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夕暮れ時。住宅街を少し足早に歩く天音がいた。彼女の表情は生き生きとしていて、自然と歩調が速くなっている。学校からの帰り。自分の家にも寄らずにまっすぐ目的地まで向かっているようで、少し重いリュックを背負っていた。 そして大きくて立派な家の前で立ち止まり、家の中にいる人物を呼ぶべくチャイムを押した。彼女がチャイムを押してから間もなく家の扉が開き、扉の向こうに制服姿の青年が現れた。 「わー!新一くん久しぶり」 「よお、天音」 彼女が会いに来たのは、先日、蘭と園子との話題になった工藤新一であった。この家の人物よりも早く工藤家の門を天音が開けると、彼女は嬉しそうに頭一つ分ほど身長の高い彼を見上げた。 天音にとって新一は自慢の幼馴染である。同い年ながら少し大人びたところのある彼は幼い頃から頼りになる人物であった。困ったことがあればすぐに彼に相談をしている。持ち前の推理力や洞察力、客観的に物事を捉えられる彼の頭脳には目を見張るものがある。だけどもいまいち人の気持ちには鋭さを欠く点が多々あって、そういうときはもう一人の幼馴染の蘭に頼るという選別をしているのは彼女だけの秘密だ。 家へと招き入れる新一の後ろでスリッパを履く天音は思い出したようにいそいそとリュックを肩から下し、その中を漁りはじめた。 「これ、借りてた本。返すの遅くなってごめんね」 「全然気にしてねぇよ。それに、なかなか会えてねぇんだからしょうがないだろ」 新一は天音の手から本を取ると「先に俺の部屋、行っててくれ」と言い、家の奥へと消えて行った。天音は軽い返事をすると迷うことなく歩き始めた。それもそのはず。この家にお邪魔するのもいちいち数えることをする必要がないくらいの回数である。 二階にある新一の部屋へと着けば遠慮なくずんずんと中へと入り、ベッドに腰かけた。ベッドの脇にある窓にふと視線のいった天音は膝立ちでベッドに上がり、そのまま窓を開けた。窓枠に手を置き、前のめるように上半身だけを窓の外に出せば風が頬を掠めた。彼女が見つめる先に見えるのは工藤家のお隣の阿笠博士の家。新一の家によく来ていたせいか、お隣の阿笠博士とは顔見知りであったが、ここ最近会っていないなと彼女は思っていた。 ガチャリという音が聞こえて振り向くと手にグラスを二つ持った少々呆れ気味の表情の新一が立っていた。 「…おい、見えてんぞ」 「あ、ごめんごめん」 視線を逸らして言う新一に対し、言ってることと態度が比例しない天音。窓を閉めてベッドに座り直した彼女に、「少しは恥じらいってものをだな…」と小言を交えてオレンジジュースの入ったグラスを手渡した。 嬉しそうにオレンジジュースを手にした天音を見て新一は溜め息をついた。 新一は彼女の子供っぽさが早く抜けてほしいと思っていた。オレンジジュースというのは好みの問題だからとやかく言うつもりはないが、こうやって下着を見られても恥じらいひとつないところや男女二人でいるところを厭わないところ。自分たちは幼馴染という関係だからという理由で彼女は気にかけていないのだろうけど、もし誰構わずそういう性格だったら非常に恐ろしい。幼馴染といえどそろそろ異性として振る舞いを気にかけてもらいたいものだが、こうやって工藤家では誰も飲まないオレンジジュースを冷蔵庫に入れてしまっているあたり、なにも弁解はできない。 「急に連絡してごめんね。事件忙しくない?」 「いや、用事なかったからよ」 そんな新一の想いも全く気にすることなく、天音はベッドに腰を掛けながら足をばたつかせた。 今日こうして会うことになったのは昨日突然天音が新一に連絡をしたからである。"ジイ"という人の謎の電話について少し相談したかったのだ。そんな彼女の考えを知らぬ新一は、偶然なんの用事もなかったために会うことを快諾し、このような機会が実現したのだ。 しかし自身の望んだ展開とは言えど、天音は少し注文を加えたかった。 「用事ないなら蘭ちゃんに構っていただきたいところなんですけどね、ちょっとご意見伺いたいことがございましてね」 「なんか変な距離感じんだけど…。つーか、蘭なら学校で毎日会ってるぜ?」 「は?」 彼女の追加注文はもう一人の幼馴染に関してであった。先日、もう一人の幼馴染である蘭の新一への不満を耳にしてしまったため、時間に余裕があるならば積極的に蘭に会ってほしいという気持ちから、つい余計な一言を付け加えてしまった。 そんな天音の余計な一言を深く気に留めなかった新一は、さも当たり前のように蘭とは毎日会っているという、クラスメイトなら誰しもが答えられる平凡な回答をしてしまったのだ。否、深く気に留めていないわけではなく、純粋に言葉の真意を理解できていなかった。 そう当たり前のように検討違いな回答した新一に対して天音は満面の笑みで固まった。 「な、なんだよ…」 さすがの新一も固まったままの天音の完璧な笑顔には直観的に恐怖を感じる。これはなにか地雷を踏んだのかもしれない。