休日出勤はまだまだ続く。

「ふ、えっくし!」
「風邪か?」

昼食も終わった午後1時頃。
食器を洗いながらくしゃみをした私に、鬼道さんたちと何か話し合いをしていた源田さんが振り返った。
少し鼻声になりながら大丈夫です、と答えると、ふぅんと鼻を鳴らした佐久間さんが小馬鹿にするように目を眇める。

「ま、ナントカは風邪引かないって昔から言うしな」
「なん……わっ、私、学力は平均でっクシュン!」

言葉尻にくしゃみをくっつけた私にケラケラと笑う佐久間さん。くっ……このままじゃバカなマネージャーのレッテルが張られてしまう!

「いいい言っておきますが、私テストの総合点は佐久間さんより上なんですからね!だからバカじゃないんですっ!」
「ばっ……何でお前が俺のテストの総合点なんか知ってるんだよ!」
「この前の選手データの備考欄に書いてあっいたたたたたいひゃいいひゃい!!」

「絶対他のヤツに言うなよ!!」と切羽詰まった顔で私の頬を左右に伸ばす佐久間さんに、泡の付いたスポンジを持ったままくぐもった悲鳴を上げる。ちぎれる、頬がちぎれる!どれだけ必死なんだこの人!!

「ほどほどにしろよ、佐久間。織乃ちゃんマジで痛がってるから」
「……ちっ!仕方ないな」

苦笑する土門さんに言われ、パッと私の頬から手を離す佐久間さん。
私はヒリヒリジンジンする頬の痛みに耐えながら涙目で食器荒いを続行する。うう、こんな仕打ちを受けるんだったらハンバーグなんて作るんじゃなかった。

「……そろそろ休憩も終わりだ」

時計を見上げた鬼道さんが、今まで握っていたシャーペンを机に置く。
色んな図が書き込まれたレポート用紙をひとまとめにして、彼はそのまま立ち上がった。

「部員は各自トレーニングルームへ移動!御鏡は諸々の準備が終わったら合流するようにしてくれ」
「は、はいっ!……あ、ちょちょちょっと待って下さい鬼道さん!」

返事をした後ではっとあることを思い出した私は、慌てて鬼道さんを引き留める。
何だ、とこちらを振り向いた彼に、私は尋ねた。

「と、トレーニングルームってどこにあるんですか……?」
「…………」

何かもの凄い呆れ返った顔をされてらっしゃる……。
と、そこで「仕方ないさ」と鬼道さんの肩を叩き救いの手を差し伸べてくれたのが源田さんだ。

「男子は早い内から授業で使ってるけど、女子があそこを使えるようになるのは1月かららしい。知らなくても無理はないだろう」
「そ、そーなんです!」

正直なとこ、1月から女子もトレーニングルームを使うとかの話を聞いたのは初めてだけども。
源田さんの言うことに納得したのか、鬼道さんは軽く溜息を吐きながらトレーニングルームへの道のりを教えてくれた。

「他の運動部の部室が連なる棟があることは知ってるだろう。あそこへの廊下を進んで、四番目の角を右に曲がった先にあるのがトレーニングルームだ」
「………わ、分かりました」
「……もう一度説明してやろうか」
「いいいいえ大丈夫ですっ」

ニタリと笑った鬼道さんに、軽くバカにされたことを気付いた。今朝方の笑顔とは雲泥の差である。
佐久間さんといい、ここの人たちは私を低く見過ぎではなかろうか。どうせ私はバカですよ分かってますよ十二分に!

「まぁ、分からなくなったら事務員の人に聞けばいいし。そう堅くなるなよ」

前言撤回、源田さんは良い人。




みんなが先にトレーニングルームに向かい、乾燥機がタオルを乾かしている間。ドリンクを人数分用意し終えた私は、2回目の掃除をしていた。といっても、モップじゃなくてただの掃き掃除だけど。

「……あれ?」

ガコン、と溜まった塵をゴミ箱に入れているときに気づいた。
棚の奥の奥、それも端っこに分厚い書類が置いてある。置いてある、というよりも埃の被り方からして放置してあると言った方が良いだろうか。
何だか気になって、箒とちりとりを棚に立てかけその書類に手を伸ばす。

「う、っくし!ふぇっくしょ!」

想像以上に酷い埃だ。立て続けにくしゃみをして涙目になった目を擦りつつ、私は書類の文面を見た。

「……帝国サッカー部、試合記録?」

まずは、表紙にその一文。紐閉じの書類をバラバラとめくっていくと、少しかすれた文字と数字の羅列が顔を出す。

「(帝国が今まで試合した学校と一覧ってことかな……?)」

書き連ねてあるのは知らない名前の学校から知っている学校まで。校名の隣に記入された数字に、私は目を見開いた。

「──15対0!?」

他の試合の点数も2桁、無失点のものばかり。帝国サッカー部は全国大会で40年間無敗のとても強いチームだと聞くから、この驚異的な差を付けて勝っている方が帝国なのだろうか。

