爆ぜる心音で縫い付けた



目覚ましの音が今日もやかましい。どうにも先祖返りの血に目覚めてからと言うものの、少し朝に弱くなった気がする。

「……行かねーと」

かと言って、早朝の日課であるランニングを今更やめるつもりはない。
ベッドから這い出た俺は、のろのろとジャージに着替えた。




「寒い……」

まだ靄に包まれた町は酷く静かで気温が低く、人通りも少ない。
午前4時50分。まあ、当たり前だろう。

周りを見回して目に着くのは同じようにランニングかジョギング最中の大人か、疲れた顔で車を運転しているサラリーマンくらいだ。
当然、同じ年頃のやつなんているわけもなく──

「あれ、剣城じゃん」

──いるわけが、なかったのだが。

「……名字。こんな時間に何してるんだ」
「それ、そっくりそのままお前に返すわ。つーか、そっちもランニングだろ」

向こうから橋をのんびり走って渡ってきたのは、水色のジャージを着込んだ名字だった。
「いつもこっちにはこないんだけど」と、名字は聞いてもないことを気まぐれに話し始める。

「何となく気分変えたくて、こっちに来てみた」
「そうかよ……と言うか、大丈夫なのか、お前」

フィフスセクターの奴らに誘拐されかけてから、まだそこまで日は経っていない。
顔を見られたのだから、もう派手に動くことは出来ないと踏んではいるが、それでも万が一と言うことがあるのだ。
すると名字は顔をしかめ、いつも誰かをあしらうのと同じように肩を竦めて見せる。

「大丈夫だよ。大通りばっか走ってるし、護身もちゃんと出来るようにしてるし。今更、日課潰したくないしな」

──何と言うか、危機管理能力が足りないと言うか、熱心と言うか。
呆れた顔をしたのが分かったのか、名字は唇を尖らせる。

「そこまで心配してくれるんだったらさ、せっかくだし今日は一緒に走ろうぜ。一人じゃ暇だし」
「別に心配なんて、──はぁ。分かったよ」

断られても多分構いはしないのだろう。
溜め息を吐いて頷くと、名字はほんの少しだけ嬉しそうな顔をした気がした。




「本物の吸血鬼って、どんな感じなんだろうな」

一定のリズムで並走していると、ふいに名字が思い付いたように口を開く。

「ほら、前に言ってたろ。吸血鬼の話は大体フィクションだって」
「ああ、……まあ、どこからどこまでがフィクションかは分からないけどな」

そう言うところは史実なんかと同じだ。
どれだけ資料があろうが、実際に目で見ることの出来ないものは確かめられない。

「その辺はお前の匙加減で良いんじゃないか?仮にもその血が流れてるわけだし…例えば、太陽の光が苦手とか」
「苦手なら、ここにはいないな」

そろそろ太陽は高い場所に昇り始め、気温も上がって来ている。
が──少し眩しいと思う程度で、別段苦手だとかそういうものは感じない。

「確かに、多少体質は変わった気がするけどな。夜目も利くようになったし」
「傷とかもすぐ治しちゃうしな…」

ぼそりと呟いて、名字は自分の指を見た。ついこの間、俺が血を舐め取った指だ。
──うん。あれはあくまで止血のためであって、他意があったわけではない。そう、別にこいつに対してやましい気持ちなんて、

「魅了」
「え」

低く呟いた声に、一瞬ギクリとする。
無意識だったのか、名字はこちらを一別して、ああ、と返した。

「この前読んだ漫画にさ、吸血鬼が出てきてて。吸血鬼には、異性をメロメロにする力もあるんだって」

要するに『虜』にすると言うことだろう。あとメロメロは多分死語だ(真顔で言うから突っ込み損ねた)。
走る足を緩めた名字は、じっと俺の目を覗き込む。

「剣城は、そう言うこと出来ない──よな」
「そんなの出来るわけ…」

いやだが、実際出来たらどうなるのだろう。
出来ると仮定して真っ先に餌食になるのは、恐らく一緒にいることの多いこいつだろう。

名字が、俺の、虜になったら?

「…………ない、と思う」
「何だ今の長い間は」

やばい。一瞬少し、虜になったこいつを見てみたいと思ってしまった。
普段はこんな風にのらりくらりのんべんたらり、掴み所のない名字がそんな風になったらどうなるのだろう。

「……出来るとしたら、どうやるんだろうな」
「さあ。目を合わせてどうにかするんじゃねーの?」

随分アバウトな考えだ。
所詮は漫画、フィクションの知識だ。こいつもそこまで熟読したわけではないのだろう。

「目を合わせて出来るんだったら、この時点でもうアウトなんじゃないか」
「そうだな……」

……何だ。何でそんなに凝視するんだ。完全に立ち止まった名字に釣られ振り返る。
名字はじっと俺を見つめたまま、一歩ずつゆっくりこちらに寄ってくる。

「……どうする?もし、私がもうお前に虜にされてたら」
「は?」

じり、と近付く名字に思わず後ずさった。一歩一歩、近付く毎に後ろへ。
とん、と背中が塀にぶつかって後退出来なくなった俺に、名字は楽しげに目を細める。
ほんの少し、口角を上げて。

「私が、このまま剣城のこと──愛してる、とか言い出しちゃったら」
「な──」

肩に手を添えた名字が、ぴたりと体を寄せてくる。
押し退けようとすれば出来るはずなのに何故か動けない──と言うか当たってる、胸の辺りに何か柔らかいのが当たってる!!

「ね、どうする?」

どうって言われても。
名字はいつもみたいにニヤニヤ笑いながら更に体をくっ付けてくる。
これは、俺はどうすれば──

「……ぶっ」
「あ?」

「何赤くなってんだよ!」唐突に噴き出した名字は、口を押さえながらするりと離れた。
笑いを噛み殺している姿に、からかわれたのだとやっとの思いで理解して。

「いでっ!!」

その頭に手刀を降り下ろした。

「ってー……何だよ、ちょっとからかっただけじゃん」
「うるせえ」

少しでも動揺したのがバカみたいだ。からかうためだけにあんな全力で演技するとか暇人か。
それともそれに騙された俺が悪いのか?

(……くそっ!)

胸に残った感触はやけにリアルに残っている。
だから、そのせいだ。いつまで経っても心臓が落ち着かないのは。

「剣城〜、そんな怒るなよ。飲みもん奢るからさ」
「……物で釣られると思うなよ」

でも貰えるものは貰う、慰謝料として。
「ちゃっかりしてんな」と、名字は髪を揺らしながら自分のことを棚に上げてそう言った。