白咲と言う男子生徒は至極真面目な人間だった。
授業の予習復習は勿論、教員に対する丁寧な態度も、委員会に参加する真摯な姿も、その模範生としての印象をより顕著にしていたのだろう。
そんな彼に唯一の汚点があるとするならば、しばらく前に起きたサッカー部内のごたごたの渦中の原因、その一人であったと言うことだろうか。
過去形として表すのは、既にそのごたごたが何かしらのイベントにより解消され、白咲は最早『ただの真面目な生徒』でしかないからなのだが。

だがしかしそれでも、彼にはもう一つ問題があった。
それはこの私、名字名前と清純なお付き合いをしている、と言う噂があることである。

勿論、そんなことは事実無根。私は生まれてこの方彼氏と言うものがいた時代など全くないし、中学生は学業に専念するべきと判断し三年間恋愛には興味を持たないと小学校を卒業して早々に心の中で固く誓ったのだ。
であるからして、とにもかくにも白咲とそんな噂が実しやかに囁かれるのは大変不本意なのである。

「と、私は今ここで宣言するのだけど」
「だけど、と言われても」

長々と眼前にいる彼の目を見もせずに、手元の文庫本を捲りながら言った私に、白咲はやや困ったように頬を描いた。

「第一、何でそんな噂が広まったのかも分からない。確かに白恋は小さな学校だけど、誰かが意図しない限りそんな話は広まらないと思うの」
「つまり名字さんは、誰かがこれをわざと広めたと?」
「可能性を提示するだけ」

ぱら、と本を捲る音と共に返す。
図書室は昼休みを迎えたと言うのに室内には図書委員の私と白咲しかおらず、閑散としている。ただ先週からついた石油ストーブがしゅんしゅんと間抜けた音を立てていた。

「名字さんは俺と噂が立つのが嫌か?」
「嫌とまでは言わない。けど、ありもしないことで騒ぎ立てられるのが迷惑」
「それは確かに言えているな」

しゅんしゅん。ストーブの音に被せるみたいに、白咲が小さく笑う。
そう言えば彼は何故ここにいるのだろう。別に出ていってほしいわけではないが、本も読まずにただカウンターに座る私を眺めているだけで、他に用はないのだろうか。

ぱらり、私は最終章に近付いてきたページを指でなぞる。

「白咲こそ、嫌ではないの。私とそんな噂が立って」
「嫌ではないよ。寧ろ、嬉しいからな」

ページを捲る手が止まった。
すい、と顔を上げた私に、やっとこっちを見たな、と白咲が笑う。
胡散臭い笑顔だ、と思った。それと同時に、ひどく嬉しそうだ、とも。

「なぁ、もしその噂を広めた犯人が俺だったらどうする?」
「…理由を聞きたい」
「そうすれば意識してもらえると思ったんだ」

さらり、白咲は何てことないように答えた。
「あと、周りへの牽制にもなるし」言葉の延長線上で続いたそれは、まるで教師から答えを求められた時のように淡々としている。

「でも、そう言うのが君が嫌だと言うなら、ここまで来たらもう直接言うしかないのかな」
「…私は、恋愛はしない主義なの」
「それは初めて聞いたな。…でも人間は、心変わりする生き物だから」

俺もそうだったから。そう呟いた彼の顔は、いつもの真面目な模範生のそれだった。
私は栞を挟んだ本を閉じて、カウンターに伏せて血色の悪い両手を乗せる。
その上に、まるで壊れ物でも扱うように、白咲の骨張った手が重なった。

「名字さん、」

しゅんしゅんしゅん。静まり返った図書室に、ストーブの音が響く。
鼓膜を震わせた短い言葉に、私は、答える代わりに小首を傾げる。白咲の頬には、春を思わせる色が僅かにちらついていた。

「この本を読み終えるまでに、今度は真っ向からかかって来て。そしたら、心変わりしてあげる」

そんなことを答えてしまった時点で、心は決まっているのかもしれないけど。
聡明な彼にもそんなことは分かっているだろう、それでも白咲は、やはり至極真面目な表情で、「それなら、頑張らせてもらうよ」と小さく頷いた。


白魚と無骨
にやり//131123