「(──け、結局たどり着くのに20分以上掛かってしまった……!!)」
目的地のバス停に辿り着き、最早時計を見る余裕もない私はふらふらと辺りを彷徨い歩く。
標識を見て人に尋ね、ようやく帝国の物であろう大きな車両が視界に入ったのは、バスを降りて5分以上経った頃だった。
「う……」
車両をぐるりと避けて校門をのぞき込んだ私は、ぶわりと生温い風が巻き上げた砂埃に瞼を閉じる。
そして、次に目を開けて私の視界に飛び込んできたのは。
「──……!」
ズドン、と凄まじい音を立ててDFたちを吹き飛ばし、膝を突いたゴールキーパーの真横をすり抜けたボールがゴールネットを突き破る瞬間だった。
コートに倒れる傷だらけの選手たち。所々、隕石でも落ちたのかと思わせるような傷跡を残すフィールド。
あまりに悲惨な光景に、私は思わず後退る。
「──他愛ないな」
耳に飛び込んできた聞き慣れた声に、私はそちらを振り向いた。
そして、ひゅっと息を詰める。
風にはためく赤いマント。
鬼道さんが、地面に這い蹲る相手の選手らを、ほくそ笑むような顔で見下ろしていたのだ。
あの顔を、私は知っている。
『安心しろ、本気は出さん』
──以前、健也くんたちと戦う直前に一瞬見せた、あの顔だ。
「(何で?)」
私は呆然と鬼道さんの後ろに控える部員たちの顔を見つめる。
そこには誰1人として、私が知っているみんなはいない。
目を細めて、下らないような物を見る目つきで。唇の端を持ち上げて、力なく項垂れる相手の選手たちを笑っているのだ。
ふいに頭上から、ふわりと1枚の紙が舞い降りた。
それを見た相手校の監督が、さっと顔を青くする。そして次の瞬間、私は更に衝撃的な光景を目の当たりにした。
「──やれ」
鬼道さんの声を合図に、キュリキュリと耳障りな音が響く。
そしてどこからかやって現れた数台の装甲車が、驚くべき事に無人であろう校舎を次々に破壊し始めた。
「(──これが、帝国のサッカー?)」
辺りから聞こえるか細い悲鳴と、校舎の崩れていく音に、私は足元をふらつかせた。
相手が動けないくらいになるまで痛めつけて、負ければ学校を破壊する。慈悲も何もない──これが?
「クク……」
ふいに、脳髄に直接響くような、低い笑い声が耳に届く。
見上げた私とその目が合うと、車両の天辺に座していた総帥は──笑いを収めることなく、口角を三日月のように持ち上げた。
かちり。
その瞬間、頭の中でいくつかの歯車が噛み合い急速に回りだす。
鬼道さんの私に対する不安が。
総帥の全てを見透かしたような言葉が。
みさ先輩の激励が。
全てが、噛み合った。
私は、コートに立つ鬼道さんたちと総帥を見比べ足を踏ん張って──唇を噛み締め、前を見据えた。
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:
みさ先輩曰く。
私のクラスメイト含め、1年生──学年問わず、サッカー部のマネージャーを志願した女子は、みんな一様に帝国の試合を観戦した。
だけどそれを見てマネージャーになりたいと思う人は、いなかったと言う。
『──まぁ、あんな試合観た後で入ろうとは思えないよね……』
みさ先輩の言いたかったことが、ようやく分かった。
あんな風に、相手を潰すことで勝利を手に入れるようなサッカーをする彼らに、みんなは絶望と失望と──恐怖を覚えたのだ。
その人の本質を知らないうちにあんなものを見てしまえば、恐怖の対象にしかならない。
