「マネージャーの用のジャージ──ですか」
「そうだ」

相も変わらず薄暗い理事長室。
扉を背にした鬼道は、珍しくややポカンとした顔で目の前に鎮座する指導者に尋ねた。
彼──影山は、くるりと椅子を回し鬼道に正面から向き合うと、顔の前で組んだ手の下で口を開く。

「あれを引き入れて1週間以上経ったが、予想以上に働くようだ。歓迎の意味も込めて、特注品をくれてやろうと思ってな」
「歓迎……」

彼がマネージャーに肯定的な色を見せることは、滅多にない。珍しい、とばかりに鬼道はゴーグルの下で瞬きを繰り返した。
しかし、と彼は思うのである。

「ですが、総帥。何故今回はそのようなことを?前任のマネージャーは学校指定の物で済ませていましたし、それに──」

機があれば自分たちから離れて行ってしまうであろう彼女に、果たしてそんなものが必要なのだろうか。
──言い掛けた言葉を、反射的に飲み込む。これを口にしたら、本当に彼女が今すぐにでもサッカー部を辞めてしまうような気がしたのだ。

しかし影山は鬼道の言いたいことが分かったのか、そんなことかとでも言いたげに鼻を鳴らす。

「あれは簡単には辞めるまい。そういう人材を選んだのだから」

そういう人材とは、どういうことだろうか。鬼道は頭の端で思考を巡らす。昨日、部員の話題に持ち上がった彼女の性格の話だろうか。
鬼道は僅かに逸れた目線を影山に戻して問いかける。

「分かりました。……それで、俺は何をすれば?」



「──私専用のジャージ、ですか」

入部して1週間と3日経った、ある日の昼休み。
いつも通り寂しい昼食を終えて図書室にでも行こうとしたところを、何故か教室の外で張っていた源田さんと佐久間さんに捕まって拉致られた。解せぬ。

よく分からないまま──良いから黙ってついて来いと凄む佐久間さんに恐れを成して──黙々とついて行くと、連れてこられた先はスタジアムのある一室。
プレートには《Meeting Room》と刻まれていて、とりあえず作戦会議室的なところなのだと理解した。今まで存在を知らなかったのは、入部してからまだ使う機会が無かったからだろう。

ぱしゅん、と既に聞き慣れた開閉音。部屋には長い机が逆さまのU字型に置かれ、その1番奥の席に鬼道さんが座っていた。
……何だか分からないけど、物凄く深刻そうな顔をしてらっしゃる……。

「──来たな、御鏡」
「は、はい」

いつもより重々しい声に、若干の恐れを抱きつつ頷く。
自分の前に来るように促した鬼道さんは、源田さんと佐久間さんを側に置いた状況で訥々と私を呼んだ理由を語り出した。

「で、でも……私は別に、学校指定のジャージでも十分なんですが……」
「俺もそう思ったが、これは総帥の意向だからな」

拒否権はない、と私の意見をばっさり切り捨てる鬼道さん。
うう、と頭垂れる私を見ながら、源田さんが気まずそうな顔でこんなことを言った。

「なぁ鬼道……本当にやるのか?」
「……総帥の命令だからな」

……何やらただならぬ雰囲気になってきたんですが。え?え?やるって何を?
頭上に疑問符を浮かべていると、佐久間さんが重たい溜め息を吐いてこちらを見た。
え……やる……や、殺られる!?

「そういうわけだから、御鏡。恨むなら総帥を恨んでくれ」
「り、リンチはイヤです!!」

状況に耐えきれずに思わず叫ぶと、「違うから」と源田さんに冷静にツッコまれる。

「ぅえ、じゃあ、何ですか……?」
「……し……」
「し=H」
「……調べてこいと、言われたんだ」

自分の肩を抱きしめて尋ねる私に、相変わらず沈痛な面もちの鬼道さんが答えた。
調べてこい、って……。

「な……何を……?」
「……サイズを」

鬼道さんが、短く一言だけ答える。
私、服のサイズはSですが。言うと彼は、そっちではない、と緩く首を振った。
そっちじゃないなら一体どっちだというのか。鬼道さんは珍しく顔を赤くして、どことなくしどろもどろしている。よくよく見てみれば、左右の佐久間さんと源田さんの様子も同じようなことになっていて、ますます訳が分からない。

