First breath is the beginning of death.



「…あ」

すっかり痛みの引いた白竜の足から包帯を巻き取っていた巫女の少女が、ふと顔を上げた。
「どうした」つられて顔を上げ尋ねると、彼女は答える代わりに遺跡の出口があるのだろう方向を、ゆっくりと指差す。

すう、と。
その瞬間、見計らったように、薄い光がそこに差し込んだ。
岩の隙間からも、少しずつ差し込んだ光がベールを作る。

耳を澄ますと、鳥のさえずりが僅かに聞こえた。
そして一拍置き、白竜も理解する。
嵐が過ぎ去ったのだ。

「…1日と少し、か?」
「正確には、三日に差し掛かっているのだがな」

独り言のつもりだったのだが、真後ろから返ってきた声に白竜は思わず肩を揺らす。
顔をしかめ振り返ると、そこには悠々とした表情の名前が立っていた。

そしてふいに、彼女の言葉を思い出す。
もうすぐ、新しい風がくる。そしたら、私もここで独りだ─

「いきなさい」

滑るように移動した名前が、少女の肩に手を乗せる。
少女は驚いたような、悲しむような表情で振り向いた。

「名前様、でも」
「良いから。早く」

渋るような少女の背中を、名前はやや強引に押す。
その表情は白竜から見ることは出来なかったが、─きっと、あの読めない薄ら笑いを張り付けているのだろう。

「ここから出て、探して、迎えに行ってあげるんだ。じゃないと、お前も彼も、私と同じになってしまうよ」
「…」

少女は唇を噛み締めて押し黙った。
そして、二、三歩前へ進み、くるりと体をこちらに向け、深く深く─腰を折る。

「今まで、ありがとうございました名前様。…あなたも」

ちらりと白竜を一瞥し、「元の場所へ帰れることも、祈っています」と柔らかく微笑んだ彼女は、出口へ足を向けた。
光にかき消されるように、彼女の姿は一瞬で見えなくなる。まるで元からそこに存在しなかったように、それが正しい形であるように。

「─さて、と。お前も、行った方が良い」

十分に間を開けた後、名前は言った。
えっ、とふいを突かれそちらを見ると、彼女は壁に背中を預けて小さく俯いている。

「…お前は出ないのか」
「出れないんだよ」
「何故だ」
「さぁ」

矢継ぎ早に問答を繰り返し、最後に返ってきたのは曖昧な言葉だった。
気に入らない、とでも言うように眉根を寄せると、名前はやはりそれを読み取ったのか困ったように笑う。

「そうは言ってもな、」
「まだ何も言ってない」
「…そうは考えてもな、出来ないものは出来ないんだ」

ずるずると、名前はその場に座り込む。
蝋燭の火は、出口から吹き込んだ風で消えていた。

「どうなるか分からないから恐ろしい─とでも言おうか。私は自分からここに留まったわけではないけど、多分、色々な人から恨まれていると思う。それは確かだ」
「…お前の話はいつもよくわからないな」

毎回、主語が抜けているような。そんな印象を受ける。
白竜はここに来て初めて、自分から彼女へ歩み寄った。

「恨まれているかもと思うなら、謝れば良いことだ」
「…そうだなぁ。所詮、子供のやったことだ…私も当時は、まさかこんなことになるとは思っていなかった」

名前は力無く笑う。
小さく舌打ちした白竜は、徐に彼女の細い腕を掴んだ。骨と皮で出来ているような、簡単に折れそうな腕だ。
流石に名前も、驚いたように目を丸くする。

「なら、行くぞ」
「え、どこへ」
「外だ。ここに引きこもっていてはどうにもならないだろう」
「いやいや、ちょっと待っ─」

「俺はハッキリしないことが一番嫌いなんだ」名前の言葉をはねのけ、白竜はそのままズンズンと出口へ向かった。
サァッ、と差した太陽の光に目を細める。一日─名前から言わせると丸二日ぶりの太陽の光だ。

白竜は振り向かなかったが、腕を掴んだままの名前が息を呑むのが分かった。
そう言えば、彼女がどこへいかなければならないのか聞いてなかった─一先ず彼は真っ先に目についた小高い丘に視点を定め、「行くぞ」と進み始める。

足はもう、痛まない。
白竜はそのまま、森を進む。

草木が開けた先にあるなだらかな坂道を登りながら、白竜は名前の腕を掴む手に力を込めた。

「─よし、着いたな」

ざわわ、と眼下の森が風に吹かれる。
深く息を吸い込み、長らく湿っぽい空気ばかり取り込んでいた肺に新鮮な酸素を取り込んだ。

「は…」

息切れしたような声が、名前の口から漏れる。
その目には、森と海と空。ゴッドエデンの自然がはっきりと焼き付いていた。

「は、はは…驚いた。本当に、外に出るとは…」
「当然だ。俺が連れてきたのだからな」

どこか誇らしげな白竜に、名前は声を上げて笑う。
地面にしゃがみこんだ彼女は、足元に咲く白い花を一輪摘み取り、空を見上げた。

「─そう、だな。お前の言う通り、謝りに行くべきなんだろうな。許されても許されなくても、全ての人に」
「何だ、急に心変わりか」

小馬鹿にしたように笑った白竜に、名前は何も答えない。
立ち上がった彼女は、ふと白竜と正面から向き直った。

「お前の名前は何と言ったか」
「…分かるんじゃないのか。言わなくても」
「ああ。でも、お前の口から直接聞きたい」

やけに神妙な声色の名前に首をかしげながら、白竜はその問いに素直に答える。

「俺は、白竜だ」
「そうか。じゃあ、ありがとう、白竜」

名前は握手の代わりだと言うように、あの白い花を彼の手に握らせた。
白竜は、その花と彼女の顔を見比べる。

名前は清々しい、晴れやかな満面の笑みを浮かべた。

「さよならだ」

ぶわ、と台風の名残のような、激しい突風が吹き付ける。
その勢いに白竜は思わず目を瞑り─




「─りゅう…白竜!」

肩を揺さぶられ、白竜はハッと覚醒した。
ぼやけた視界がハッキリとしていく。
真っ先に見えたのは、チームメイトの顔だった。

「ああ、起きた…おーい、白竜を見つけたぞ!」
「本当か?」

ぞろぞろと集まり始めた仲間たちに、白竜は横たえていた体を起こしてキョトンと目をしばたく。
ゴッドエデンの森の中だ─自分はどうやら、寂れた遺跡の石畳に寝そべっていたらしい。
しかし、状況が全くわからない。首を捻ると、自分の顔を覗き込んでいた仲間─青銅が、呆れたように肩を竦めた。

「たく、行方不明になったと思ったらピンピンしてるんだもんな…心配して損したぜ」
「しかし、あの嵐の中よく無事だったな」

「嵐…」反復し、白竜は思考を巡らせる。
そうだ、あの日自分は嵐に遭い、途中で崖から足を滑らせて─それから?

「……名前」
「ん、何だって?」
「…ああ。いや…何も」

口をついた単語に、白竜は顔をしかめた。
それが、何なのか。頭にもやがかかったように思い出せない。
嵐にあった後のことも、すべて記憶から抜け落ちてしまったような気がしてならなかった。

ふと、手のひらに感じる違和感に、白竜は視線を落とす。
そこには、少し萎れた白い花が、くったりとその身を彼の手のひらに預けていた。