パシュン、と未来的な音と共に左右に開く重厚な扉を潜れば、そこに見えるのは部屋の最奥に鎮座する影山の姿である。
彼の口が「来たか」と言葉を象ると、鬼道はくっと背筋を伸ばしその部屋に足を踏み入れた。

「総帥、お呼びでしょうか」
「ああ」

コツコツと丁寧に爪の切り揃えられた指が、埃ひとつないデスクを叩く。
鬼道はこの日、自分が呼び出された理由を報されていなかった。

「先日、マネージャーが試合のことを尋ねたらしいな」
「──はい」

一拍、鬼道は唾を飲み込むような仕草をして、頷く。先日、とは言わずもがな、日曜日の部活動の時のことである。
僅かに眉根を寄せる鬼道に一瞥をくれ、影山は続けた。

「丁度良い。排除する対象は掃いて捨てるほどある──年明けまでに、1つ2つ試合を熟すのも悪くないだろう」
「はい──しかし、総帥」

1度小さく頷いた鬼道は、気遣わしげに影山を見上げる。
「何だ」と半ば睨むような視線をこちらに投げ掛けた影山に、彼は一瞬口ごもって続ける。

「以前──マネージャー志願した女生徒たちがそれを取り消した理由は、総帥もご存知でしょう。御鏡も例外ではないはずです。あの労働力を失うのは惜しいのでは?」

スラスラと出てくる言葉とは反対に、鬼道は少し戸惑っていた。

確かに彼女はよく働くが、労働力と偏に言ってしまうには違う気がする。
初日に自分が言った、馴れ合いは不要という言葉を気にしてなのか余分に踏み込んでくるようなことはしないものの、最近になってやっと部員たちと打ち解けてきた織乃を見る自分の目は、初めて会ったときより随分と変わってきている。

ようやく芽生えた──芽生えていたことに気付いた、織乃への仲間意識。鬼道はそっと制服の裾を摘んで、少し肩を落とした。

影山は眉を動かし、顎に手を添えこちらを眺める。
それは鬼道の言葉を考えるような仕草ではあったが、表情にはからかいに似たものが浮かんでいた。

「確かに、鬼道。お前の言う通り、あの労働力を失うのは惜しい」

そう言った後、一拍置いて影山は唐突に「ところで」と話を変える。

「マネージャーは、お前たち選手とはどう接している?」
「え?」

脈絡のない発言に、鬼道は僅かに眉を顰めた。違和感を感じながらも、慎重に言葉を選んで答えた。

「まだぎこちなさはありますが……前よりは部員たちと慣れ親しんでいます」

──そう有りの儘を伝えれば、影山はどこか満足そうに頷く。

「重ねて言うが、あれはそう簡単には辞めるまい。そういう人材を選んだと言っただろう」
「……はい」

ここで話が戻るのか、と鬼道はまばたきを繰り返した。先の確認は、この話とどこで繋がるのだろうか。
「試合のことは後日連絡する」影山はそう言って、椅子をクルリと回し鬼道に背を向ける。

「──失礼します」

何も言わなくなったその背中に一礼した鬼道は、ほんの少しの蟠りを残した表情でその部屋を後にした。

▼は

「──鬼道さん?」

声をかけると、ベンチに腰掛けた赤いマントに隠れた背中が小さく揺れる。いつもだったら、平然としてるのに。
鬼道さんがこんな風になったのは、3日前から。日曜日、あの時私が言った言葉が──恐らく発端である。

『試合はしないんでしょうか?』

何故たったあの一言が、みんなをあれほどまでに戸惑わせたのかは分からない。
だけど、今こうして鬼道さんの元気がないのは明らかだ。私は意を決して、彼に1歩近寄る。

「その、鬼道さん……」
「……何だ」

答える鬼道さんの声には、いつもの覇気がない。私は目元にくしゃりと皺が寄るのを感じた。

「あ、の……私、マネージャーの仕事頑張りますから、」
「……?」
「鬼道さんたちの英気に関わる発言も、控えます。みんなが全力でサッカーに取り組めるように精一杯サポートするから、……その、この前はすいませんでした」

中途半端な謝り方をする私に一瞬驚いたように眉を上げた鬼道さんは、少し苦笑した後に小さく口を開く。

「──お前はここにいてどう思う」
「はい?」
「あるだろう?」

辛いとか疲れるとか、面倒だとか──鬼道さんは珍しく、マイナスな言葉を連ねた。
一瞬その様に私のネガティブが移ったのかと思ったが、そんなバカなと頭を振る。
私は少し考えて、言った。

