君は野に咲くあざみの花よ
見ればやさしや寄れば刺す
3年1組の名字名前と言えば、3年生で知らない生徒はほとんどいないと言っても過言ではないだろう。
毎年大会を総なめする書道部部長は本の虫で、三年間ずっと図書委員を務め休み時間のほとんどを図書室で過ごしている。だがそんな情報は、俺からすればあいつを説明するにはほんの些末なことだ。
いつだって薄いリアクション、感情を感じさせない淡々とした喋り。冷ややかにこちらに向く視線はいつだって氷のようで、まるで氷の女王だ、と曰ったのはどこのどいつだっただろうか。
一番最初の発端とも言えるのは1年の時。クラスの派手な女子がストレスの発散にあいつに対し陰湿な嫌がらせ──所謂いじめを始めたその初日、と言うか物の数時間後、あいつはバケツにたっぷり汲んだ冷水(わざわざ氷まで調達したそうだ)をそいつにぶちまけると言う何とも剛胆な仕返しをした。
先にいじめをした女子(濡れ鼠)と一緒に先公に呼び出されたあいつは、相も変わらぬ冷ややかなな目と感情を感じさせない声で言ったとか。
『だって、やられたらやり返すのが普通でしょう』
──結果、いじめを仕掛けた方がパンツまでびしょ濡れになって泣きじゃくりながら『もうあんなことしない』と言質を差し出し、やり返すにしてもちょっとやり過ぎなんじゃないか、と職員会議が開かれてその件は約1週間後喧嘩両成敗≠ニ言うことで収束した。
以来、名字名前には決してちょっかいをかけないこと、という暗黙の了解が学年の間で広がったのは言うまでもない。
「──何を見てるの、南沢くん」
「お前の日記」
からん、とコップに入った氷の揺れる音がする。
そう、盆に乗せたコップを机に置きながら顔色1つ変えない名前は、ちらりと俺の手が捲る日記を覗き込んだ。
「そんなに熱心に読むほど面白いことを書いた覚えはないのだけれど」
「あ?あぁ、まぁ……ただ、少し愉快ではある」
名前は普段からあまり大袈裟に怒ったり悲しんだり喜んだりしない。けれど代わりに、こう言った文面になるとほんの少しだけ感情的になる。
1年前の日記には、流石に氷水はやり過ぎたかもしれないから次の機会には常温にしようと思う、と綴ってあった。違うそうじゃない。
「つえーなぁ、お前は……」
「そうかしら」
何て言うか、鋼のメンタル。うちの後輩にも分けてやりたいほどの。
一口、コップに口を付けた名前の唇が潤って艶めく。何となくそこから目を逸らして、俺は日記帳を元の場所に戻した。
「それより南沢くん、あなた私の日記を読みに来たわけじゃないでしょう?早くしないと夜になってしまうわ」
「んー?ああ……そうだな」
面白い映画がある、とDVDを片手にこいつの部屋に上がり込むのに成功したのは30分ほど前のことである。
別にこれが初めての訪問というわけではない。以前から何度か勉強会を口実に訪れてはいるので、ある程度物の場所は分かっている。リモコンを探し出し、デッキにDVDを入れてボタンを操作する。名前は既に腹にクッションを抱え、準備万端の状態だ。多分こいつの好きな本が原作の映画じゃなかったらここまで真剣にはならなかったろう。
ファンタジーな世界を舞台にした恋愛映画。俺としちゃどっちかと言えばアクション映画の方が好みだが、何てったってこっちにはラブシーンがふんだんに盛り込まれている。あわよくばその空気に流されてそういう雰囲気に持ち込めたりしないかな、という魂胆は多分バレていないだろう。
そうだ、こいつに関してもう一つ特筆すべき点があった。
書道部部長、図書委員、付いたあだ名は氷の女王。名字名前は、俺こと南沢篤の恋人である。
「──このキャスティングは納得いかないわ。ヒロインの髪は燃え盛る炎のような赤毛だって原作で言われてるのに何でこの映画だと金髪なのかしら」
「……赤毛の女優が見付からなかったんじゃね」
ちなみに映画を見終わった後、名前は出来映えが不満だったらしくちょっとプンスカしていた。
そういう雰囲気になったかどうかは大体お察しの通りである。ラブシーンに差し掛かり暗転する寸前に見えた女優の半裸に対し名前が真顔で放った「この女優さん足が綺麗ね」に俺は全てを諦めた。
「でもストーリーのアレンジは中々良かった。ありがとう南沢くん、楽しめたわ」
「どういたしまして……」
さよなら俺の甘い恋人計画。明日からまたいつもの毎日が始まる。俺は脳内の計画表に1つバツを付けて嘆息した。