「よ〜っす、名字じゃん」
「…は?」

私には全く非がないのに、上司に理不尽な理由で怒られた。
新人の子が大事な書類を無くして、責任をとるはめになった。
定食屋でお昼をとっていたら、やに臭い苦手な同僚の男に絡まれた。

今日は朝から散々な日で、その一日分のストレスをどうにか発散したいと立ち寄った大きな居酒屋。
カウンター席についた途端、ふにゃふにゃと力の抜けるような声にそちらを振り向いた私は、思わず目を丸くした。

「は…半田?」
「ひさしぶりだな〜、元気だったか?」

頬は真っ赤、くたびれたシャツは既に酒のにおいがこびりついている。
世の中の酔っぱらい代表、みたいな雰囲気を醸し出した半田は相当酔いが回っているのか、へらへらとした笑みを私に向けた。

半田とは中学からの仲だ。
高校も進学先も就職先も違うけれど、世間は狭い。同じ町に住んでいるせいか、彼とはよくこうしてエンカウントすることがある。

前にスーパーで偶然会った日から、もう三ヶ月は経っただろうか。
久し振りと言えば、久し振りである。

「ひ、久し振り…どうしたの半田、随分酔ってるわね」
「俺だって酔うことくらいあるってーの〜」

へらへらひらひら、半田は笑いながら手を振る。
そう言う意味で聞いたんじゃないんだけどな…

何かあったのか聞きあぐねていると、ふとカウンターの向こうにいる従業員が私にこっそりと声を落として話しかけてきた。

「お客さん、お知り合いですか?ちょっとこの人、止めてあげて下さい。もう二本目なんです」

いつもは半分が限界なんです、と従業員の人は酒瓶を片手にちらりとグラスの酒を煽る半田を見やる。
どうやら半田は、この店の常連らしい。

「まぁ、やってはみますけど…」

ついついつられて、私の声も小さくなる。
半田がどれだけ酒に強いかは知らないが、これ以上お店の人に心配をかけるのは良くないだろう。

「半田、あんまり飲み過ぎると体に毒よ」
「なんだよ〜…俺だってやなこと全部忘れるくらい飲みたい時があんだよ…」

舌っ足らずに言って、半田は肩を揺さぶる私の手をギュウッと握る。子供みたいなやつだ。

「…あいつら、結婚しないのかとかしょっちゅう聞きやがって…」

結婚?私は思わず聞き返す。
上司に見合い話でも持ちかけられたのだろうか。私が考えている間にも、半田は酒をちびりちびりとしながらぶつくさと喋りっぱなしだ。

「子供にゃわかんねーんだよ、大人の苦労なんてよぅ」
「子供…ああ、サッカークラブの子ね」

半田が仕事の傍ら、少年サッカークラブの監督をやっている話は何度か聞いたことがある。
指導が分かりやすいとかで、人気があるとかないとか。

「信じられっか?あいつら俺に彼女がいないこと、バカにしてくんだぞ!この年になったら自動で恋人が出来るとか思ってんだよ、あいつら…」
「ああ、そゆこと…」

確かに、他人に自分の恋路について首を突っ込まれるのは私も苦手だ(彼の場合少し大人げないが)。
親戚が集まる度、「名前ちゃんはまだ結婚しないの?」と聞かれるのは、私にとって鬱イベントでしかない。

「くっそ…俺だって結婚してーよ…」
「まぁ、気持ちはわかるわよ。だけどまずは、相手を見つけないとね」

半田が酒を飲むペースが落ちてきたので、そろそろ大丈夫だろうと私も好きなものを注文する。
「あいて、なぁ…」呟いた半田は、ゴンとカウンターに頭を乗せた。

「…名字はそーいうヤツ、いんの?」
「は?やだ、いないわよ」

というか、好きな人すらいないしね。
少し熱くなった目頭を揉む私を、「ふぅん」と返した半田が見上げてくる。
シチュエーションが残念だけど、こいつも改めて見ると割りとイケメンなんだよなぁ。何でモテないんだろう。
つまみに運ばれてきた枝豆をつつきながらそう思っていると、徐に半田が体を起こして私を見つめてきた。

「…じゃあ、俺にもまだ希望あんだよな」
「ん?…え?」

どういう意味?
真意が分からないまま首を傾げていると半田はさらに椅子から腰を少し浮かして、私に詰め寄る。

「名字。俺と、結婚を前提に付き合ってください」
「………へ?」

丁度のタイミングでやってきた店員が、手にしたお盆を落としそうにしながら目を白黒させて、「お、おめでとうございます」と言ってきた。
半田の頬はまだ赤くて、それが酒のせいなのかそれともさっきの告白のせいなのかは、さっぱりわからない。

とりあえず確かなのは、しっかりと私の手を握ってこちらを見つめてくる半田の目が、俺は本気だと語っていることだけだった。


酒は飲んでも飲まれるな
20121001