同じクラスの名字名前いう人間は、どうにもこうにも女子らしさのない奴だった。
座るときに足を揃えたりなんてしないし喋り方もどことなく粗っぽいし、下手するとそこらの男子よりも力が強い。
けどあいつの唇がいつも薬用のリップクリームで潤っていることも、綺麗にカールした睫毛が思いの外長いのだと言うことも、俺は知っていた。
少なからず、あいつが女子だと言うことを─不本意ではあるが─俺は確かに、ことあるごとに思い知らされていた。
そう、例えば今みたいに。
「な…に、してんだ。名字」
部室のゴミ箱に溜まったゴミを捨てに向かった、体育館裏の焼却炉。
そこの傍ら、物陰に何かが潜んでいるのが見えた俺は、興味本意でそこを覗き込んだ。
ただ、それがいけなかった。
「く、くらま…?」
喉の奥に何かがつっかえたような、それでいて驚きを隠せない声が俺の名前を呼ぶ。
体を小さく折り畳んで、体育座りでしゃがみ込んでいたのは名字だった。
泣いてる、と瞬時に分かったのは、反射的に顔を上げた名字の目から今もなお涙が溢れ続けていたからである。
思えば、気付かないまま─むしろ気付かないふりをしたまま、部室にトンボ返りした方が俺にとっても名字にとっても良かったんだろう。
だけど一度声をかけてしまった手前引き下がれずに、俺は動揺を隠しきれないまま再び口を開く。
「な、何してんだこんなとこで。どっか痛いのか?」
我ながらガキと言うか、典型的な質問だと思った。
名字はそこで自分の涙が止まってないことに気が付いたのか、慌てて濡れた頬を手でごしごしと拭う。
「あ、うん、そう!ちょっとそこで、転んじゃって!!」
「……」
その言葉に改めて、名字の姿を上から下までざっと眺めた。
靴は土埃で少し汚れているが、それはいつものこと。スカートやワイシャツから伸びた手足には、特に汚れも傷も見えない。
「お前、嘘つくの下手だよな…」
「うっ!?」
半ば呆れて溜め息を吐くと、名字はギクリと首を竦ませた。
そういやこいつの成績は浜野とどっこいどっこいだったな、と思う視界の端で、名字の目からはまだ涙が流れ続けている。
「…何があったか、話くらいは聞いてやるよ」
「………わ、笑わないって約束するなら」
笑えるような理由でこんなところで泣いていたのだろうか。
流石にそうは思えなかったので、笑わない、と口約束を交わしてから俺は名字の隣─は何だか憚られたので、一つ上の段差に腰を下ろす。まだゴミ捨ての途中だが、もう活動終了の挨拶は済ませているから構わないだろう。
「その、…し、しつれん、したんだ」
「しっ」
失恋!?
思った以上に大きな声を上げて反応した俺に驚いた名字が、ギョッとしてから「声がでかい!」と俺の鳩尾に裏拳をかました(これが弱っている女子の腕力なのか甚だ疑問である)。
「お、お前、好きなやつなんていたのかよ…」
「いたんだよ、人並みに」
痛みに息を詰める俺とは対照的に、今ので少し気が張れたのか、名字は涙の止まった目を半眼にしてジトリと俺を睨め付ける。
しかし、それにしたってあまりに意外だ。
足癖は悪いし一挙一動はがさつだし、口論になれば女子の口から出たとは思えないほどの罵倒の数々がいともたやすくポロポロと飛び出してくる。そんな名字に、まさか好きな奴がいるなんて。
(─あれ。何だこれ)
よく分からないが、妙に心臓の辺りがもやもやする。
眉根を寄せ、ユニフォームのエンブレムの辺りに手を当てた俺に気付いていないのか、名字の話はぼそぼそと続いていた。
「それにしたって、ひどいよね。もうちょっとおしとやかな子が好みだとか、初めて聞いたよ」
どうやら名字のふられた理由はそこにあるらしい。
まぁ確かにこいつにおしとやかと言う言葉は縁遠いだろう。何となく同情しきれずにふぅんと相槌を打っていると、名字はまた涙がぶり返してきたのか、顔を膝に埋めながらしゃくり上げた。
「これでも頑張ってたんだよ…口だって荒れないようにリップクリーム塗って、睫毛だって少しでも可愛く見えるようにビューラー使ったりしてさ」
何度も瞼を挟んでは痛い思いをした、と言う名字の言葉が右から左へ抜けていく。
そうか。
俺が今まで見てきたこいつの『女子の部分』は、全部その好きな男の為だったのか。
「…倉間?どしたの、眉間のシワ増えてるよ」
「別に…」
名字は怪訝そうに眉を顰めたが、そう、と返してそれ以上追求しなかった。
やがて何度かしゃっくりを繰り返して五分程経った頃、大きな深呼吸を最後に名字はこちらを振り返る。
「うん。話したら何か少しスッキリした気がする。一応ありがとね、倉間」
「一応って何だよ」
一応は一応だよ、とカラカラ笑った名字はもう泣いてこそいないが、頬にいくつも涙の筋を残している。
それが逆に痛々しくて、苛々して、嫌だった。
「いたっ!?ちょっ、何?何?!」
「るっせ、ブス」
「理不尽にひどい!!」
泣いた後でガサガサになった頬を両手の掌で挟むようにして乱暴に拭う。
睫毛には名字が自力で拭いきれなかった涙の粒が、ビーズを散らしたみたいにぽつぽつと残っていた。
「…こんな、人気のねぇトコで一人でメソメソしてんじゃねーよ。らしくもねぇ」
名字はがさつで女らしくさもないような奴だけど、それでも、泣き顔は出来ればみたくない。
人目を忍んで、誰にも見つからないように悲しんで涙を流す姿なんて、尚更だ。
「…倉間は、慰めるのが下手だよね」
「あぁ?」
「でも、ありがとう」
力が抜けたように、名字がふにゃりと笑顔になる。
途端、名字の頬を挟む手が鉄板に触れたみたいに熱くなった気がして、慌てて手を離した。
それじゃあまた明日、といつもの調子で言ってスカートを翻した名字は、さっきまで泣いてたとは思えない軽い足取りで姿を消す。
俺はまだ熱のこもった手を見下ろして、ギュッと目を瞑った。
「何だよ…」
残像みたいにあいつの笑顔が頭を過って、俺はその場で項垂れる。
名字は座るときに足を揃えたりなんてしないし喋り方もどことなく粗っぽいし、下手するとそこらの男子よりも力が強い。
けどあいつの唇がいつも薬用のリップクリームで潤っていることも、綺麗にカールした睫毛が思いの外長いのだと言うことも、俺は知っている。
泣いた後の笑顔が案外可愛いと言うことも。
「くそっ」
そうして、知らないことを知っていく。
目を背けて気付かないふりをすることをやめる。
俺は名字が好きだ。
あいつを泣かせた見知らぬ誰かに、向かっ腹が立つ程度には。
「…どうしろってんだ、今更」
恥ずかしさと今更感で項垂れたまま動けなくなった俺を浜野と速水が探しに来たのは、それから十分後のことだった。
目隠しの世界
20130529