第一話・呉越同舟


 不承島は、全体がゆるやかな山の形をなしている。本土の人間のほとんどがその存在すら知らず、知っていたとしても無人島だと思われているような場所だ。それもそのはず、この島の住人は今より二十年前、日本を揺るがす大乱の終わりに流謫の身となった一族──家のみなのである。
 当然、住人がその一家族だけとなれば、陸地のほとんどは手つかずの状態だ。このありのままの自然風景から、すぐさま彼らを探し出す方法など、少なくとも初めてここを訪れた人間には見当もつかないだろう。

「ま、待て、瀬音。少し休憩だ……」

 とがめが膝に手をついて、やっとこさと言う感じで告げた。船をつけた海岸から歩き、湧き水のある比較的平らな場所にたどり着いたところだ。見るからに重そうな着物は歩くのに不向きとしか言いようがないが、それを差し引いても、彼女自身にあまり体力がないことは明白だった。

「えー、でも、まだ半里ほどですよ?」
「ばかものっ。整備された街道を歩くのと、道と言えるかも怪しいような山道を歩くのとではわけが違うわ。山育ちのそなたと比べられては困るというものだ!」
「むっ、人を猿みたいに……言っておきますけど、わたしの生家は山のふもとの神社ってだけで、山で生活したことなんてありませんよ」
「どちらも大して変わるまい。そなた、わたしのか弱さをまだ分かっておらんのか!」

 弱さを自ら宣言した。そして疲れているというのに、どうしてか威勢だけはいい。これに対する返事を瀬音が考えている間に、とがめは近くの倒木を見つけてさっさと腰掛けてしまった。どうしてもこれ以上は歩きたくないらしかった。
 とはいえ、幸いなことに不承島は周囲四里ほどと小さい。船頭に見張らせているので、船が波に流されて帰れなくなる心配もない。朝早くに本土を出たのは人目を避けるためであって、いちど着いてしまえば多少悠長にしていても問題ないのである。それで瀬音はとがめの休憩に付き合うことにして、隣にひょいと座った。

「仕方ないなあ。じゃあ、雑談しましょうよ。さっき船で聞きそびれた話の続きとか、どうですか?」
「ああ、先ほどは失礼をした。そなたを疑っているわけではないのだが、あの場には船頭がおったのでな。おいそれと内情を話すわけにはいかなかったのだ」
「わたしもそうかなあと思って、あのあと勝手に予想してみたんですよ。ずばり──刀集めですか?」

 瀬音の言葉を、とがめは「いかにも」と肯定した。

「今回の件がそこいらの剣士──それどころか刀を使う人間では役者不足だと言ったのは、目的が四季崎記紀の刀の蒐集にあるためだ」

 とがめはこれ以上の説明をしなかった。今言ったことは、瀬音も知りえている情報だからだ。しかしそれでは話が見えないので、ここに委細を記す。
 四季崎記紀とは、今より百五十年以上前、戦国の世を生きた伝説の刀鍛冶の名である。どの国、どの流派にも属することなく、日本全土に自らの作品をばらまいた異端の存在だという。その影響力やすさまじく、四季崎の刀を多く所持する国が、そのまま戦においても優位に立てるとまで言われたほどであった。
 そんな戦国の世を終わらせた旧将軍は、天下統一後も四季崎の刀の幻想に囚われ、その蒐集に躍起になった。そうして四季崎が遺した千本のうち九八八本もの刀を集めるに至ったのだが、結局、千本すべてを手に入れることは叶わなかった。残りの十二本──四季崎記紀の最高傑作にして最悪の業物、完成形変体刀十二本の行方は杳として知れず、というわけである。
 その十二本を今、とがめは集めようというのだ。そもそもとがめは小柄で可愛らしいなりをして、実のところ幕府の軍所総監督というお偉方なのである。こうして人目を忍んで動いているが、付き合いの長い瀬音に限っては、そんな計画が紆余曲折を経ながら進行中であることをざっくり承知していた。ゆえに説明の冒頭に立ち返り──とがめは仔細を省いたのである。

「まさかの消去法で虚刀流に行きついたんですか」
「奇策と言ってくれ。これまでの失敗を踏まえ、いっそ刀を使わぬ者がもっとも相応しいと考えたのだ。そなたに護衛を頼んだのも、まあ似たような理由と言えよう。これ以上幕府に頭を下げるのは、わたしとしても勘弁願いたいところだからな」
「あ、そういえば。だいぶ崖っぷちなんでしたっけ」
「崖っぷちは余計だ!」

 とがめは威嚇しても反駁はしなかった。詳しいことは瀬音には分からないが、刀集め計画のさなか、いくらか手痛い失敗を経たとがめは、何度もお上に頭を下げたらしい。自分の置かれた状況は十分自覚しているようだった。

「しかし、認めがたいが事実には変わりない。こればかりは、藁にもすがる思いというやつだな」
「わたしはいい線いってると思いますよ。やっぱり刀の魅力に取りつかれちゃった剣士の心は、他人にはどうしようもないですからねえ」
「うむ、そのとおりだ。せっかく刀を手に入れても、それを持ち去られたのでは本末転倒だ。真庭忍軍にも錆白兵にも裏切られたわたしが言うのだから、間違いない」