「私──楽しいです、ここが」
「……何?」

鬼道さんが、今日初めてまともに私の方を見る。
ゴーグル越しにうっすら見えた目が、少しだけ見開かれたのが分かった。私は構わず続ける。

「確かに仕事は大変だし疲れるけど……ボールを蹴ってる時のみんなを見てたら、頑張ろうって思えるようになったから」

そうだ。サッカーなんてほんの少し前までルールも知らなかったし、興味すら持っていなかった。
だけど今は、みんながフィールドを汗を散らしながら走り回る光景を見ていられることが、何故だか少し嬉しい。
もしかしたら、転校続きで友達が少ない人生を送ってきたせいで、この状況に幸せを感じたのかもしれない。人の輪の中に、自分がちゃんといるということに。

「……それに」

ここにいたら、独りじゃなくなるから。
──ポロリと零れ落ちた、心の奥底に沈んでいた薄暗い本音。
鬼道さんは一瞬驚いたように眉を動かしたが、そうか、と答えた以外に何も言わない。
見えた横顔はいつも道理の鬼道さんそのもので、私はほっと息を吐いた。




──その3日後。
昼休み、私は鬼道さんと共に総帥の部屋に呼び出された。
これが初めてだったわけではないものの、やはり総帥の呼び出しには得体の知れないプレッシャーがある。

扉を目の前にして溜息を吐くと、一歩後ろにいた鬼道さんが諦めろとばかりに私の肩を叩いた。

「行くぞ」
「……はい」

パシュン、と扉が左右に開く。
部屋の最奥で、総帥はいつものように大きなモニターを背にしデスクに肘を突いていた。

「来たか」
「今回は何の御用でしょう、総帥」

鬼道さんが小さく頷いた後に尋ねると、総帥は手元のコンピューターを弄りながら一言、簡潔に告げる。

「合宿をするぞ」
『はい?』

あ、鬼道さんとハモった。
2人して顔を見合わせると、総帥がキーボードをブラインドタッチする音が耳に届く。

「この時期の合宿は恒例のものだ。異論があるのか」
「いえ、そのようなものは」

総帥の言葉を、鬼道さんはすぐさま否定した。かちゃかちゃと流れるような手つきでキーボードを叩きながら、総帥は続ける。

「しかし──今のサッカー部では、私の求めるものを手に入れるには些か力が足りない。なので、今年の合宿は少しハードルを上げることにした」
「そ、それでどこへ合宿に……?」

弥が上にも声がどもる。あの総帥が上げたハードルなんて、飛び越えられる自信なんかない。
尋ねるともう一度タン!とキーボードの音。ここだ、という言葉と共に総帥の背後のモニターに地図が映し出される。

「これは……」

隣の鬼道さんが眉を顰める気配がする。一面が緑と薄茶色に塗りつぶされた図に一つ、点滅する赤い点。
成る程、あれが目的地ということか──と思った直後、気付く。

「……山の中?」
「そうだ」

大自然で体を鍛えるというのもたまには良いだろう、と総帥がその風体に全く似合わないことを言ってのけた。
呆然とする私を放って、総帥は更に続ける。

「日にちは来月の10日だ」
「──総帥」

鬼道さんが少し表情を引きつらせ、僅かに震えた声で問いかけた。
私は鬼道さんの言わんとすることが分かって、黙ってそれを見守る。

──実は。今週の月曜日、山の方で今年初めての雪を観測したらしい。
来月は月の初めから豪雪になる可能性が高いでしょう、とにこやかに天気予報をしていたニュースキャスターのお姉さんの言葉を思い出した私は、ぞわわっと血が冷めていくような感覚に唇を真一文字に引き結んだ。

「流石に危険だと思うのですが」
「私は手配をするだけだ」

合宿は違う場所にしましょうという遠まわしな鬼道さんの手配をぶったぎった挙げ句、暗に《自分は危険に進んで突っ込んでいく気はないからお前たちだけでどうにかしろ》と曰った総帥に、私は目眩を覚える。

因みに、《来月の10日》まで、残り3週間と少し。

「(冬の山で合宿なんて……)」

ああ、頭が痛い。
私はこめかみを指で押さえた。

水面下の変革