あの衝撃の事実を知った日から、数日経ったある日のことである。
「しゅうようめいと?」
「漢字にすると、こうなる」
言われた言葉をオウム返しした私に、鬼道さんは私が持っていたノートにサラサラと字を書いた。
秋葉名戸。それが、今回試合をする相手校の名前らしい。
「(また、勝ったら相手の学校を壊すのかな……)」
前回の惨事を思いだした私は、密かに眉根を寄せる。そっと鬼道さんの方を見ると、彼は少し眉を上げて言った。
「──今回は、情報収集を兼ねたただの練習試合だ」
どうやら私の心の声を読み取ったようで、そう告げる鬼道さんの声色はほんの少しだけ優しい。
私はそれに一安心して、溜息を吐いた。
ガタガタと床が揺れる。現在地は──帝国私有の大型車両の中だ。
「次の試合が決まった」と総帥が言いながら突然やってきたのは、ほんの数時間前のこと。
前振りもなしに決定した試合の日程に、私たちは大慌てで準備しながら車両に駆け込んだ。
座席では、突然の予定変更に数人がぐったりとしながらうなだれている。
「ねぇ織乃さん、秋葉名戸って遠いんですか?」
「うーん、知らない学校だからなぁ……」
そわそわとした様子で私に尋ねてくるのは健也くんだ。何故帝国イレブンではない健也くんがここにいるかと言うと。
「土門もつくづくタイミングが悪いよな」
「あー。ノロだっけ?」
──とまぁ、そういうわけである。
簡潔に言えば、今日の健也くんはノロにやられて欠席した土門さんの代理──仮の部員と言うわけだ。相手校にも一応許可はとってあるらしい。
後で試合結果教えてやるか、と気遣う様子を見せる寺門さんや源田さんの会話を耳に入れながら、車両が停止する気配がした。
どうやら到着したようである。
「良いかみんな。総帥がいないからと言って気を抜くなよ」
「はいっ!」
鬼道さんの厳しい声色に、みんなが一斉に答えた。
この場にいない人は、土門さんだけではない。驚くことに、影山総帥も今回の試合に同行しなかったのだ。
鬼道さんが理由を問えば、「あそこの空気は性に合わん」と言われたらしい。そんな理由で職務放棄していいのだろうか。
車両に乗ってる間ずっとそんなことを考えていたのだが、ステップを降りて秋葉名戸のスタジアムにやってきた私たちは、あの人の性に合わない理由を大いに理解してしまうことになった。
「……こ、濃い……」
──感想は、その一言に尽きる。
フィールドこそ何の変哲もないただの芝生だが、ゴールネットは遠目からでも分かるピンク色。周りの壁は何かのアニメだかマンガだかの無駄にキラキラした女の子が描かれているポスターが所狭しと貼られている。
総帥じゃなくてもこれはきつい。
「──ようこそいらっしゃいました、帝国学園の皆様!」
そこでふいに後ろから聞こえてきた可愛らしい声に、私たちは一斉に振り返る。
そして、顔をひきつらせた。
「うわぁ、生メイド」
呆然と呟いた健也くんの頭を、寺門さんが軽くど突く。
真っ黒の短いスカートに、レースのエプロンとヘッドドレス。一様な出で立ちでにっこりと微笑みを浮かべる彼女たちの間から、ひとりユニフォームに身を包んだ男子が出てきた。
「初めまして。秋葉名戸サッカー部の漫画です。本日はよろしくお願いします」
「……鬼道だ」
にこやかに伸ばされた手を、鬼道さんは一瞬戸惑いながらも握る。
握手を交わした漫画さんは、ふと私の方に目線を向けた。
「マネージャーの人かい?」
「へ……あ、はい。御鏡です」
慌てて腰を折ると、漫画さんは私をじっと見て眉根を寄せる。
「ローズナイトミリア…………」
「はい??」
「ああいや、こっちの話です」
何事か呟く漫画さんに控えめに声を掛けると、彼は何もなかったように手を振って見せた。