 それは誰がどう見ても威張ることではない。しかし、これだけの手痛い失敗を重ねてなお、恐れず挑戦し続けるとがめの精神は常人離れしている。今の彼女の地位が、その勇ましく図太い人格で突き進んだ証であり、功績でもあった。むしろ、このくらい図太くなければ幕府の重役などやっていられないのかもしれない。

「さて、長話をしたら喉が渇いた」
「そこに湧き水がありますよ」
「ああ。見たところ、澄んでいて清潔そうだ。ひとくち頂戴して、探索を再開するとしよう」

 とがめはいくらか体力が回復したようだ。湧き水のところまで歩き、水を手で掬って、口に運んだとき。
 ──人の気配、こちらへ向かう足音。瀬音はそれに気がついて「よいしょっ」と立ち上がる。緊張感のかけらもない掛け声だが、一応は護衛だ。とがめを背にして、音のするほうを見つめた。

「奇策士さん。誰か来るみたいですよ」
「そうか」

 とがめは動揺しなかった。はじめから人を探しに来たのだから、遅かれ早かれ出くわすことになる。問題は今、邂逅せんとする人物が探し人であるかどうかだ。
 果たしてその人は現れた。第一印象は──とにかくでかい。身の丈、六尺をゆうに超える大男だ。そして若い。年のほどは瀬音と同じくらいに見える。ぼさぼさの総髪に、睦月にも関わらず襤褸のような服を纏い、背中に水汲みのための巨大な樽を背負っていた。

「親父なら一発で斬り捨て御免だったろうが、まあ、立入禁止って決まりがあるわけでもないからな──」

 変わった風貌の大男は、二人の姿を認めるや話し始める。初めて顔を合わせたのに、まるでさっきから会話していたかのような躊躇いのなさだ。敵意とも警戒と異なる、ただ淡々とした語調であった。そうして次に、瀬音ととがめ、二人が左腰に帯びている刀を一瞥する。

「それでも、ひとつだけ決まりごとがある。この島への刃物の持ち込みは、堅く禁じられてるんだぜ」
「別に、むやみに振り回そうってわけじゃ──」
「それは失礼をした。そのような決まりがあるとは知らなかったものでな。まあ、許しておけ」

 瀬音を遮ってとがめが言った。一応は謝罪の体をなしているものの、とても規則を破って島へ這入りこんだ者の態度とは思えない。このあたりは、とがめの生来の気の強さと、軍所総監督の胆力というやつだ。しかし大男のほうも、その物言いに気分を害したわけではないようだった。

「あんたら、どうやってここに来たんだ?」
「船で来たに決まっておる」

 後ろのとがめがまったく物怖じせずに即答するる。この時点で、なんとなく彼が島の住民──すなわち鑢の人間であることは二人とも察していた。そうでなければ「ここに来た」という言い回しはおかしい。

「何をしに?」
「虚刀流六代目当主、鑢六枝どのがおると聞いて会いに来たのだ。見たところ、そなたはこの島で暮らしておるようだが、何か知らぬか」
「六代目か。六代目なら、一年前に死んだよ」
「──そうか。では、そなたは」
「ああ、今はおれが当主だ。虚刀流七代目、鑢七花」

 鑢七花。それが大男の名前だった。
 とがめは六代目の死に少しだけ驚いたようだが、すぐに取り直して頷く。なにせ大乱が終わったのは二十年も前のことだ。これだけの時間が経てば、既に故人であってもなんらおかしな話ではない。

「ふむ……」

 とがめは顎に手を当てて少しの間、何かを考える。そして後ろの瀬音のほうへ歩み寄り、「どう思う」とこそこそ言った。鑢七花本人を目の前にして内緒話である。

「嘘っぽくはないと思います。大乱で活躍したとかいう六代目にしては、見た目が若すぎるし」
「そうではない。あの男をどう思うかと聞いておるのだ。わたしとしては身体つきもよし、見てくれもまあまあといったところなのだが、そなたはどうだ。客観的に、わたしとあの男が並んでいたらどう思う?」

 真面目な感じで話していたと思ったら、突如毛色の違う質問を投げかけられ、瀬音は困惑した。つまりとがめは、七花という人間の印象を瀬音に評価してほしいようだった。

「あ、そっち? じゃあ、奇策士さんと同意見です。身なりが整えば、格好いいんじゃないかなあ……」
「うむうむ。及第点ということだな!」

 とがめはひとりで頷いている。刀集めの用心棒を品定めするのに、見た目が関係あるのか。何をもってして何の及第点に達したのか。謎多きやり取りだった。

「なあ、二人で話しているところ悪いけどさ。親父に用事だっていうなら、残念ながら──」
「む、確かにわたしは六枝どのを探していると言ったが、実際は少し違う。用があるのは、虚刀流の当主にだ。つまり、そなたのことだ、七花」

 七花が口を挟んだので、とがめは向き直る。七花としては早めに切り上げて帰ってもらいたいのだろうが、そうは問屋が卸さない。もったいぶった含みのある返事に、彼はただ当惑していた。