しかし、弁解するにも言い出すことが一言も思いつかない彼は口を紡いだ。 「蘭ちゃんが離れていっても知らないからね」 「どういうことだよ」 天音の言葉の意味を数拍おいてから理解した新一はハッと顔を赤らめた。人のことに興味をあまり示さない性格の彼女がよりによって"そういう"感情にも立ち入ってくるとは。もしかしたら彼女は意図していないのかもしれないけど、受け取り方をそう捉えても可笑しくない発言をしている。 感情論は一筋縄ではいかない。ちょっとしたことで気持ちがぶれたり、考えが180度改まったりする。事件のように揺るがない一本のロジックではないのだから厄介なこと極まりない。 天音のことは昔から知っていて、性格もある程度把握している。が。高校が別になって自分たちと離れたことによって彼女は変わってしまったのだろうか。でも人の性格は簡単に変わるはずがない。と、なると。これは案外深い意味のない発言なのかもしれない。というより、そう思いたいと新一は苦手な人の感情について思考を巡らせていた。 「幼馴染は大切なの」 心配そうな面持ちで言う彼女はやはり意図していないのではないか。新一は天音の言葉を聞き、そう思った。てっきり、蘭と自分が幼馴染や友人以上の関係になってほしいと思うならば、"幼馴染は大切"という発言には結びつかないはずだ。だって、自分たちは園子も含めて四人で幼馴染なのだから。四人の輪を崩さないためにも、近頃事件であまり構えていない蘭と仲良くしろと彼女は言いたいのだろう。人のことにあまり興味を持たない彼女だが、自分も関わってくると意見を述べざるを得ないのかもしれない。 そう思えば、なにやら勘違いをしてしまっていた自分が恥ずかしい。咳払いをひとつして徐々に引いて来た頬の熱さをごまかすと、新一の標的は蘭以上に構えていない目の前にいるもう一人の幼馴染へと向いた。 「それだったら、天音と会うのも大切だろ?」 「……はあー」 新一自身、的外れな発言をしたつもりはなかった。幼馴染同士、蘭だけではなく天音と会うのも大切なことだ。彼女こそ学校が違い、会う時間も予定もつきにくいのだと言うのに。それなのに何故、こんなにも大きな溜め息をつかれた上に呆れたような視線を向けてくるのだろう。 一方の天音は、こういう会話は彼にするべきではなかったなぁ…と大きな溜め息と一緒に無音の不満を吐き出した。直接的な言葉で伝えればさすがの新一もわかるかもしれないが、それを他人が言うのは野暮な話だ。そもそも蘭と新一が互いに互いを意識しているのは天音や、この場にはいない園子の見解であって、当人たちの本心は憶測でしか図れない。これは早く本心に気づいてほしいという天音のささやかなお節介である。 「もう新一くん。そんな台詞は私に言うもんじゃありません」 「普段会えねぇオメーに言わないで誰に言うんだよ」 「それは自分で考えてくださーい」 プンプンとふくれている天音はそっぽを向いた。いつもこんな態度を取るのは正直なところ蘭のほうで、天音はへらへらと感情をあらわにすることはない。 やはり感情論は一筋縄ではいかない。 機嫌を損ねてしまった幼馴染をどうしたらいいのだろうか。頭を抱えた新一であったが、そもそも今日彼女が自分に会いに来た理由を訊いていない。この空気を打開したかった彼は話題の転換をすることを決意した。 「で。話したいことってなんだったんだ?」 「……?」 そう尋ねると天音は視線を新一へと戻し、ぱちぱちと瞬きを数回した後、首を傾げた。そして「…なんだっけ」と小さく声を出した。「おいおい」と呆れて肩を落とす新一だが、なんとなく安心感を覚えた。喜びながらオレンジジュースを受け取った彼女を見たときのような。 天音は必死に思い出そうとするものの、何故か頭にはなにも浮かんでこなくて焦っていた。せっかく用事のない新一の貴重な時間をもらってしまったにも関わらず、会う要件そのものを忘れてしまうなんて。でも天音は会う要件を忘れてしまうほどのことを体験している自覚があった。 「ご多忙な新一くんと会えたのが嬉しくて忘れちゃった」 嬉しさを耐えようにも耐え切れずに微笑みが込み上げてきた天音は頬を掻いた。要件を忘れてしまったことに少なからず恥ずかしさはあるが、まあいいか、と割り切っていた。 素直すぎる彼女の言葉が嬉しくもこの上ない恥ずかしさで心拍が上がってくるのを感じた新一は口をぱくぱくとさせることしかできなかった。落ち着け俺。そう思ってもこのままでは絶対に落ち着かない。 「そ、そそ、そうだ!今度目暮警部が警察のヘリ乗せてくれるってよ!天音もどうだ?」 「え!私もいいの?」 「目暮警部も久しぶりに天音の顔見たいってよ」 苦し紛れに言い出した全く脈絡もない誘いに天音はすんなりと乗っかった。こういうキラキラと目を輝かせるところを見ると彼女は昔のまま変わっていないのかもしれない。純粋で真っ直ぐで、まだ子供っぽくて。 気付いてしまうのが怖い感情が芽生えてしまわないように、彼女にはいつまでも昔のままでいてほしいと新一は自嘲した。 |