お店のエプロンをつけて、しっかり手を洗います。
食べ物を提供するのだから、売る側も清潔にしなければならないのです。

「あの人、最近よく来るよね」
「え?」

カップを磨きながら、先輩が耳打ちしてきました。
私は彼女の視線を辿って、ああと納得します。

窓際、入り口に一番近い席。
先日の雨の日にこの喫茶店にやってきたあの人は、あれから二日に一度くらいのペースで来店してきます。

「きっと、店長のコーヒーを気に入ってくれたんですよ!」
「うーん、そうかな」

それにしては毎回コーヒーミルクを大量に使っているような、と呟く先輩の言う通り、彼が店を出た後のあのテーブルには、いつもコーヒーミルクの容器が二つほど転がっています。
しかし、コーヒーの楽しみは千差万別。私たちが気にかけるところではないのです。

「名前ちゃん」
「はい」

店長がポットを持って私は目配せ。頷いた私はそれを受け取り、あのテーブルへ駆け寄りました。

「よろしければおかわりはいかがですか?」
「あ」

宿題でもやっていたのか、真っ白なノートを広げていた彼は私の声に顔を上げます。
そしてさっとまた俯いたかと思うと、「お願いします」と小さく答えました。

カップを持ち上げ新しいコーヒーを注ぐと、ふわりと爽やかな香りが薫ります。
今日のコーヒーはいつもと少し違う風味なのだと、店長が言っていました。
おかわりのシステムはタダではないけれど、一杯目の半額になるので、気に入ってくれているお客様も沢山いらっしゃいます。

「どうぞ」
「……どうも」

カップを置いても、彼は顔を上げません。シャイな方なのでしょうか。
気にしないことにして踵を返すと、彼は突然上擦った声で「あの、」と言いました。

「何でしょう?」
「あ、いや……つ、追加でサンドイッチひとつ……」

ああ、なるほど。
かしこまりました、と一つお辞儀をして、私はキッチンに向かいます。
ちなみにキッチンを担当しているのは、店長の奥さんです。

「サンドイッチ注文入りましたー」
「はいはーい」

陽気に答えた奥さんが、鮮やかな手つきでサンドイッチを作っていきます。
この喫茶店のサンドイッチの中身は日替わりです。
確か今日はフルーツサンドだったような。

「はい、お願いね!」

と、思い出している間にサンドイッチが出来上がりました。
流石奥さん、早業です。

「お待たせしましたー」
「……」

はっと顔を上げた彼が、少し驚いたような目をしてサンドイッチを見上げました。
驚くのも仕方ないでしょう、何せ注文してからまだ三分も経っていないのだから。

「ど、どうも」

やや慌ててノートを閉じた彼は、そろそろとテーブルに置かれたフルーツサンドのお皿を引き寄せます。
カウンターに戻る寸前、視界に入ったノートの裏表紙にI・Kと書かれているのが見えました。

I・K。何て言う名前なんでしょう。
カウンターに戻ってくると、先輩は何だかニマニマしながら彼を盗み見ていました。

「ははーん、なるほどね。名前ちゃんも隅に置けないなぁ」
「え?」

先輩は答えずに、手をひらひら振ってキッチンに入っていきます。
一体何のことでしょうか。

ちらりとあのテーブルを見ると、こちらを見ていたらしい彼と目が合います。
しかしすぐ居住まいを正した彼は、もくもくとフルーツサンドを食べはじめたのでした。