「(──点数の横にある、バツとマルの意味は?)」

ざっと目を通した限り、帝国は全部の試合に勝っている。しかし、この2つの記号は勝敗に関わらずランダムに記されているのだ。

「(1番古いのは……大体十年前のくらいまでか。どっちかというとバツ印の方が多いのかな)」

連なるバツの間に、ふと思い出したように記されたマル印。
これが何を表したものかは全く分からないが、──私はいつのまにか、言いしれぬ不安に眉間に皺を寄せていた。

よく分からないが、モヤモヤする。思わず書類を握りしめたその時、別室にある乾燥機がけたたましいタイマーを鳴らし、びくりと肩を竦ませる。

「あっ……わ、わすれてた」

もたつきながら立ち上がり、箒とちりとりを掃除用具入れに使用するロッカーに突っ込んだ。
急いで乾いたタオルを畳み、籠に入れて冷蔵庫に仕舞って置いたドリンクを取りに行った途中、机に放りだしたままだったあの書類が目に入る。

「……………」

数瞬迷った挙げ句、私はそれを元の位置に戻した。
──私がいるのは、《今》の帝国サッカー部だ。きっと、これのことを鬼道さんに聞いても、あの人のことだからあっさり流されてしまうだろう。

私はタオルとジャグの入った2つの籠を持ち上げて、私は部室を出た。
みんながトレーニングルームに行ってもう20分は経ってるから、急いだ方が良いだろう。私は籠を持ち直しながら、走って走って走って………。




「──やっと来たか」
「おっ、おそ、くっ……なりましたっ……!!」

約15分後、やっとトレーニングルームに辿り着いた。一応弁解させて欲しい。決して私の足が遅いだけのせいじゃない。トレーニングルームが遠すぎたのだ。

というか、よく考えなくても帝国の校舎ってただでさえ無駄に大きいから、部室から全力疾走というのはめちゃくちゃ無謀だったかもしれない。

「ほら、だから言っただろ。どうせ迷ってるんだって」
「ま、迷ってません……!!」

声に力を込めると、流石の佐久間さんもたじろぎながら頷いた。というか、私の必死さを感じ取ったのかもしれない。
ようやく息を整えドリンクとタオルを全員に渡し終えた私は、ふとあの書類を思い出して口を開いた。

「あの……ちょっと気になったんですけど、良いですか?」

「どうした」私からタオルを受け取った鬼道さんが、額の汗を拭いながらこちらを振り返る。

「今年はもう、他校と試合はしないんでしょうか……?」

こうして身内間ばかりで練習するよりも他校との試合を組んだ方が身になることは、マネージャーになってまだ日の浅い、素人の私でも分かる。
故にぶつけた何気ない質問だったが、次の瞬間トレーニングルームの空気は凍ったように固まった。

「……え」

思わず声を漏らす。それほどに、今この場の空気は冷たい。
するとだんまりを決め込んだかに見えていた辺見さんが、いつもの強面を更に増長させ睨むように私を見た。

「……見てえのか、試合」
「あ、いや見たいというか、一応マネージャーとして一度くらいは見た方が良いのかなぁ、と……」

どうしよう。私はオロオロしながら周りを見回す。
どうしてあんな些細な質問でこんな空気になったかは分からないが、この状況を作ったのは紛れもなく私だ。
何とかしなくちゃと考えを巡らせても、良い案なんてサッパリ思い付かない。

ああ、もっと空気の読める性格だったら気の利いたことの1つや2つ言えただろうに!
唇を噛みしめ心の中で嘆いていると、隣から微かな音。鬼道さんが、密やかに溜息を吐いたのだ。
私はざぁっと自分の血が引いていったのを感じて、ぎゅっとジャージの裾を握りしめる。

「すっ……すいません、こんなこと聞いて!あの……こんなの別に、マネージャーが口出しすることじゃ……」
「いや」

私の言葉を遮った鬼道さんは、大きくジャグを傾けた。喉が上下するのを見送り、口元を拭った鬼道さんは続ける。

「試合の有無の確認も、マネージャーの仕事の内だ。──ただ、対戦相手や日取りを決めるのは、総帥だからな」

ガコンと空になったジャグを籠に放り投げた鬼道さんは、私に背を向けたまま言った。

「──今度、機会がある時……総帥に訊いてみることにしよう」

その言葉に、黙りこくっていた部員の何人かが居心地悪そうに身動ぎする。
鬼道さんの声色はまるで試合を望んでいないと暗に言っているようで、私は頷いただけでそれ以上追求できなかった。

馴れ合いが不要だとか、少し突き放したような態度とか。
何かあるのだろうか。みんなが隠していることが。私が知ってはいけない、何かが──

「──ふぇ、っくしょ!」

……みんなの隠し事がどうのより、まずは私のKY値を下げる方法を考えるべきかもしれない。
何でこのタイミングでくしゃみなんかしちゃうかな、私は!!

「御鏡、本当に大丈夫か?」

「風邪薬ならあるぞ」と元のテンションに戻った源田さんに断りを入れて(というか何で風邪薬を常備してるんだろう)、私はスンと鼻を啜った。

「……『ナントカは風邪引かないって昔から言う』らしいですからね」

ほんの少しの勇気を出して皮肉った私に、一瞬キョトンとした佐久間さんが、ちょっとおかしそうに噴き出す。
小馬鹿にしたような笑み以外に佐久間さんの笑った顔を見たのはこれが初めてのことで、本人には口が裂けても言えないけど女の子みたいな可愛らしい笑顔だった。

秘め事ひとつ