チェックメイト・ハニー



電車をいくつか乗り継いで、バスに乗ってようやく辿り着く郊外。
山と畑に囲まれたような場所に、俺の父さんの実家──つまり、祖父母の家は建っている。

祖父母の家はこの辺りでは一番デカいらしく、広い敷地内にデカい屋敷、デカい蔵と、来ているからそれはもう目立つ。
こうやって、初めて見る人間が口を開けて目を丸くする程度には。




「いや……いやいやいや……デカくね?」
「デカいな」

俺の隣に立って木製の門を見上げた名字は、自分の目が信じられないようで何度もまばたきを繰り返した。
そもそも、何故こいつが一緒にいるのかと言うと、話は昨日に遡る。




「調べるって、どうやってだよ」

耳に触れながら呟いたのが聞こえたのか、名字は首を傾げた。

「じいさんちの蔵に、まだ読んでない吸血鬼の文献が残ってた筈だ。もしかするとその中に何か書いてあるかも……」
「蔵? 文献?」
「……」

俺の言葉をおうむ返しした名字の目が輝いている。
どうやらこいつは、そう言った類いの単語にロマンを感じる質だったらしい。




回想終了。
とどのつまり、名字の『私も連れてけ』と言う無言の圧力に負けたのだ、俺は。
──まあ、あの量を一人で調べるのも無理な話だから別に良いか、とも思ったのだが。

とにかく今は蔵だ。
一夜明けて、俺の瞳の色は一層赤みを増して今やほぼ深紅に変わっている。今日が休みで良かった、流石にここまで来ると誤魔化しようがない。

門はいつも開きっぱなしだから、そのまま引き戸を開けて敷地内に入る。不用心だとは思うが、こんな田舎じゃ泥棒も来ないとじいさんもばあさんも耳を貸さない(流石に玄関の鍵は閉めているようだが)。
蔵までの道のり、と言ってもほんの数メートルだが、小綺麗な庭を見回し名字は言う。

「何か……随分静かだな。おじいさんとおばあさんいるんだろ?」
「いや、昨日から旅行で留守だ」

だが、2人には話を通してある問題ない。玄関脇に置かれた小さな植木鉢を少し持ち上げて、その下に隠されていた黒く錆び付いた大きな鍵を取り出す。
そのまま蔵へ向かって、錠前に鍵を差し込む。がしゃん、と鍵を外して重たい扉をゆっくり開くと、前に来たときと変わらない埃っぽい空気が肺を刺激した。

「げほっ、うぇ……埃臭い」
「我慢しろ」

蔵は天井近くに大きな窓がいくつかあるから、扉は開けておかなくともそれなりに光は入ってくる。
窓をいくつか空かし、俺は適当な本棚に目をやった。

「確か……まだ、この辺りの本は見てなかったと思う」
「……これ、ホントに勝手に見て良いもんなんだよな?」

そろりとした手つきで腰の高さの棚に置いてあった本を拾い上げた名字が、怖々と聞いてくる。

「ダメだったら連れてこないだろう。……まぁ、確かに中には博物館に寄贈した方が良いものとかあるかもしれないが」
「う、うわぁ」

ぱりぱり、とゆっくりページを捲りながら名字は青ざめた。
……国宝があるとでも言ったら騙されそうな尻込み様だ。どうせ一瞬で看破されるんだろうが。

「俺はこっちの棚を見るから、お前はそこを頼んだ」
「ん、分かった」

名字は頷いて、その場に体育座りして本を読み始める。
俺も少し腕を捲り、本の詰め込まれた棚と向き合った。

(そもそも、吸血鬼の資料を見付けるまでが骨なんだ……)

前に来た時は本棚を三つ調べ、百冊はあるだろう本の山の中からようやっと二冊の文献を見つけたのだ。
だから今回もそれなりに長期戦を覚悟しておかないとならないわけだが。

「……名字。ちなみに今読んでる本の内容は何だ」
「んー……先祖返りの人の、恋人の日記?」

長期戦とは何だったんだろうか。

「って待てよ。恋人ってことは、贄≠フ日記か?」
「は? にえ??」

聞き返してきた名字が首を捻る。
ああ、そう言えばまだその辺の説明はしていないんだった。

「えーっと、つまり……今のお前の立場だ。吸血鬼に選ばれる……確か、この本にあったと思う」

言いながら、先日見た本棚から一冊の薄い資料を取り出す。
鬼に選ばれる他者、贄。先祖返りを弟に持った人間の手記だ。確かその中で、弟の贄は恋人だったと記されていたはずだから──もしかすると、その恋人とやらが今名字の持っている日記の主なのかもしれない。

「生きた贄……生け贄ね。あんまりいい気はしねーな」

俺の渡した本をジト目で見て、名字は再び恋人の日記に視線を戻した。

「当事者の方がよっぽど現実的だよ」
「? ふぅん」

ほら、とおざなりに手渡された日記を読んでみる。
運命。初めに目に付いたのはその二文字だった。

『彼が生物としても私を必要としているなら、これはもう運命と言っても良いのではないだろうか。私はこの魂を、体を、血を、彼に捧げよう。それが彼と生涯を共にすると誓った、私の幸せなのだから』