「ええと……先に言っとくが、おれは考えることが苦手なんだ。用があるっていうんなら、もっと分かりやすい言いかたをしてくれよ」
「まあそう焦るな。まずは遅ればせながら名乗らせてもらおう。わたしはとがめという。奇策士だ」
「わたしは護衛の瀬音です。よろしくー」

 わたしに続けと目配せを受けて、瀬音もごく簡単に名乗る。傍目に見れば、この二人は奇妙な取り合わせだった。とがめのほうはまず名前からして変だし、服装も装飾過多で目立ちすぎる。一方の瀬音は見た目こそ普通だが、普通だからこそ、滲み出るお気楽そうな人格が護衛向きとは思えず、ちぐはぐだ。七花は家族のほかに人間を知らないので、彼女たちの異様さには気づかないが、それでも何か聞きたいことがあるようだった。

「さて──七花よ」

 しかし、とがめが先んじて歩み出た。これには瀬音も驚いた。七花に敵意が感じられないとはいえ、守る対象が護衛より前へ出てきてしまったではないか。思わず「んえ?」と素っ頓狂な声が出る。

「奇策士さん? 一応、前に出ないほうが……」
「案ずるな。そなたはそこで見ているがよい」

 そう言ってとがめは、腰に携えた太刀をあろうことか抜刀した。それはそれは見事な構えである。瀬音はそれを呆然として見ていた。

「なっ、ええっ……!?」
「刀か。そいつを見るのは初めてだ」
「富岳三十六刀工が一人、壬生笠麿の初期作品だ。六枝どのにはいくらか分不相応な代物かと思っておったが、息子のそなたが相手ならば、ひとまずはよかろう」
「ちょっと、本気ですか!」
「ええい、さっきから騒がしい! 本気も本気だ──虚刀流、まずはその実力、試させてもらうとしよう」
「試すってなんだよ?」

 なにやらやる気のとがめ、焦る瀬音、状況が飲み込めていない七花。場は混沌としていた。しかし七花は刀を向けられても、まったく取り乱さず自然に構えを取っている。当然だ。彼こそは最強無敵を謳う虚刀流の当主。鑢六枝の剣を継ぐ者ならば、剣を相手に臆することなどないのだから。

「言葉どおりの意味だ。参る!」

 とがめはついに七花へ斬りかかった。瀬音は仕方なく構える。まかり間違って、とがめが虚刀流に返り討ちにされるなんてことがないよう、いつでも間へ入れるように──しかし、それらすべての心配は杞憂に終わった。足元の石。小石の分類にはぎりぎり入らないくらいの大きさのが、とがめのつま先に引っかかったのである。走り出しの勢いを崩されたとがめはそのまま均衡を失い、重力に従って前へ倒れていく。

「ぎゃふんっ!」
「き、奇策士さーん──!」

 あわれ、切っ先が七花の身体に届くこともなく──盛大に転けた。それどころか、その拍子に頭を打ったとがめはそのまま気絶。不承島、睦月の寒空に瀬音のゆるい叫びが響いた。

 ■ ■

 見渡す限りの大自然。不承島にあるものなんてそれだけだと言えそうなものだが、実際には違った。この島に住む唯一の血族、虚刀流。一年前に父を失い、姉弟ふたりきりになった鑢一族の住む家──というよりは小さな掘っ建て小屋が、山林のただ中に建っているのである。瀬音はその掘っ立て小屋の外壁に寄りかかって、緊張感のないくしゃみをした。

 あれから。気絶したとがめを連れ、瀬音は七花たちの暮らす家へと案内された。とがめはそこで少しのあいだ寝かされていたのだが、あっけなく気絶したわりにというか、だからこそというか、案外と早く復活した。過程はどうあれ、結果として虚刀流の住まいに転がり込んだわけである。もちろん、この機を逃すとがめではなく、早速と鑢家に用件を伝えようとした。
 ここで問題となるのが、来訪者二人の所持する刀剣である。不承島への刀の持ち込みは一切禁止。これは先代の鑢六枝が勝手に設けた規則で、お国の定めた御法度というわけではない。しかし鑢家しか住んでいないこの島においては、ほとんど絶対の決まりだった。
 かくして鑢家のもう一人の人間、家長の鑢七実が刀を預かると言うから、瀬音はこれをなんとかして回避する必要があった。見かけ倒しのとがめはともかく、護衛が丸腰では話にならない。そこで条件にと持ち出したのが「外で待機する。そちらには一切干渉しない」ということだった。当然、七実がこんな口約束で引き下がるはずもなかったが、そこは奇策士の得意分野、最終的には相手の妥協を見事に引き出した。
 どのような交渉、あるいは詭弁があったかは割愛するが、決め手は瀬音の刀が元より抜刀できない仕様になっていることだった。刃物のない不承島では、鞘と柄を結ぶ紐を切るのだってひと苦労。であればこんなもの、そこいらの木の枝と大差あるまい。それとも何か、虚刀流はどこぞの落語さながら、木の枝が怖いと申すか──みたいなことをとがめが出任せに述べ、瀬音はそれに対する若干の不服を飲み込み、最終的には没収を勘弁してもらったのだ。以上の流れを経て、瀬音は寒空の下に待機し、室内での話し合いに思いを馳せるに至る。

