
「1発目で目ェ回してぶっ倒れた奴に言われても説得力ねーよ!」
「生まれたての子鹿みたいになってた奴に言われたくない!」
「源田、黙らせろ」

ゴン、と言う音が2回分ミーティングルームに響いた。

鬼道さんは頭に大きなたんこぶをこさえて動かなくなった2人に一瞥もくれず、何事もなかったように話を続ける。
……結局デスゾーンって、どんな技だったんだろう。

「──まぁ何にせよ、いつも通りに動けば何の問題もない。以上だ」

何か、質問はあるか。腕を組んだ鬼道さんが問えば、源田さんが代表して「問題ない」と答える。
そして鬼道さんは次に、ノートを閉じた私を見下ろした。

「……試合開始は、3時からだ。何かと準備もあるだろうから、御鏡。お前は、2時までに部室へ来ておいてくれ」
「はい、分かりました」

頷き、ノートを抱えて。「じゃあ、総帥にノート届けてきます」と一礼し、私はミーティングルームを後にする。
背を向けた瞬間、鬼道さんが僅かに眉を下げたことに──私は、気が付かなかった。

「……すまない、御鏡」




大きな扉の前に立ち、深く深呼吸をする。──うん、よし。大丈夫。
気をしっかり持って、いざ突撃!

「しっ──ししししっ失礼します!!」

色々意気込んだけど結局いつもみたく挙動不審になってしまった。ああ、情けない……。
ノートを抱き締め部屋に入ってきた私を一瞥して、総帥は口角をゆっくりと上げた。

「会議は終わったか」
「はい。──これが内容です」

総帥は受け取ったそれを眺め、1枚1枚丁寧にめくっていく。
「結構だ」パタンとそれを閉じた総帥の指が、キーボードを滑った。
カタカタとリズミカルに音を鳴らしながら総帥はノートを私に返し、物のついでのように尋ねる。

「──明日は、勿論お前も来るのだろうな。マネージャー」
「と……当然です」

マネージャーですから。
自分の肩を抱き締めるようにノートを持ち直せば、総帥は「そうか」と喉の奥でクツクツ笑った。
キーボードを滑る総帥の指は止まらず、相変わらず円滑に文字を打ち出している。
ノートパソコンの裏側を睨むようにしながら、私は次の言葉を待った。

「お前は、彼らの試合を観たことが無いだろう。楽しみにしていれば良い」
「……は、い」

善意で塗りたくられたような、粘着質な言葉だ──と。確証も何もないが、総帥が楽しみにしていれば良いなんて言葉を良心から言うはずが無いと、感覚的に思った。

私は総帥に背を向ける。
キーボードの音は、扉が閉まるまで私の背中を追いかけていた。

そして背後で扉が閉まった瞬間、ぶはーっ、とずっと詰めていた息をいっきに吐き出す。

総帥の部屋の居心地が悪いのは相も変わらずだが、先日の件も相まって、私は既に総帥に疑惑の念しか持てないようになっていた。
総帥を視界に入れる度に、体が嫌に強ばってしまうのが当たり前になってしまったのだ。まぁ、かといって前の反応と大して変わっていないから、鬼道さんたちは気付かないんだけども。

──鬼道さんは、総帥にあの2つの必殺技のことを言いに行った後も、何ら変わりは無かった。
まるで当たり前のことのように、鬼道さんは総帥に従い続ける。
それはきっと、鬼道さんに目をかけ、サッカーを教えたのが、影山総帥だからなのだろう。

鬼道さんにとって──総帥は、神様のようなものなのだ。

「──……」

ざわりと言いようのない不安が心を過ぎり、私は歩く足を早める。
早く、戻って仕事を再開しよう。

不安なんて忘れてしまえるように。




そして、試合当日。
天気は生憎の曇り空だ。

しかし気にするほどでもないだろう。昨日の練習でも、私が見る限りだが部員たちのプレーに何ら異変はない。
鬼道さんの言う通り、いつものように動けば問題ないのだろう。

ブラシで髪を解いて、いつもよりきつめにまとめて。
制服に身を包み、ジャージに着替えるのは一度学校に着いてからにしようと確認の為鞄を開けた私は眉間に皺を寄せる。

「……あれ」

中の物を全部出してひっくり返しても、出てくるのは埃だけだ。
私は思わず口を手で押さえる。

「ノート忘れた……」

どうやら、昨日部室に置いてきてしまったらしい。絶対必要と言うわけではないが、持っていないと落ち着かない。

仕方ない、と私は予定していた時間より少し早めに家を出ることにした。
ジャージや必要な物が入った鞄を肩に引っかけて玄関を開けると、まだ真冬の真っ只中と言うのに生温い風が髪をさらう。
それに何か少し焦燥感を覚えた私は、まだ少し雪の残った道を走って行った。

途中、赤信号で腕時計を見やると時間はまだ余裕がある。
そこで私は切れかけていた息を整えて、少し額に滲んできた汗を手の甲で拭った。

何故、こんなにも自分が焦っているのか分からない。この嫌な天気のせいだろうか。
見上げると空はさっきよりも暗くなっていて、分厚い雲が太陽を隠していた。天気予報では、今日は雨は降らない筈だったのだが。

鞄に放り込んである折り畳み傘を確認しながら、私は青になった信号を見て横断歩道を駆ける。
学校に辿り着いたのは、それから約10分後のことだった。

「(たまには私も、体育以外で体動かさなきゃ……)」

マネージャーになってからそれなりに動き回るようにはなっていたのだが、まだまだだったらしい。自分の体力のなさに軽く絶望を覚えながら、私は部室に入る。
テーブルにノートがポツンと置いてあるのを見つけた私は少し余裕が出来て、準備に取り掛かる前に水飲み場で水分補給をしようと、一度部室を後にした。

「──おや。サッカー部は今日練習試合だったんじゃないかい?」

喉を潤して、口元を拭いながら歩いていた私は、背後から掛けられた声に振り返る。
そこには、大晦日の大掃除で色々と世話を焼いてくれた用務員のおじさんが、モップを持って立っていた。

「あ……はい。だから、今から準備に取り掛かろうと思って」
「今から?」

驚いたようにおじさんは言って、「おかしいな」と首を傾げる。

「サッカー部の子らは、もう出発したと思ったんだが……」
「……えっ?」

素っ頓狂な声を上げた私に、部員たちが車両に乗っていくところを見たんだよ──とおじさんは頷いて、怪訝な顔をした。

「もしかして、時間が急に変更されたんじゃないかい?」
「そ、そんな……! あ、あの、それってどの位前のことですか!?」

「30分は前だったかな」気の毒そうな顔をするおじさんに私は瞬時にお礼を言って、廊下をダッシュして部室に飛び込む。
着替える暇なんて無い。
荷物を掴んで、私は部室を出るとそのまま勢いを緩めず走った。

30分も前に出発したなんて。それが確かなら、もう前半も終わる頃の筈だ。
鬼道さんは確かに2時までにと言ったのに。予定が変わったのは、昨日なのかそれとも今日なのか。
可能性としては後者の方が遥かに高いのだろうが、そんなことを考えてる暇もなかった。

走りながら財布を確認して、校門を出た私は丁度やって来たバスに乗り込む。停留所の1つは試合相手の学校の近くだったはずだ。

「(早く、早く……!!)」

急かしてもスピードが上がることはないと分かっていても、そう願う他私に道はない。
山の方で、ゴロゴロと雷の音が聞こえた気がした。

響く遠雷