なるほど確かに文面で見る恋人とやらは幸せそうで、生け贄と言うマイナスイメージを持つ単語は似合わないかもしれない。
名字は手元に戻った日記のページを捲りながら、染々と呟いた。

「運命……赤い糸、か」
「……」

思わず名字の横顔を凝視してしまう。
あの*シ字が、運命だの赤い糸だのそんなメルヘンな単語を口にするとは思えなかったのだ。
しかし当人は完全に無意識の独り言のつもりだったようで、再び日記を読むのに集中している。

それより資料を探さなければ。
俺は気持ちを切り替えて、本棚の前にあぐらを掻く。
赤い瞳に尖った耳。初対面の人間相手であれば体にこう言う特徴があるのだと言えば納得するだろうが、見知った人間相手にそんな言い訳が通用するわけはない。

(だからっていくら何でも、気付いた奴全員にこの体のことを説明するのも……)

名字一人に説明するのも憚られたのだ。必要以上にこのことを教えるような事態になることは避けたい。
だったら、少しでも早く元の状態に戻る手掛かりを見つけよう。

と言っても、その宛があるのかさえ分からないのだが。

「はぁ……」
「おい、辛気臭い溜め息吐くなよ」

ただでさえ埃臭いんだから、と名字はこちらを見もせずに本棚に手を伸ばしている。
足元には既に数冊の本が重ねられていた。読書は早い方らしい。

そうして時々言葉を交わしながら、本を出しては仕舞い、出しては仕舞いを繰り返す。
それからどのくらい時間が経ったのだろう。

「……ん。今、何時だ?」

ふいに名字が声を上げた。
携帯を見てみると、時刻は5時半を示している。どうりでさっきから文字が読み難いと思ったわけだ。

「流石にこれ以上長いするのはやめた方が良いだろうな。今日は諦めよう」
「良いのか?」
「ああ。また明日来れば良い」

その明日に手掛かりが見つかれば良いのだが。
ゆっくりと立ち上がった名字は、背を反らして固まった筋肉を解している。

「三時間以上探して、見つかったのはたった一冊か……まだやっと半分、って感じだし、先が思いやられるな」
「全くだ」

疲れたように言って、名字は背の高い本棚に寄り掛かった。
ごとん、と頭上で音がする。名字の頭に、小さく影が差した。

「っ危ねえ!」

気付いたら腕を伸ばしていた。虚を突かれた表情をした名字を床に押し付けて、体を丸める。
瞬間、ゴツン、と頭やら背中やらに固いものが降り注いだ。

「ちょっ──大丈夫か、剣城!?」
「〜ってえ……」

どうやら落ちてきたのは巻物だったらしい。時代錯誤と言っても仕方ないが、それが普通にあるのがこの蔵だ。
下から伸びた手が、後頭部に触れる。

「コブとか……は、出来てないな。悪い」
「……いや」

寧ろ、この半分押し倒してしまったような体勢を謝りたい、俺が。
悟られる前に素早く名字の上から退いて、散らばった資料を見下ろす。多分あの雑多な仕舞い方はじいさんの仕業だろう。

「あれ……?」

ふと、名字が足元に落ちていた資料の中から、数枚の紙を拾い上げた。
元々本だったものから千切れたのか、片側がぼろぼろになっている。

「……これ、さっきの日記の一部だ」
「は?」

そんなことが分かるものだろうか。
「字と文の書き方が同じなんだよ」と名字は先程の日記を広げて見せる。確かに言われてみると同じものだった。
時間が経つにつれ、蔵の中は赤く夕日の光で満ちていく。目を細めながら、名字はその内容を囁くように読み上げる。

「5月3日、昨晩から突然彼の瞳が赤くなった。理由は分からないが、その姿はまるで西洋の書物で見た吸血鬼のようだ=c…」
「!」

もしかしなくても、それは今の俺と同じ状況なんじゃないだろうか。
俺たちはつい顔を見合わせ、残りの紙をもう一度覗き込む。日記にはまだ少し、続きがあった。

──5月5日。やはり彼は、鬼としての本能を目覚めさせてしまったのではないか。先程血を飲まれたが、いつもよりも量が倍以上多かったせいか、少し体が重たい。
──5月6日。不思議なことに、彼の瞳の色が元に戻っていた。やはり理由は分からない。もしかすると、昨日多く血を摂取したせいだろうか。

「……これは」
「つまり、……剣城も、血の量が足りてないってこと?」

丁度日記はそこで終わっている。
元になっている日記を確認してみると、中頃の数ページ──つまりこの千切れたページの続きもあったが、その後特に目ぼしい情報は書いていなかった。
二人は無事に結婚して、子供を残し、『幸せだった』と言う一文を最後に終わっている。