「って、いらんのかい!」

 小屋の中からとがめの焦った声が聞こえた。案の定、順調ではないらしい。虚刀流の一門は幕府の命で理不尽に本土を追われた立場である。その幕府の人間であるとがめの頼みを素直に聞くかと言われたら、微妙なところだ。……まあ、自分は刀集めには関係ないのだし、どちらに転ぶかなんて気にするだけ無意味なのだけど。瀬音はそう思い直し、なんとなく山林のほうを眺めた。

「──?」

 その瞬間だ。はじめに動いたのは、鑢七実だった。わずかに遅れて瀬音。小屋の戸を容赦なく開け放ち、なぜか得意げにしているとがめを押し倒す。七実もまた、なぜか呆然としている七花の肩を平手で突く。結果として全員の姿勢が低くなった次の瞬間に──小屋の壁が、まるで外から巨人の手に握りつぶされるように、内側へ炸裂した。
 謎の爆発の正体は、大量の手裏剣だ。手裏剣に苦無、計四十五本もの飛び道具が粗末な壁板を貫き、木片と鉄片が混じり合い、あちこちに突き刺さる。自然現象に例えれば嵐、もっと物騒に言えば、手裏剣を用いた砲撃だった。

「この野郎」

 苛烈きわまる攻撃が止むや、七花の大声が聞こえた。辺りを見渡すと、そこはもはや小屋の名残としか言いようがない。屋根は跡形もなく吹き飛び、壁板が散らばり、四人の転がり込んだ土間だけがかろうじて形を保っている。それも今は土間であった場所に過ぎない。七花はご丁寧にも、その空けられた大穴から飛び出して、

「ふざけんな! 親父が建てた家だぞ!」

 と、言いながら駆けていってしまった。あの図体、あの歩幅だ。彼が全力で走れば、その背は瞬く間に山林の中へ消え去る。ここまで、現代の時間にして三十秒足らずの出来事である。

「まったく。あのこったら、なんて短絡的な……」
「いや、あれで正解だ。相手が飛び道具を使う以上、第二波が撃ち込まれる前に即決即断で動くほかない。はじめは妙な小僧と思ったが、存外筋がいいではないか」

 体勢を戻したとがめが、衣服の木屑を払いながら言った。このあたりは、さすが軍所の総監督。予想外の事態にもかかわらず、既に状況の判断に取りかかっていた。

「びっ──くりしたあ」
「おお、瀬音! 今のは護衛の名に恥じぬ見事な守りっぷりだ。ところで、外で待機していて、怪しい人影や気配はあったか?」
「いやいや、忍者に気配を消されちゃったら、さすがにお手上げですよ。おかげでこんな滑り込みをするはめに……というか、やたら派手な攻撃でしたけど、これはうわさの真庭忍軍ってやつですか?」

 とがめは「そうだろうな」と返す。突き刺さる手裏剣は、刀集めの最初の裏切り者──真庭のしのびが好んで使う形のものだ。彼らと一度は手を組んだ身、とがめにはそれが分かる。

「ゆくゆくは対立することになるだろうと思っておったが、こうも行動が早いとは……」
「何人来てるんでしょうねえ」
「それに関しては、まず間違いなく一人だ。やつらは集団行動を嫌う。というより、集団行動をする意味がないような者ばかりだからな」
「えっ、一人なんですか。ほんとに?」

 瀬音は惨いまでに破壊された小屋の残骸を見る。突然飛来した四十五本の手裏剣が、一瞬にして小屋の壁を吹き飛ばしたのだ。真庭の刺客が一人だというならば、それは──たった一人のしのびが四十五本の手裏剣を同時に投げたということになるではないか。

「うーん……じゃあ、お姉さん。弟君が向かった場所に、なにか心当たりはあったりしますか?」
「はあ、そうですね。敵が本当に一人なら、恐らくはこの先の砂浜へ誘導しているはずです」
「開けた場所で戦うつもりなんですね」
「護衛の瀬音さんでしたっけ。もし七花の助太刀に向かうおつもりなら、ご心配には及びません」

 まさか引き止められるとは思わず、瀬音は立ち上がりかけの足を止める。七実はこれだけの大損害にも関わらず平然と、そして当然のように座り直している。

「実戦経験がないとはいえ、七花は虚刀流の教えを受けていますから。今回のことは、あのこにとってもよい勉強になるでしょう」

 と言って、七実は微笑んだ。弟のことはまったく心配はしていないようで、それどころか「忍者ごときに遅れは取らない」といった態度である。実際、これだけの攻撃を受けて七実も七花も無傷だというのだから、根拠のない自信というわけではないだろうが。とにかく、そうまで言われたら瀬音も引き下がるだけだ。

「なるほど? じゃあ、やめときます」
「ええ」
「それならばまず、なぜやつらにここが知られたのかを考えるのが先だ。尾行されるはずもないし、わたしは行き先を瀬音以外には告げていないのだから」
「わたし以外──あっ」

