※円夏、一秋要素あり
例えば、雑貨店なんかに置いてあるガラス細工に触れるとき。ぶつけたり落としたり、そんなことを絶対にしないように慎重に、丁寧に、両手で包み込むようにして持って、棚から持ち上げる。
今の私は多分、そのガラス細工と同じ気分を味わっていると思う。
温かい、ともすれば熱い手は私の背中をゆっくりと左右から抱え込み、そっと引き寄せられる。何の衝撃もなく彼の胸板にゆっくりと体重を預ければ、頭の上でひゅっと喉が鳴る音がした。
「……その、風丸。そんなに緊張しなくても……」
「あ、ああ。……うん……」
赤ん坊と間違えているんじゃないかと言うくらい弱い力で私を抱きかかえながら、風丸は曖昧に返事をする。私の話を聞いているのか聞いていないのかも分からない。
すぅ、はぁ、と風丸が浅く深呼吸するのが分かった。一瞬自分の体臭がキツくないか確認しようとしてしまったのが悲しい。
「……柔らかいな」
息を整えたことで少しだけ気持ちが落ち着いたのか、風丸はまだ熱の籠もった声で、私の耳元を擽るように低く呟く。
腕の力はほんの少しだけ強くなって、ところどころ隙間のあった私たちの体は完全に密着した。隔てる物は服ばかりで、制汗剤の匂いが、シャンプーの匂いが、体温が、心音が、風丸の一つ一つが私に伝わってくる。
付き合って3ヶ月も経ってるのに手を繋いだことしかないなんておかしい、と私に怒鳴ったのは中学の頃からずっと交流の続いているリカだった。
彼女曰く、夏未ちゃんから無理矢理引き出した情報に寄ると、彼女は既にファーストキスを済ませたらしい。あの彼女と、円堂が、だ。
夏未はともかく円堂よりも遅れているのは絶対におかしい、と中々に失礼なことを言ってきたリカにうっかり触発されてしまった私は、何だか考えれば考えるほど確かにそれがおかしいことなのではないかと思い始めてしまった。
つまり、私と風丸の関係は遅れているのではないかと言う疑惑。周りの恋人がいる友達の事情は知らないが、3ヶ月もすれば手を繋ぐのなんて当たり前だし、ハグもキスも、もしかするとそれ以上のことも経験済みなんじゃないか、みたいな恥ずかしいことを。
──と言うのを帰り道、勇気を振り絞り風丸に話してみたところ、彼は夕日よりも真っ赤な顔になりながら言ったのだ。
じゃあ、とりあえず今日は一歩だけ進んでみようか、と。冗談を交えたような声色で、真剣な目をしながら。
そんなこんなで初めて風丸の家、と言うか部屋にお呼ばれして早30分。蝸牛が進むのと同じくらいの早さで、私たちはようやくハグと言う第2の関門を突破したわけだ。めでたしめでたし。
「っ何か、ちょっと暑くなって来たかも!」
「そ、そうだなっ」
先に耐えきれなくなったのは私の方だった。 ついつい上擦った声で腕をタップした私に、風丸はつられて驚いたように目を見開きながら私から少し離れる。
途端、それまで2人分の熱が籠もっていた体の前面が、すきま風に吹かれたようにヒヤリとした。
こんなことで、この先の第3第4の関門を突破出来るのだろうか。そんなことが頭を過ぎって、不安になる。
夏未ちゃんはどうやって円堂と恋人らしい道を進んだのだろう。かつては3人の美少女のアタックに靡くどころか気付きもしなかったあの男と、一体全体どうやって。
「(……いっそのこと秋ちゃんに聞いた方が……)」
彼女とは高校が違うから会う機会は減ってしまったが、今でも連絡を取り合っている友人の1人だ。秋ちゃんも遠距離恋愛中のあいつと仲良くやってるだろうし、こっちに聞いた方が参考になるかもしれない。
「……名前」
「えっ、何?」
そうと決まれば早速スマートフォンを、と考えていた時だった。
突然私の名前を呼んだ風丸が、そのまま両手で私の頬を挟む。うにゅ、と左右から潰された頬が、私の唇を変な形に曲げた。
「ど、どうしたの風丸」
「いや……その。ずっと、言おう言おうとは思っていたんだけど」
とりあえず喋りにくいから手を違う場所に置いて欲しい。照れ隠しにそんなことを思いながら、言葉の続きを待つ。
あー、うー、と言葉にならない呻き声を短く何度か上げた後、風丸は私から目を逸らしながらやはり真っ赤な顔になりながら続けた。
「抱き締めたり、キスしたり……他のこと、とか。俺がそう言うことしたいと思うのは、その、名前だけだから。一つずつ気長に待ってて欲しいなって……」
頬に触れる両手から、風丸の鼓動が早くなっているのを感じる。
恥ずかしくて、嬉しくて、綯い交ぜになった感情を言葉に出来ることが出来なくて、私は今度は自分から彼に抱き着いた。
そこらの女の子よりも綺麗な顔のくせ、部活で鍛えた固い胸に耳を当てると、早鐘を打つ心音が聞こえてくる。
「……仕方ないから、待っててあげる。でもさ、今日はあと一歩だけ、頑張って欲しいな」
だって、せっかくここまで来たんだから。
こんなこと言っても無駄だろうな、なんて半分諦めながら目を閉じた私の額に温かいものが触れたのは、それからたっぷり10秒空けた後のことだった。
スロウ・ワルツ
20140916//さよならの惑星