あ、と漏れたのは確かに私の声だった。
しかしそれはこの場ではあまり意味を持たず、ただ雑踏に飲まれてゆく。
しかし目の前にいた彼の耳にはハッキリと届いたらしく、「名字」と呟いて切れ長の目を珍しくキョトンとさせた後に、ほんの少し眉間に皺を寄せた。

「剣城はスーパーなんて来ないような気がしてた」
「何だ、その偏見」

てくてくと歩み寄れば、剣城はあっち行けと言わんばかりに背中を反らす。
何だか腹が立ったので、ピタリと隣に寄り添ってやった。ざまみろ。

「剣城も買い物?」
「…まぁな」
「お使いか」
「……」

どうやら図星だったようで、苦い顔をした剣城は唇を引き結んでさくさく歩き出す。
しかし残念だったな剣城よ、私もそっちの方向に用があるんだ。

だけど、つい最近までワルい顔でのさばっていたような奴がスーパーにお使いときた。
明日狩屋辺りに教えてやろうと考えて口元を緩ませていると、不気味な物を見るような目で見られた。失敬な。

「名字もどうせ同じ理由なんだろ」
「まぁね」

似たような質問を、同じような声音で返す。
洗髪剤コーナーに辿り着いたところで、剣城は少し私から離れた。

最近CMでよくやっている新商品のシャンプー。
私は特にそういうのは気にしないのだけど、年頃の姉やいつまでも若くいたい母は違うらしい。
ストックが無くなったのをきっかけにお釣りはお小遣いにしていいからという理由で買い物に駆り出された私の何と単純なことか。

伸ばした手がゴツッと誰かの手とぶつかる。
先を辿ると、微妙な顔をした剣城と目が合った。

「…シャンプー、新商品、桜フレグランス」
「売り文句を唱えるな」

だって、と噴き出すのを耐える私の手を押しのけて、シャンプーのボトルを一本ひっつかんだ剣城は足早にレジへ向かっていく。
私は一瞬小さく噴き出した後、シャンプーを抱えて剣城とは別のレジへ並んだ。
シールを張ってもらって、レジ袋どうします?と尋ねられ、当然頷く。

シャンプーのボトルだけが突っ込まれたビニール袋を引っさげてスーパーから出ると、丁度自販機の前にいた剣城とまた鉢合わせだ。
うげ、と言った剣城の指先がココアを選択する。ココアって、お前。

剣城はばつの悪い顔をしてココアをポケットに雑に突っ込んで、踵を返した。
私は寒さで冷たくなった鼻のてっぺんを擦って、その背中に声を掛ける。

「剣城、また明日」
「……ああ」

少し間を空けて返ってきた返事に満足して、私は一人ニヤリとする。
だけど、明日から剣城と同じ匂いを漂わせることになるのだと気付くと、ニヤリ笑いは剥がれて妙な気分になったのだった。


薫る指先
20110204