 瀬音がなにかに思い当たって「あのときには、いや、でも」と自問自答を漏らす。しかしとがめはとっくに沈思に耽っていたようで、そんなことには気がつかず唸り続けていた。

「……あの、とがめさんたちは二人だけでこの島へ来たんですか?」

 そんな膠着状況を見かねとか、七実が口を挟む。これに、思案の渦から引き出されたとがめはまるで心外という感じで答えた。

「今さら何を言う。尾行には特に用心したからこそ、人目の少ない夜明けに船を出してここへ来たのだ。なんのための早起きだと思っておる」
「では、その小船を漕いだのはどなたです」
「異なことを。私は頭脳労働専門だ。自分で船を漕ぐなど、そんな力があるように……」

 見えるというのか。そう威勢よく聞き返すはずが、途中で尻すぼみになる。とがめを見つめていた七実の視線が自分に移るのを感じた瀬音も、黙って首を横に震る。つまり来訪者は二人とも、船を漕いでいないのだ。それが意味するところは。

「船頭がいたのですね?」
「し、しかし、あの者はわたしが素性を一から調べ上げて選んだから──む──いや、違う!」

 とがめは思い出した。この先の刀集めの旅で、真っ先に敵対することになるであろう組織の、かつて共に仕事をした人間の能力を。ここまで船を漕いだ船頭は、とがめの雇った船頭ではない

「まずい。そいつは四季崎の刀を持っておる──瀬音! そなたは念のため七実を守っておれ!」

 叫ぶやいなや、とがめは小屋の外へ駆け出した。七花と比べれば遅いものだが、それでも山道を必死に下り、海岸のほうへ走り去る。取り残された七実と瀬音は、その小さな背中を見つめていた。

「瀬音さん」
「……えっ? あ、はい。どうしましたか。わたしたちも海岸へ向かいましょうか」
「結構です。それより、止める間もなく行ってしまいましたので、とがめさんへ伝言をお願いしたいのですが」

 真庭忍軍の、それも手裏剣を砲撃のように放つことができる手練れ。おまけに戦国の世に名を馳せた四季崎記紀の刀の所有者。これほどの情報が出揃ってなお、七実は弟を気にかけることはなかった。もちろん信頼の上に成り立つものなのであろうが──それ以前になんだか、七実という女は人格そのものがゆるいような気がする。

「今回の件にわたしは賛成です、と」

 そして伝言の内容は、たったの一言だけだった。何にとは聞くまい。鑢七花を四季崎記紀の刀集めへ連れ出すことに、賛成だというのだ。

「いいんですか?」
「ええ。本当のことを言ってしまえば、理由はなんだっていいんです。あのこが今まで積んできた修行が報われるなら、それに越したことはありませんから」
「たしかに一理ありますけど、それだと不承島に残るのはお姉さんひとりってことに」

 瀬音が言いかけたとき、ふいに七実が咳き込んだ。小屋はもはや吹きさらし状態だ。睦月の寒気が体に堪えたのだろうか、七実の顔色は芳しくない。はじめからそうだと言われてしまえばおしまいだが、先にも増して具合が悪そうだった。

「わたしは外で生きていけるほど、丈夫な身体ではありません。いいえ、そもそもわたしは、生きているのかしら、生き損なっているのかしら──」
「生き損なうなんて、珍しい表現だなあ」

 呟いてから、今のはもう少し神妙な反応を返すべきだったかもしれないと思う。しかし仮に取り繕ったとしても、実際に瀬音の感想はそれだけだった。七実の心理や身体の状態は、結局のところ会ったばかりの瀬音が推し量るだけ無意味なのだ。

「場繋ぎ的に聞かせてもらいますけど、それってどういう状態なんですか?」
「え? どうと言われましても……説明したところで、 わたしがあなたたちの生き方を知らないのと同じように、きっと分からない感覚だと思いますよ」
「なるほど。なんだか、本土を旅するのがお姉さんだったら、また別の面白さがあったかもですねえ」

 瀬音の言うことは、七実にとってはおかしな与太話くらいのものである。意外そうにはしていたが、だからといって何か広がりがあるわけでもなかった。

「とにかく。わたしは、弟に身体を気遣われ、守られながら生きていくつもりはないのです」

 幸い、瀬音の発言で気を悪くしたというわけではなさそうだ。しかし、生き損なっていると言った女にしては、意志を感じる口調だった。

「あなたから見て、とがめさんはどのような人ですか」
「うーん、わたしも別に詳しくはないんですけどね。努力家とか、ひたむきとか、そんなふうに思います」
「そうですか。それはとても──」

 七実はなにか言いかけて、やめた。それをいちいち追求しないのが瀬音だ。とがめと七実の会話が噛み合わない歯車だとしたら、この二人は円と円が隣り合って、なんの干渉もなく回転しているだけというような感じだ。あるいは文字どおりの上滑り。傍目にはもどかしさすら感じる者もあるだろう。しかし双方、それを気にも留めないのである。

「それなら、安心して七花を任せられます」
「奇策士さんに伝えておきます。まあ、まさに今、危ない目に遭わせちゃってるわけだけど……にしても」
「なにか思うところが?」
「いえ。さっきの船頭に関して、やっぱり変だなあと思って。奇策士さん、あの人を事前に調べてあるなら、顔を見た時点で変装くらい見抜けそうだと思いませんか」