そんな人たちの中に平然と身を置く私にも、その恐怖の矛先は平等に向いた。
私をマネージャーに指名したのは総帥本人だ。総帥とって、サッカー部に恐怖心を抱く生徒ばかりが集まったあのクラスに何も知らず転入してきた私は、良いカモだったのだろう。
私がマネージャーになれば、クラスメート達はいずれ自分たちも目を付けられるのではないかと怖がって私を避け続ける。
そうしてクラスで孤立し、サッカー部にいることでしか自分の存在を見いだせなくなった私は、結果的にサッカー部に依存してしまった。
『陰謀だからよ!』
私の退路をじわじわと、確実に絶っていたのは自分じゃなくて。
他ならぬ、影山総帥だったのだ。
「──何故、ここにいるんだ」
ゴーグル越しにこちらに刺すような視線を向ける彼に、私は向かい合う。
「御鏡」
「──マネージャー、だからです」
車内で待ち伏せしていた私を見つけた鬼道さんの顔は、一瞬で3回程変わった。
初めは、何で私がここにいるのかという怪訝な顔。次に、練習で部員にしか見せないような厳しい顔。
最後に垣間見えたのは──絶望と喪失感の入り交じった顔。
鬼道さんは眉間にギュッと皺を寄せた後、いつもの表情を作ると、小さく口を動かす。
「──見たのか」
「……最後の、3分程」
それを聞いた後ろの佐久間さんたちが、唇を噛みしめたのが分かった。
そんな彼らの視線を感じながら、私は口火を切る。
「私はマネージャーです。事のあらましくらい……聞く権利はありますよね?」
「……そう、だな」
しばしの間が空いた後、鬼道さんは心を決めたかのように深く息を吐き出し、俯いた。
「──あの学校は、先日帝国が施設拡張のために買収した学校のひとつだ」
「買収……?」
目をすがめる私に、頷いた鬼道さんは続ける。
以前から帝国は施設を拡張するために、度々周辺地域の学校を買収することがあったらしい。
けれどその通告はいつも突然で、法的な処置を取っていたとしてもそれに反発する人間は当然出てくる。それが、その学校の教師や生徒たちだそうだ。
「そこで総帥は、反発する人間には立ち退きの条件をサッカーの勝敗に委ねる提案をするようになった」
帝国学園を統べる影山財閥に崖っぷちに追い詰められた彼らにとって、その提案はまさに天から伸びた蜘蛛の糸。
けれど、所詮それは幻だ。40年間無敗を誇る帝国に勝つなんて、無名校には無謀なことでしかなくて。
「そうして、帝国は法的にも許可を得た上で校舎破壊に踏み切るんだ」
「……さっきの学校みたいに?」
「…………ああ」
叩き潰すときは、完膚無きまで。二度と逆らう気が起きないよう、徹底的に──それが、鬼道さんたちに下されている、影山総帥からの命令。
鬼道さんが再び、すうっと深く息を吸う。面差しを上げて、どこか悲しげな目で私を見据える。
「……だからあの日に、言っただろう?いつか──」
「いつか、サッカー部を快く思わない日が来る、……ですか?」
レンズ越しに、鬼道さんの目が少しだけ見開かれたのが見えた。
その後ろで、力無く俯いた何人かの部員たちを見て、私は小さく深呼吸する。
──大丈夫。
自分がやるべきことは、もう理解している。あとは、負けん気があれば良い。
「続きをお話しする前に、1つお願いがあるんですけど。良いですか鬼道さん」
「なん──」
何だ、と言い掛けた鬼道さんに。
私は小首を傾げて、彼に向かって利き手の掌を広げ、振り上げて見せた。
「歯、食い縛ってください」
──バチィィィン!!