そして後ろに控えるメイドさんたちに視線を投げかけながら、彼は微笑んで私たちに告げる。
「秋葉名戸では、他校に関わらずマネージャーにはこれを着てもらう規則になっているんだ」
「は?」
怪訝な顔をして、「これってどれだよ?」と首を傾げる佐久間さんに、にっこり笑う漫画さん。
アシスタントですとでも言うように隣に寄り添ったメイドさんの肩を、彼はポンと叩いた。
「このメイド服さ」
「鬼道さん帰りましょう!!」
帝国サッカー部が呆然としながらその言葉を理解しようとしている間にも、私はかつてないほどの俊敏な動きで踵を返す。
だがしかし一体いつの間に後ろへ回り込んだのか、やけに良い笑顔を浮かべたメイドさん──もといマネージャーさんたちに包囲され、私はビシリと固まった。
「さぁさぁこちらです、女子更衣室までご案内しまーす!」
「いや、ちょっ、待っ……! たっ! 助けて下さい鬼道さああああん!!」
ズルズルと引きずられながら叫ぶも、鬼道さんを筆頭とする帝国イレブンは完全に放心しているようで、こっちを見つめたままポカーンとしている。
「パターンBのデザインで良かったですよね?」
「分かってるね美和子ちゃん!」
ああ、ここまで本気で他人をぶん殴りたいと思ったのは初めてだ。
楽しげな顔で親指をグッと立てた漫画さんを見て、真摯にそう思った。
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「さぁ着替えましょうか! 思い切り変身させてあげますからねっ」
「いやあの出来ればご遠慮願いたいのですが」
「あら案外胸あるんですね」
「うわああああああ!!」
──と、容赦なく数人掛かりで服をひん剥かれたのは既に10分前のことである。
すっかり変貌(彼女たちに言わせると変身)してしまった私は、女子更衣室に籠城していた。
「御鏡……気持ちは分かるが、出て来てくれないか?」
「嫌です、断固拒否します!」
ドア越しに聞こえる、源田さんの本気で同情しているような声に私は全力で答える。
続く健也くんの、「マネージャーが揃ってくれないと始められないって相手さんが言ってるんスよー」と言う声にも、私はひたすら無理を連呼した。
「も、ホントこれはない、絶対ない! 私ここで死にます!」
「早まるなヒヨコー!!」
辺見さんの焦ったような声に次いで、鬼道さんの声が聞こえる。
「御鏡」
たった数文字、落ち着き払ったトーンで名前を呼ばれただけで、罪悪感に襲われてしまうのは何故だろうか。
ぐっと喉の奥で唸った私は、最後の抵抗として交換条件を出した。
「……出る代わりに、1個だけお願いしてもいいですか」
「出来る範囲ならな」
安心したような鬼道さんに、私は続ける。
こんな、存在自体が恥みたいな格好を晒すのだから、このくらい呑んでもらわないと割に合わない。
「……今回だけで良い、相手に怪我させるのが前提じゃない……普通のサッカーをやって欲しいんです」
ひっそりと囁くような私の声は、果たして届いたのか。
数秒して、「約束する」という鬼道さんの答えが返ってきて、それが杞憂だったと知る。
「じゃあ、出ます…………あ、後で見なきゃ良かったとか言っても知りませんからね!!」
「あ、ああ」
釘を刺し、私はごくりと喉を鳴らしてゆっくりとドアを押した。
真っ先に私と目が合い「やっと出てきたか」と言い掛けたらしい佐久間さんの動きが止まる。
完全に中から体を出して、後ろ手に扉を閉めみんなの様子を伺うと、それぞれが目を見開くなり口を開くなりして固まっていた。
ああ、うん。何て言うか。
「宇宙の塵になりたい」
「織乃さんしっかり!!」
そう叫ぶ健也くんの手には、カメラ部分がしっかりとこちらを向いた携帯が。
ピローンとシャッター音を聞きながら健也くんの頭をヘッドホンごと鷲掴み、「後で消してね?」と凄むとガクガク頷かれた。