 瀬音が船頭と会うのは今日が初めてだった。名前も聞いた気がするが、どうでもいいので覚えていない。しかし、顔を知っていて、しかもこれだけ警戒し尽くしていたとがめが他人の変装ごときを見破れないなんておかしな話だ──実際、変装どころの話ではないのだが、それは瀬音には知りようもないことである。

「さあ。わたしも世間知らずなもので、忍者の変化というのが実際にどんなものなのかは、見たことがないのです」
「わたし、そんな厄介なのと戦いたくないなあ。弟さんがさくっと片してくれれば楽なんだけどなあ」
「さくっと──と言うには、ずいぶん遅いですね」

 七実は砂浜の方角をちらっと見た。心配しているというより「何を手こずっているのだろう」という純粋な疑問を抱いている言い方だった。

「たぶん、真っ向から勝負をさせてもらないんじゃないですか? なんたって相手は忍者ですから」
「それもそうですね。その程度で翻弄されているようでは、いささか先行きが不安ですけれど……ここまで遅いとなると、とがめさんを人質にして七花を脅そうとしている、なんてこともあるかもしれませんね」
「たしかに──んん?」
「相手は忍者なのでしょう」

 七実は瀬音の言ったことを復唱した。
 それは盲点だった。例えば、とがめが七花たちに追いついたとしよう。相手のしのびからすれば、そこには手の内が分からない大柄の剣士と、戦闘力を持たない幕府のお偉方がいることになる。これが瀬音なら、ここまでの会話で七花が他人に無関心だと分かっているのだから、人質なんて選択肢はまず思い浮かびもしない。しかし、それを知らない人間ならば、まして忍者ならば。

「ほ、ほんとだ──」
「先ほどから思っていたんですけれど、瀬音さんはあまり護衛に向いていないのでは?」
「ごもっともです」

 鋭くも的確な指摘。瀬音は心の底から同意した。

「なんだかあなたを見ていると、不思議な気持ちになります。具体的には、生ぬるい感覚といいますか」
「それって憐憫の情ですよね? って、そんなこと言ってる場合じゃなくて、お姉さん。わたし、ちょっと様子を見てきてもいいですか?」
「ええ、どうぞ。ご自由に」

 なんの躊躇いもなく許可が下りたが、果たしてこの見るからに虚弱そうな七実を置いていってもいいのだろうかと、瀬音は少し迷った。そんな考えを察してか、七実はすぐさま「心配は要りません」と即答する。

「わたしも虚刀流の子です。自分の身くらい、自分で守れなくてどうしますか」
「わかりました。それじゃあ、気をつけて」
「ええ。あなたのお話は、少し面白かったですよ」

 よく分からない言葉だったが、瀬音はそのまま場を離れることにした。とがめの居場所にあてはないが、まずは虚刀流が向かったであろう砂浜へ。そんな彼女を七実がどんな思いで見つめていたかは、知りようのないことである。当然、ため息のような「本土を旅する、か」という呟きも、瀬音の耳には届かない。

 ■ ■

 砂浜に着いたはいいものの、大量の手裏剣のほかに何もない。おそらくはここで交戦したのであろうが、既に両者はここを去ったあとというわけだ。仕方なし、山林をうろついていると、何かが暴れ回るような物音が聞こえた。向かってみれば、逆さの人間がいるではないか。というか、とがめだった。なぜか頭が下の状態で木に縛り付けられている。

「あれっ、奇策士さん。どうしてこんなお姿に……?」
「んー! んー!」

 口輪ごしに言葉にならない訴えを受け、とりあえず拘束を解いてやる。普通の姿勢ならそのまま立ち上がれたものだが、いかんせん逆さのため、重力に従い頭から地べたに落ちた。とがめはまたもお決まりのように「ぎゃふん」と叫ぶ。

「なにすんじゃーっ!」
「縄を解いたんですよ」
「ほかにやり方があったであろうがっ。衝撃でわたしのお利口な頭脳がだめになったらどうするのだ!」

 と言いつつも、とがめの切り替えは案外早かった。このあたり、これまで彼女の人生がどれだけ波乱に満ちていたか察せられようものである。

「ふん、まあよい。ところでそなた、道中に七花か蝙蝠と出くわさなかったか?」
「誰にも会ってませんけど……蝙蝠って?」
「そういえば名前を言わなかったか。真庭蝙蝠──先ほど小屋を襲撃した真庭の十二頭領が一人だ」

 どうやら七実の予想は的中したようで、とがめは真庭蝙蝠に拐われ、ここに縛られていたらしい。蝙蝠は変化を超えた変身の術の使い手で、船頭に化けて不承島へやってきたということだった。そんな恐ろしく信じがたい忍法のことはさておき、瀬音は「覚えやすい名前だな」と思った。少なくともあの船頭よりは記憶に残る名前だろう。