「……可能性は、あるが。まだ憶測の域は──」
「出てなくても、試す価値はあるだろ?」

言葉尻を掻き消して、名字は立ち上がる。
そして徐に上の服を脱い──

「なっ、何してんだお前は!?」
「何って、首からの方が血が飲み易そうだから」

キャミソール姿になった名字は、あっさりと言ってのける。
確かに一番初めの時が一番飲みやすかったし何となく味もあっちのが良かったような気がするがそれでもこんな、簡単に、承諾していいものなのか。

「剣城。お前の体の変化が、このままそれで止まるとは、私は思えない」
「!」

真剣みを帯びた声で、名字は言う。
耳が尖り、瞳が赤くなり、冷たくなった体。吸血鬼になろうとしている、と名字の昨日言った言葉は、強ち間違っていないと思う。
だとしたら。本当に、俺の体が吸血鬼そのものになろうとしているのなら。

「私は、お前とサッカー出来なくなるのは、嫌だ」
「──ああ」

それは、俺も嫌だ。
ゆっくりと立ち上がって、視線を合わせる。頼りない肩紐の掛かった肩は、相変わらず白くて細い。

「後からやらなきゃ良かったとか、言うなよ」
「ダメで元々だ。言わねーよ、そんなこと」

前のように倒れられて、また支えられるとは限らない。
名字が背の低い本棚に腰かけたのを確認して、俺は息を大きく吸い込んだ。

口を開けて、牙を突き立てる。
名字の体が一瞬、怯んだように震えた。

「……ッつ、う」

ぶつ、と突き破った肌から温かい血が溢れてくる。
それだけで体が落ち着いて、目が冴えるような感覚に陥る。いつもならここで終わるが──今回は、ダメだ。

唇で肌を圧迫して、思いきって血を吸い上げる。
一口、二口。──どれだけの量を吸えば良いのだろうか。

「んっ、ふ……」

声を押し殺した名字の指先が、俺の上着をぎゅっと掴む。
ちらりと横目で窺うと、先まで真っ赤になった耳と涙の滲んだ目尻が見えた。

(──何だ、コレ)

ぞわりと背中が粟立つ。
やってはいけないことをしているような気分と同時に、動悸が激しくなるような、気持ちが浮き上がるような気分にもなる。

前にもこんな気分になった。以前まで分からなかったが、今なら分かる。言葉に出来る。

これは、興奮≠セ。

「ん、……ッあ」

最後に、傷口を舐めて塞いで。喉を震わした名字が脱力して、こちらに倒れ込む。
ぼんやりとした様子で瞼を上げた名字は、熟れた桃みたいな頬のまま俺を見つめて、どこかとろけた目を少し細めた。

「──元に戻った、な」




名字の持っていた手鏡で、自分の様子を確認する。
尖っていない耳、金色の瞳。名字は俺の手を握って少し考えた後、「うん、ちゃんと暖かい」と満足したように頷く。

「何か、足元ふわふわする」

蔵を出て、しっかり上着を着た名字は顔をしかめて首を傾げた。
辺りはすっかり夕日の光で赤く染まっていて、空には既に月が昇っている。

「貧血だろ。結構吸ったし……」
「この調子じゃ、私の身が保たないな」

やれやれ、とわざとらしく溜め息を吐いて、「とりあえず帰るか」と名字は歩き始めた。
黒く伸びた影は、俺のそれより少し細くて頼りない。あいつは、あの体で、あの血で、これからも俺を生かしていく。

贄と言うよりも、運命共同体と言う方が正しい気がした。

「……ん?」

ふと、疑問がひとつ浮かぶ。
あの手記にあった先祖返りは、丁度恋人が贄だった。傷付けて、自分で責任を取った。きちんと互いに気持ちが通じている上で結婚して、人生を共にした。

じゃあ、俺と名字の場合どうだろう。
これから生きていく上で、名字と言う贄の存在は必要不可欠だ。つまり俺はこの時点で、あいつの人生を縛っていることになる。
その上で、俺が責任を取るには。

『私はこの魂を、体を、血を、彼に捧げよう。それが彼と生涯を共にすると誓った、私の幸せなのだから』

──あの二人と、同じことをしなければならない?

「おい、剣城!何ぼーっとつっ立ってんだよ」
「!!」

門の向こうから、ひょこりと名字が顔を出す。
いや──いやいやいや。いくら何でも飛躍し過ぎだ、落ち着け俺。まだ人生の半分も終わってない内からこんな。

(……何を考えてるんだ、俺は!)

一瞬、前を行く名字が、白いドレスを身に纏っている姿を想像して──案外悪くないかもしれないなんて思ってしまって──慌てて激しく首を振る。
どうも、俺はいつのまにか人として、と言うか、男として崖っぷちに追い詰められていたらしい。

「剣城ーってば! 置いてくぞ!?」
「……うるせえな、今行く!」

とにかく名字。お前はまだ、このことに気付いてくれるなよ。
せめて、俺の色々な決心が固まるまでは。