太ももを覆う白のオーバーニーソックスに、膝上何センチだと聞くのも馬鹿らしくなるくらい短いスカート。
そこから少し覗くドロワーズに、意図的なデザインとしか思えない胸を強調させる詰め襟。
いつも下の方で結んでいる髪は耳より上の部分でツインテールにされた上、とどめはフワフワのウサギ耳カチューシャ。
生きてる内にこんな格好をさせられるなんて思っても見なかった。まさに生き恥だ。
「……だからあれほど嫌って言ったんですよ……っ!!」
少し涙目になりながら目の前の鬼道さんを恨めしげに睨むと、一瞬で硬直状態から脱した鬼道さんは怯んだように肩を揺らす。
ごほん、とその横で源田さんが咳払いした。
「まぁその、何だ。結構似合……」
「…………」
「何でもない」
じと目を寄越すと、源田さんはあっという間に押し黙る。
「やぁ、やっぱり似合うじゃないか!」惜しげもなくそんなことを言いながらやって来た漫画さんを睨もうとした私は、ひくりと頬をひきつらせた。
「漫画氏の言った通りの三次元ミリアたんじゃないか! あ、ちょっと握手してくれない?」
「視線! 視線はこっちに流し目でお願いします!」
「しかし悔やむべきは衣装だね、次の機会までにミリアのコスチュームを制作しておかなければ」
何かギャラリー増えてる……!!
後退る私に「向こうのサッカー部だ」と辺見さんが付け加えたが、正直今はそんな情報はどうでもいい。ただ、この目の前で手をわきわきしてたりバシャバシャシャッターを切ってる集団から逃げたい、全力で!!
「も、もういやだぁ……!」
何だか本気で泣きたくなって赤い背中に縋ると、ピシッと鬼道さんが突然姿勢を正す。
ひゅぅ、と小さく鬼道さんが息を吸い込むのが聞こえた気がした。
「とりあえず、早く試合を」
「あ、良いねこの構図!」
「…………」
「おい、いい加減にしろよ」
鬼道さんの台詞が遮られたからか、それとも試合が始められないからなのか、苛々した様子で口火を切る佐久間さんにも秋葉名戸の人達は「何? 今良いところなんだけど」と首を傾げる始末。
佐久間さんの方から、ぶちんと音が聞こえた気がした。
「お、落ち着け佐久間!」
「さっ、佐久間さん!?」
今にも自分を犠牲にしてでも赤いペンギンを召還せんとする佐久間さんを、数人掛かりで止めに掛かる。
「佐久間さんストップ!!」慌てて進路を遮ると、佐久間さんは首から上を真っ赤にして仰け反った。
「さ、流石にそんな露骨な拒否反応を示されるとへこむんですが……」
「違っ、〜〜ッ……!!」
「ああもう!」言葉を失う佐久間さんが頭を抱える。
源田さんにはとりあえずこれを着とけ、とジャージを被らされたのだが。
「……やっぱりそのままで良い」
「ぅえ!?」
次の瞬間、佐久間さんと同じように顔を赤くした鬼道さんにそれをはぎ取られた。
確かにアレだと太ももから下の部分しか見えないから更に危うい格好に見えない気はしなかったけど、ないよりはマシだったのに!
ぐっと口を真一文字に結んで少し俯くと、視界の端に人影。
「良いねその表情! そのままクルッと回ってくれないかな!?」
「………………」
スゥッと真顔になった私を見て、「トランスモードの表情も出来るなんて!」と嬉々としてシャッターを切るその人を無視して、私は帝国メンバーに向き直る。
「──鬼道さん。やっぱりさっきの約束、撤回させて下さい」
微笑みを浮かべて言っているはずなのだが、鬼道さんは私を見て顔色を赤から青に変えた。
「後遺症が残らない程度に、ギッタギタにやっちゃって下さい」
「……望むところだ」
隠しきれない冷や汗を垂らしながら、鬼道さんが頷く。
その日。帝国学園と秋葉名戸の試合は、帝国の快勝でその幕を降ろした。