「それより、急がなければまずいぞ。あやつ、あろうことかわたしの姿に化けおった! あ、あんな、あんな事細かなところまで完全に……う、ううう……!」

 とがめは蝙蝠が化けるところを目の当たりにしていたようだ。何かを思い出して、赤面し見悶えている。

「あの、例のしのびは奇策士さんの姿に化けて、虚刀流のところにでも向かったってことですか?」
「あ、ああ。おそらく七花を油断させた隙に仕留めるつもりなのであろう。せっかくここまで来たのだ。あと一歩というところで望みを絶たれては困る!」

 とがめは迷う間もなく走り出した。その物言いは単に「わざわざ不承島まで出向いた」という苦労を指していると捉えられる一方で、なにかほかの含みがあるようにも思える。その具体的な答えは瀬音には分からないし、気にする道理もない。ともかく、再び山林を探索することしばらく。そろそろ木だらけの風景にも飽きて、道に迷うのではないかという頃合で、誰かの争うような音がかすかに響く。無論そんな音を立てるような人間は、現状、七花と蝙蝠以外にありえない。

「奇策士さん、この近くで二人が戦ってるみたいです」
「なにっ、七花は無事か!」
「なんとも言えないですけど、できれば勝っててほしいところで──うわっ!?」

 瀬音は驚いた。もうすぐ音の出どころに着くというところで、いきなり棒状のものが回転しながら飛んできたのだ。自然光を反射する光沢、そしてその特徴的な形状──抜き身の日本刀だ! 瀬音は咄嗟に判断し、すんでのところでとがめを引っ張りながら、一歩飛び退く。その刀は二人を傷つけることなく、けたたましい金属音とともに、目の前の地面に転がった。それを見たとがめは「……絶刀』だ」と呟いた。

「え、それって四季崎の。この、なぜか体液みたいなものでべったべたの直刀が?」
「そうだ。蝙蝠のやつが持ち逃げした変体刀で、べったべたなのはあやつが腹の中にしまっていたからだ」
「腹の中に……?」
「しかしなぜこれが飛んできたのか。まさか、七花が蝙蝠に勝ったのか?」

 まさかなどと言うからには、蝙蝠とやらは相当強いらしい。瀬音は心の中で「よかった」と思った。そんな相手と戦う羽目になるのが自分でなくて、本当によかった。護衛として最悪の心構えの瀬音をよそに、とがめは今しがた刀が飛んできたほうへと走り出す。ちょっとした茂みを抜ければ、すぐに状況は明らかになった。立っているのは大男の七花。そのすぐそばに、もう一人の男が倒れている。瀬音には見覚えのない姿だが、彼が真庭蝙蝠であることは明らかだった。

「ん? あれ、今度こそとがめか?」
「し、七花! そなた、蝙蝠を倒したのか」
「ああ、残念だったな。あんたの言うとおり、奥義を使って派手に倒したのに、それを見逃しちまうなんてさ」

 偶然か必然か。七実の言葉どおりに、虚刀流は忍者に遅れを取らないばかりか、見事相手を打ち破ってみせたのである。それはとがめにとって非常に喜ばしいことであり、今すぐにでも賞賛が溢れんばかりであったが、先んじて七花が「それより」と口を開いた。

「おれは気が変わったよ」
「むっ、島を出る決心がついたということか?」
「それもそうだが──」

 七花は出会ったときと変わらない、何にも考えていなさそうな声で告げた。それは二人が予想していなかった、あるいはとがめに関しては頭から抜けていた言葉である。呆気に取られる瀬音と、自分で言い出したくせに首まで赤くなるとがめ。七花の言葉ののち、まもなく展開される光景であった。

「おれはあんたに惚れることにしたよ」

■ ■

「まずは一本──絶刀『鉋』、蒐集完了だ」
「こんな刀があと十一本か。日本は広いな」

 黄昏刻の浜辺、金の西日が海面に照り、まばゆい光を放つ。冷えた風が山林に吹き付け、島そのものがざわざわと揺れているようだ。とがめたち一行は不承島を発つべく支度を済ませ、船に荷物を積んでいた。一行の構成員は言うまでもなく、とがめ、水上瀬音、そして流刑地を去る鑢七花の三人──のはずだが、ここに想定を大きく外れるずれが生じた。忍ばない忍装束を身にまとい、全身に鎖を巻いた元船頭、虚刀流に敗北を喫したはずの真庭蝙蝠である。

「あーあ。刀のありかを聞き出して漁夫の利を狙うつもりが、せっかく奪った一本まで取られちまうなんて、とことんついてねえな」
「……ついていなかろうがなんだろうが、そなたは七花との勝負に負けたのだ。この期に及んで負け惜しみとは、天下の真庭忍軍が聞いて呆れるわ」

 蝙蝠の野次に、とがめが忌々しげに言い返す。とがめにとって蝙蝠とは、かつて絶刀『鉋』をともに蒐集し、そのまま奪っていった裏切り者だ。あまつさえ不承島までとがめたちを尾行し、計画を妨害しようとした張本人である。信頼関係は完全に断絶されていた。

