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「寮ってこんなかんじなんだ」 「来たことねぇの?」 「用事ないもん」 「まあ、そうだな」 御幸に手を鷲掴みにされたまま来たのは野球部の寮"青心寮"。練習グラウンドを真っ直ぐ抜けた先にここはあった。普段野球部の人以外が来るはずもない場所である。思っていたよりもちゃんとしているけど、至る所に洗濯物が干してあって、下着も構わずぶら下げているのを見ると男の溜まり場なだけあるなぁと思わせる。 「ひと部屋何人くらいなの?」 「2〜3人ってところかな。一人部屋状態の人もいるけど」 男3人が過ごすくらいだからひと部屋はわりと広そうだ。意外にも快適な生活を送れそうな環境なのかな。 まわりをきょろきょろとしながら御幸に引っ張られるがままに歩いていたら、「ここ」と言って部員の部屋とは違った部屋の前で御幸は止まった。そして鷲掴みをしていた手を離し、私の手を握っていた手で扉を開けた。 「礼ちゃん。連れてきたぜ」 「お邪魔します…」 連れて来られたのは野球部の寮の中にある食堂。長机がたくさん並んでいて、壁には貼り紙"必ず3杯以上食べる事!"と、なんとも恐ろしい標語が掲げられていた。食事の時間ではないから賑やかさはなく、ただ、夕食の準備をしている寮母さんたちの声が聞こえる。ぼんやりと食堂の風景と見ていたら、ふと視線を感じ、そういえば見学に来たわけではないと、視線を感じた方向を見たら高島先生とユニフォームを着たもう一人。 もう一人は野球部の人だなというのはわかりきったことだが、誰だか存じ上げない。でも確実にその人は私のことを見ていて、偶然に居合わせたわけではなく、共に用事があるということを察した。同じ学年の野球部の輩はほとんど知っているから、先輩という可能性があり得る。というか、私の中でも先輩だと確信している。 「ごめんなさいね、急に呼び出しちゃって」 「いえ…」 ちょっぴり緊張気味の私は高島先生に頭を下げた。「ここ座って」と椅子を引かれ、言われるがままにその椅子に座った。テレビが真正面に見える席。斜め前には椅子の向きを変えて座る先輩らしき人。表情が固くてどんなことを考えているかわからないかんじだなぁと横目でちらりと見た。先輩らしき人が私の視線に気付いてこちらを見たのと、私が目を逸らしたのと、どかりと隣に御幸が座ったのは、ほぼ同時の一瞬の出来事だった。 「初戦の相手が決まる試合に偵察で何人か向かわせて、さっきビデオ撮ってきてもらったの」 高島先生の横には少し大きめのテレビがあり、すでに画面は偵察のときのビデオが一時停止の状態で映されていた。そして、テレビの正面に座る私の前にはスコア表や対戦校のいままで収集したデータなどが準備されていた。昔から引き継がれているデータなのか、ちょっと年季の入ったファイルでデータは綴じられている。 一番上に置いてあった資料から考えるに、初戦の相手はこの都立高校だろう。1回戦や2回戦で姿を消すような学校のようだけど、少しだけ収集したデータはあるみたいだ。強豪校ほどのデータ量ではないけど、完全にノーデータではないというところがさすが名門の偵察ってかんじだ。 「鈴森、この人はクリス先輩」 「あっ、鈴森かよこです」 もう一人いた人。やっぱり先輩だった。身長が高く大人っぽい顔立ちで、きっと名前からしてハーフの方なんだろう。「滝川・クリス・優だ」とクリス先輩は名乗った。やっぱりハーフの方だ。 クリス先輩という方には丸聞こえだと思うが、隣に座る御幸に「分析班の人なの?」と小さく耳打ちをすると、「あとでちゃんと説明する」と言われた。 「鈴森。野球は分析力も強さの指標になる。目のある人から少しでもいろんな情報をもらいたいんだ」 クリス先輩は小さな声でぼそりと言った。 なんだか不思議な人だ。正直言ってやる気や熱さが全面に出ているわけではない。だけど言葉に重みはある。喋り方ひとつでそう思わせることだってできるけど、そういう演技ではないのは感じられる。真面目な人ではあるんだろうけど。だけど、よくわからないけど違和感を感じる。 「まだ初戦と言えど手は抜けないから、鈴森さんの力を貸してほしいの」 クリス先輩の第一印象を気にし過ぎてしまったせいで、高島先生に名前を呼ばれたときにびっくりして肩を小さく震えさせてしまった。「なにぼーっとしてんだ?」と御幸は私の顔の前に手をかざしてきた。 「お願い、鈴森さん」と高島先生はまた私の名前を呼んだ。ここまで来て断るつもりはない。連れて来られた時点で、野球部を気にかけはじめた時点で、いつかはこうなる運命だったんだ。 「ちゃんと分析したことないのでお力になれるかはわかりませんが、頑張ってみます」 ひとつのチームのためになにかすることってはじめてかもしれない。いつも一人で頑張ることが多かったから。なんだか急に恥ずかしくなってきて背中が痒い。背筋がぞわぞわするかんじ。初めてのことへの緊張とわくわく。これって、楽しみにしてたことをはじめるときの感覚に近いかもしれない。 「安心しろ鈴森。野球の知識があるクリス先輩とこの俺もいるんだ」 「お、おう…」 「なんだよその目」 「不安がってないから大丈夫。自信持って御幸」 「なんで俺が励まされてるんだよ」と笑う御幸に微笑む高島先生。視界の片隅には無表情のクリス先輩。クールなタイプで騒いだりするかんじではなさそうだけど、表情筋が一切動いてないような。声をあげて笑うような場面ではないけど、だとしても愛想笑いひとつもないのは。 「まず、配球から見ていくか」 「はい」 なんだか気になる人だ。 |