限界まで伸ばしたゴムから手を離したような音に、部員たちがギョッと目を剥く。
そんな音と共に私に思い切り頬を張られ、衝撃で真横に吹き飛んだ鬼道さんは怒るのも痛がるのもすっ飛ばして、尻餅を突いたまま唖然とした表情で私を見上げた。
「な……!?」
「おっ、おい御鏡、何を……!」
「──今のが、全部の答えです」
一歩踏み出せば、パクパクと口を動かして何か言いたげにしていた佐久間さんの体がびくと強ばる。
私は鬼道さんの元にしゃがみ込んで、事前に用意しておいた氷嚢を真っ赤になった頬に押し当てた。
「……今日みんなが私を置いて行ったのは、試合を見られたら嫌われるからって思ったからですか?」
「! ……ああ、そうだ」
徐々にショックから立ち直った鬼道さんは、少し眉尻を下げて、小さく唸るように答える。
私は、少し目を伏せた。あの日、鬼道さんに言ったことは、嘘偽りのない言葉で。それは勿論、あの光景を見た今も変わってはいない。
「私、言いましたよね? 嫌いになんかならないって。そんなに信用ないなんて、心外です」
「そういうわけでは……」
言った鬼道さんに、私はほんの少しだけ口角を上げる。大丈夫。ここにいるのは、私の知っている鬼道さんだから。
「……伊達に、数ヶ月マネージャーやってません。みんながどんな人かも、それなりに解ってるつもりです。だから──」
簡単に嫌いになることなんて、私には出来ないんですよ。
そう言って苦笑すれば、鬼道さんだけでなくその場にいた全員が小さく口を開けてポカンとした。
「──怖くないのか、御鏡は」
「怖いですよ。少しだけ」
答えれば、問った源田さんは悲しげに眉を下げる。だけど、と続けた言葉に、彼は目を丸く見開いた。
「あれが源田さんたちの全部を決める要素じゃないって思うから。だから、平気です」
「……そうか」
小さくはにかんだ源田さんの横で、佐久間さんが決壊しそうな涙腺を抱えて私を見つめている。
「……大きい弟を持つのも楽じゃないですよね?」
健也くんや弟たちにするように、からかい混じりに笑って両手を広げれば、ボロッと大粒の涙をひとつ零した佐久間さんがそこに飛び込んだ。
無言でスンと鼻を鳴らしながら私にすがりつく佐久間さんを見て、ようやく立ち上がった鬼道さんが苦笑する。
きっと今まで、あんな試合を見た人達から良い言葉を掛けられたことなんて一度もなかっただろう。
だけど、みんな上に行きたくて、強くなりたくて。
総帥の命令には背けないから──それを理由に、正当化しているところがあったんじゃないだろうか。
強くなる為には犠牲も必要。敗者に存在意義はない。
心のどこかで何かがおかしいとは分かっているはずなのに、目の前にある目映い光は周りのものを見えなくした。
私は、みんながやっていることが褒められるようなことだとは、決して思わない。
だけどみさ先輩が言うように、マネージャーが選手の根本の考えを変えることはとても難しい。
特に、鬼道さんにとって影山総帥は絶対的な存在だ。総帥が言えば黒も白になる──私の言葉や気持ちなんて、きっと文字通り一瞬でかき消すことが出来る。
だから、私が出来るのはひとつ。
みんなが、本当に自分たちのサッカーが出来るようになる日を、待ち続けることだ。
マネージャーでは出来ないことを、いつか鬼道さんたちと対等な立場にいる誰かが、気付かせてくれるように願って。
例えそれが他人任せでも、私はこれ以上みんなが辛い思いをしないように、そばにいる。そして少しでも、正しい方向に導く。
それが、私に課せられた仕事だ。
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『あの、思い切り打っちゃってすいませんでした……』
『──いや、別にいい。それよりも佐久間、お前いい加減に離れろ。御鏡にも迷惑だろう』
『うぅ、ぐすっ』
『佐久間さん大丈夫ですか? ほら、ちゃんと鼻噛んで』
薄いディスプレイに映る、眉を下げて笑う少年たち。その中心にいる少女を見つめて、彼は小さく呟いた。
「──ふん。中々よく働く駒だったが」
角張った指がキーボードの上を走り、傍らにもう1つ据えたディスプレイに文字列が打ち出される。
「潮時のようだな」
画面の光に反射したサングラスが怪しく光る。次の瞬間ディスプレイはプツンと音を立て、吸い込まれるような闇だけを映し出した。