「貴様が命拾いしたのは、あくまで偶然に過ぎん。せいぜい己の悪運に感謝するがよい」
「運に助けられたのはあんたらのほうじゃねえのか? なんたってこの真庭蝙蝠さまが、実戦経験のねえ小僧ひとりに敗北したんだぜ」
「くどいな。本来なら貴様など、簀巻きにして海に捨てていたところだ。覚えておけ、これは情けなどではない。真庭忍軍への貸しひとつ、そして牽制だ。今後邪魔立てすれば、わたしの刀が容赦なく斬るぞ」
「はいはい。おれはともかく、他の連中のやることなんて、知ったこっちゃねえよ。真庭が単独行動を好むのは子猫ちゃんも知ってんだろ?」

 たまさか七花が今朝考えたばかりの使い慣れない奥義を放ち、たまさか打ちどころが急所を外れ、たまさか死を免れた。さすがに大怪我は負ったものの、蝙蝠はけろりとしているように見える。元々、自分の体を骨から造り変えるような人間なのだから、そのあたりは麻痺しているのか、あるいは意図して遮断しているのかもしれなかった。これを見逃すというのは、鬼女とがめにしてはかなり異色の決断である。当人は奇策のうちと言い張っているが、実際のところはよく分からない。おおかた、虚刀流との愛を宣言した手前、血も涙もない本性を隠しているのではないかと、蝙蝠は思う。

「まあ、実際おれも命が惜しいからな。刀のありかはさっき盗み聞いたから、子猫ちゃんたちの経路と被らないよう、里の連中に忠告くらいはしといてやるよ。効果のほどは、保証しねえけどな」
「……仕方あるまい。今はそれで手打ちにしてやる」

 さすがに裏切られた恨みは深かったようだが、長い口喧嘩に一応の決着がついた。とがめの白熱ぶりに口をつくんでいた七花と瀬音は、そろそろこの緊張を解いてもいいかと顔を見合わせる。

「瀬音。今の話、聞こえておったな」
「え? はい。盛り上がってたので、つい」
「聞かれたことを怒っているのではない。話がついたので、これからわたしは七花とともに刀集めに出る。本土に着いたら、そなたの護衛の任は終わりだ。ご苦労であった」

 相変わらず尊大な言い方だったが、とにかく瀬音の仕事はもうすぐ終わりということらしかった。あんまり役に立っていなかったような気もするが、依頼人のとがめが気にしていないようなので、瀬音もあえて口に出すことはしない。

「いえいえ。けっこう楽しかったです」
「それで、事情を承知しているそなたにもうひとつ頼まれてほしいのだが」

 じゃ、がんばってください。と瀬音が他人事全開で言おうとしたところだった。これで終わったのだという空気は突然覆された。

「この蝙蝠が先の口約束を果たすまで、見届けてくれ。早い話、真庭の里まで同行してほしいのだ」
「おいおいおい!」

 先に声を上げたのは瀬音ではなく蝙蝠だ。

「それは話が違うだろ、子猫ちゃん! そう簡単に里によそ者を入れるわけにいくかってんだよ」
「黙れ! 手打ちにするとは言ったが、わたしはそなたのことをこれっぽっちも信用しておらんのだぞ。こちらの要求を受け入れたふりをして、奇襲でも仕掛けられたらどうするのだ!」

 再び口喧嘩が始まりそうになったが、瀬音が口を噤むわけにはいかなかった。当然、話題の中心が他ならぬ自分であるからだ。

「そ、そうですよ奇策士さん。こんな見るからにやばそうな人、わたしの手に負えませんよ」
「おい、こいつ思ったより失礼だな」
「わたしはそうは思わん。たしかにそなたはいまいち覇気に欠けるが、剣士として幕府に席を置いている以上、その実力に疑いの余地はない」
「ここまで、この人とろくに話したこともないのに?」

 とがめは「それは知らん」と言い放った。とがめだけでなく七花や蝙蝠までもさすがに同じことを思ったが、それでも瀬音は承服しかねる。たしかに暇だからと安請け合いした仕事だが、こんなおまけがついてくるなんて聞いていない。

「では、蝙蝠。条件を飲むなら、この絶刀『鉋』を貴様から買い取ったということにしても構わない。国ひとつとまでは言わんが、それなりの金子を支払おう」
「はあ? ったく、相変わらず足元見てんな……そう言われたら、おれらは断れねえっつーの」
「そうであろう。瀬音、乗りかかった船だ。わたしの部下なら、この仕事、受けてくれるな?」

 乗りかかった船というか、呉越同舟というか。そう思わないでもなかったが、実際にとがめの言うことは一から十まで理にかなっていた。真庭が喉から手が出るほど欲しているものをたやすく言い当て、外堀を埋めてしまったのである。こうなると瀬音には、反論の手立てがない。あの奇策士とがめに口で勝とうというのは、どだい無理な話だったのだ。もはや仕方なし、瀬音はとがめの頼みを引き受け、渋々と頷いた──ひょんなことから、この脇役は、刀集めに巻き込まれる運びとなったのだ。

「あんたも大変だなあ……」

 七花がぽっかりと呟く。気のせいか知らん、これからの旅模様をうすうすと察してしまった七花の、えも言われぬ先案じの念がこもっていた。瀬音と蝙蝠はこれを「他人事」と糾弾することもできず、ただ肩を竦めるほかないのである。

(第一話、了)