秋の終わり頃の風はもう寒々しくてやってられない。
委員会の仕事を終わらせ、冷える手の甲をさすりながら玄関へ降りてきた私は、思わず眉間に皴を寄せた。
「う」
意識の外で、喉から音が漏れる。
玄関から見える外は真っ暗、ただぽつりと街灯が心許ない光をしているだけだ。
壁に据えられた時計を見ると、時刻は17時半。教室にいる時はカーテンを閉めていたから、こんなに日が落ちてるなんて気が付かなかった。
「う、うー。……うぅぅ」
今度は意識的に音を漏らす。下駄箱から靴を取りだし、履いたは良いけど足を踏み出す勇気が出ない。
ああ、こうなったら残業なんてしないでさっさと帰るんだった。
ついに頭を抱えていると、耳が『ざりっ』と地面を擦るような音を拾う。
おっかなびっくりして顔を上げると、そこにはキョトンとした神童がいた。
「名字?どうした、頭でも痛いのか?」
「神童…」
頭を抱えたシーンが頭痛を訴えてるように見えたのか、神童はやや早足で近付いて来て、私の顔を覗き込む。
そうじゃないけど、と答えかけた私はハッとした。
「神童…いや、神サマ。お願いがあります」
「う、うん?何だ?」
本来なら「神サマ呼び」はファンの子しかしてはならない決まりなのだが(この前茜ちゃんに聞いた)、今回ばかりは仕方ない。
私は神童が逃げないように彼の鞄をガッシリ掴んで、キッチリ90°頭を下げる。
「私と一緒に帰ってください…!」
「…へっ?」
珍しくすっとんきょうな声を上げた神童は、一拍するとにわかに焦り始めた。
「べ、別に構わないが…何か理由でもあるのか?」
「う、うーん…」
言うべきだろうか。神童は真面目な奴だから、納得してくれるかもしれない。
笑わないでよ、と前置きして、私は口を開く。
「…暗いの、コワイ」
「………ああ、そういう」
一瞬ポカンとした神童は外を見やり、ホッとしたようなガッカリしたような、複雑な表情を浮かべた。
一体どんな答えを期待してたんだ、こいつは。
「まぁ…そう言うことなら。俺も丁度帰るところだったし」
「マジか。ありがとー神童…でも、あれ?霧野は?」
神童と霧野はよく一緒に帰ってるから、その辺にいるものとばかり。
辺りを見回すと、ああ、と短く答えた神童が苦笑する。
「部活終わりに、忘れ物に気付いてな。申し訳ないから、先に帰ってもらった」
「ああ、なーる」
全く、どこまでも真面目なやつだ。
雑談もそこそこに、玄関の外へ出る。
辺りは相変わらず真っ暗だが、隣に神童がいるからか、ほんの少し恐怖心が薄らいだ。
「そう言えば名字は、何で暗いところが苦手なんだ?暗所恐怖症とか…?」
「ああ、違う違う」
急に神童が深刻な顔をするから、私は思わずブンブン手を振って否定する。
…うむ。ここまで来たら、言った方が良いだろうか。
「だってさぁ…暗いところって、何か出そうじゃん。この時間帯って逢魔が時だし」
「ああ…そうだな。俺もあまり得意じゃないし」
霧野と一緒に帰ってるから平気だけど、と答える神童の顔は、ほんのり青ざめている。
あれ、やぶ蛇だった?
「暗いところって恐怖心煽るよねぇ。今だってほら、そこの電柱の影が変なものに見えたり、…」
「そうだよな、…」
言葉が中途半端に途切れる。
私が何となく指差した電柱の後ろに、何かフワフワと動く黒いものを見つけたのだ。
「……え、あれ、何…?」
「…ふ、不審者。不審者かもしれない」
微妙に震えた声で神童が答える。
ああ、不審者か。それなら安心…ってそんなわけあるか。
思わず心の中でノリツッコミをかまして、私たちは顔を見合わせる。
この道を通らないと、私も神童も家に帰れない。
どうしよう、と内心冷や汗を掻いていると、おもむろに神童が私の手を握ってきた。
「なるべく離れて、目を合わせないようにしよう。通りすぎたら、早足で逃げるぞ」
「よ、よし…分かった」
ふぅぅ、と深呼吸。私たちは手を繋いだまま、足を進める。
対岸の方を歩いて、そっちに目を向けないように。
ようやっとその電柱の横を通り過ぎて、私は思わず─怖いもの見たさがあったのかもしれない。反射的に、黒いものが見えていた電柱を振り返った。
「…神童、神童。ちょい待ち」
「な、何だ?」
まさか追いかけてきたのか?と神童は逃亡体勢に入る。
それをひとまず否定しておいて、やっと冷静になった私はついつい噴き出した。
「神童…あれ、人じゃないわ」
「えっ、……ん?」
じゃあ幽霊か、とでも思ったのだろうか、真っ青になった神童は振り返るなり目を丸くする。
視界に入ったのは、電柱の足掛けに引っ掛かった大きな黒いごみ袋。
大方、カラスに啄まれたり風に煽られたりしてボロボロになったのだろうそれが、風に吹かれて頼りなく棚引いていた。
「…あ、あれ?」
「ぶはっ」
首を傾げた神童に、私は思わずもう一つ噴き出す。
笑うな!と言った神童は息を整えると、やっぱり小さく笑いだした。
「あー、もう。ビビって損しちゃったよ」
「ホントにな」
育ちの知れる上品さで笑いを押さえて、神童は少し浮かんだ涙を拭う。笑いの堪えすぎか、安堵のせいかは分からないけど。
私はふと繋いだままの手を見下ろして、笑いの収まらない顔で言った。
「何か、暗いの少し平気になったかも」
「ああ、俺もだ」
しっかり握られた手に少し恥ずかしそうに言いながら、神童もにっこり笑う。
街灯の光は相変わらず頼りなかったが、雲から顔を出した月が夜道を明るく照らし出した。
夜が通り過ぎた
休憩//20121024