やがて鬼道さんは、腹を括ったかのようにゴホン!と大きな咳払いをして姿勢を正した。

「俺が、調べてと言われたのは、だな」
「し、調べてこいと言われたのは……?」
「…………」

再び沈黙。
長い間を空けた後で、鬼道さんは真っ赤な顔のままようやく諦めたような声色で、半ば吐き捨てるかの如くぶっきらぼうに続ける。

「す、スリーサイズ」

ドンガラガッシャン。
私は椅子をひっくり返しながら、自分でもびっくりなスピードで部屋の隅まで後退した。

「いいい嫌です無理です断固拒否します!!」
「駄目だ」

ですよねー!
叫んで私はキャパオーバーを起こしそうになっている頭を無理やり鎮めようと頑張りながら、じりじりとそのまま部屋から脱出を図る。

……が、それを見逃さなかった源田さんが気の毒そうな顔で行く手を阻んでしまった(そんな顔するなら見逃してほしい)。
しかし、今回ばかりはいつもの受け身で流されてはたまったもんじゃない。

「だ、大体何でジャージを作るのにスリーサイズを調べる必要があるんですか!そんな下着や水着を作るわけでもあるまいしっ!」
「そんなこと俺が知りたい!と言うか女子がそういうことを大きな声で言うな!」
「御鏡!お前、鬼道に恥掻かせるなよ!!」
「いや恥掻いてるのって現在進行形で私ですよね!?」

叫んで叫んで、互いに肩で息をする。鬼道さんは豪華絢爛な装飾が施されたメジャー(何でそんなものがあるのか甚だ疑問である)を私に突き出して、最後の交渉だと言わんばかりの切迫した表情で言った。

「自分で調べるか、無理やり俺たちに計られるか!選べ!!」

そんなの前者しか選びようがないじゃないですか!!──切実な私の叫びがミーティングルームに木霊した。




ぱしゅん──と。開閉音に見送られるように、私は部屋を出る。
廊下には、壁に背中を預ける鬼道さんたちの姿があった。

「ぜっっっ……たいに、中身見ちゃだめですからね……!!」

太い釘を刺して、私は鬼道さんの手に押しつけるようにしてメジャーと例のアレを記入した幾重にも折り畳んで固くなったメモを渡す。
分かっている、と溜め息を吐き出すように言った鬼道さんは、一拍空けて少し俯いた。

「……何というか、……すまん」
「え、あ、いや、別に……鬼道さんのせいでは……」

済んだことですし、と返せば、流石に鬼道さんも後から羞恥心が追ってきたらしく一度元の色に戻ったはずの頬をまたボボボッと赤くする。
それに釣られる私と佐久間さん、源田さん。4人揃って、赤い顔であらぬところに視線を向けているという、何とも不思議な光景が出来上がる。
気まずい。気まずすぎる。これは元凶の総帥に文句を言っても許されるのではなかろうか。……無理だな。

「……とりあえず、俺はこれを総帥に届けてくる。お前たちも、教室に戻れ」

ああ、と源田さんが頷いたのを確認して、鬼道さんは靴音を響かせて(若干ふらついているような気がしなくもない)その場から去っていった。




──そして、その3日後。私の元に特注品のジャージが届いた。
上下がユニフォームの色とお揃いの、朱色のラインが入ったものだ。胸に小さく刺繍された《帝》の字もお揃いである。
けれど、試しにワイシャツの上から羽織ってみて、何だか違和感。

「(……何か、割と余裕がある)」

袖口、胸元、ウエスト。数年に渡って着ることを想定したのか、そのどれもが緩く作られている。
鬼道さんにあのメモを渡したときは、総帥があれを見るのかと思うと大変遺憾だったが……スリーサイズはジャージには活かされなかったということか(元々活かすものでもないけど)。
何だか気になって鬼道さんに聞いてみると、少し疲れたような声色の答えが返ってくる。

「……ただの暇潰しだったそうだ」

──セクハラで訴えれば勝てるんじゃないかな。思わず呟くと、鬼道さんは珍しく「同感だ」と頷いたのだった。

ジャージ事件