08


「あら、紫波さん」

「おはよ、紅子ちゃん」


朝登校すると下駄箱のところでクラスメイトの小泉紅子と天音は遭遇した。
女王様気質である紅子は独特のミステリアスな雰囲気を纏い、その美貌から男子生徒からは高嶺の花として崇められている様子がしばしば見られていた。
下駄箱で遭遇すれば教室まで共にするのは必然的なことで、「一時間目って数学だったよね」と、天音は教室までの会話として他愛もない言葉を掛けた。
当たり障りなく万人と仲良くできる天音は紅子とも何度か会話を交わしたことがあったが、実のところ彼女が腹の底で考えていることはいまいち図れないことがあった。


「紫波さんは黒羽快斗と仲が良いのかしら?」

「え、なんで?」


いまもそうだ。彼女の言葉は変な言い方をすれば無駄がない。何故突然快斗の名前を挙げてきたのか天音は真意が理解できなかった。
クラスメイトは誰とでも程よい仲を保っているつもりだ。しかし少なからず、同じクラスメイトの中では天音にとって快斗は仲の良いほうではある。親しい仲というものはあれど、それを一番だとか二番だとかランク付けして特別扱いする考えをそもそも持ち合わせていない天音は、わざわざ紅子がこうして尋ねてきたことにどう答えていいのかいまいちわからず小首を傾げた。


「よく二人で戯れているじゃない」

「それを言うなら青子ちゃんのほうだよ。…あ、ほら。今だって」


紅子の言葉に天音はもやもやがスッと通った気がした。腹の底がわかりにくい紅子ではあるが、この発言ばかりは彼女にとって少しわかりやすいものであった。
紅子は快斗が気になっているんだ。そうとなると快斗の仲の良い相手として自身の名前を出すのはおこがましい。
天音は教室の入り口から快斗と青子が口喧嘩をする見慣れた光景が見えるとそちらのほうを指差した。
そんな天音の行動を見て紅子は小さく溜め息をついた。話していて前々から感じていたこととして、勘は良いが鈍い。矛盾しているが、彼女は鈍い。適度な距離感を心地よく感じて彼女に相談をする人はいるが、自らグイグイと相手のことを訊き出さないように彼女は自分のことを語らない。語らないのではなく、なにも考えていないのかもしれない。自分のことについて話題がポンッと出れば"私なんか大したことない"という言葉で逃れてしまう。もっと欲を出していけば人間味ってものを天音から感じるのだけど。
そんな紅子の思いなど知らずに、ぴょこぴょこと駆けるように天音自ら指を差した方向に加わろうとしている姿を見て紅子は再び溜め息をついた。


「おはよ。朝から元気だね」

「よう、天音。いやぁ、青子のヤツが怪盗キッドのことで切れ散らかしててよ…」

「あんなの、盗んだものを捨てたり後でこっそり返したりしてる、ただの善人ぶった愉快犯じゃない!」

「まあまあ青子ちゃん。朝から疲れちゃうよ」


朝からプンプンとご立腹な青子の相手をしていた快斗は随分と疲れている様子だった。そんな二人のやり取りを面白そうに見つめる天音に紅子はまた溜め息をつきたくなったが、それを飲み込んだ。


「あら。私は彼のそういうところ、好きよ?いたずら好きの少年みたいでかわいいじゃない」


紅子は快斗の傍らに寄り何やら含んだ表情で言った。彼女は過去に怪盗キッドと対峙していた。もちろんそのことを知るのは紅子本人と素性も分からぬ怪盗キッドのみとなるのだが、彼女は自分の考えに自信を持っていた。快斗こそが怪盗キッドであるということを。
当の快斗はそれを勘違いの一点張りで突き返すが、なかなかすんなりと引いてくれない紅子に少しの苦手意識を抱いていた。いまも悟られないように紅子の言動を傍観しようとしていた。


「騙されちゃダメ!あいつはどう転んでも犯罪者。悪者なんだから!それに見たでしょ?キッドの次の獲物」


紅子が怪盗キッドを良しとするのを認めたくない青子は必死に紅子に詰め寄っていた。さすが刑事の娘、と言ったところだろうか。父親の味方であり正義感の強い性格もあるのか、怪盗キッドに対して手厳しい様子が見受けられた。


「ああ…。駅前の古い時計台だったかしら?」

「……え…時計台?」


"駅前の時計台"。天音はそのワードになにか引っかかる気がした。さほど考える時間も過ぎぬうちに、近頃いつもの日常とは違う出来事があったことを思い出した。あの"ジイ"という人が情報を求めた案件だ。駅前のシンボルとして古くからあるその時計台は、江古田の景観に馴染んでしまい、いまさら気にする人はいない。ただ、最近あの時計台の移築計画があるということで巷では話題になり、天音もその話を小耳にはさんでいた。もしかしたらその移築計画に"ジイ"が携わっているのか。しかし、美術品の研究者である父親の昔馴染みだとして、昔からこのようなやり取りをしていたかと思うと辻褄が少し合わない。となると、"ジイ"は美術品を愛してやまない者で、この度は時計台の移築計画に先立って時計台を見納めようとしているのだろうか。
寺井という人物が怪盗キッドと繋がっていることなど知る由もない天音はただ違和感と興味だけが湧いていた。


「?どうかしたか、天音」

「ん、別に」


眉間に皺を寄せて考えていた姿を見たのか、様子が変わった天音を不思議に思い快斗は尋ねた。だけど天音はけろりとした表情で何でもないと即答した。
もしかしたら彼女にとってもあの時計台はなにか思い出があるものなのだろうか。そんなことを頭に浮かべていた快斗は、相も変わらずぼんやりとしている天音のことを考えた。
天音は自分のことをあまり多く語らない。席が近くなったことにより天音とは仲が良くなり、ただのクラスメイトだと快斗は思っていない。だけど距離感がいまいちつかめないままでいたのが悔やまれるほどに、"別に"という天音の言葉に本音を綴ることはできなかった。


「それにあそこは…あの時計台は…」


青子は少し俯き、独り言のように消えてしまいそうな小さな声で呟いた。
あの時計台に思い出があり失いたくないと思っているのは、いまこうして浮かない顔をしている青子だけではない。快斗自身も時計台での青子との思い出は忘れたりすることはなく、あの場所にあるあの時計台を大切に思ってきた。
高額での売買を目的とした時計台の移築計画。そして、天音の時計台に対する様子も気になる。
そう思うと、易々とあの場所から時計台を奪わせてやるものかと、快斗は改めて心に強く誓うのであった。









「天音!お昼一緒に食べよ?」

「うん、いいよー」


昼休み。
青子は天音を昼食に誘った。弁当が入った包みを持つと、青子は「天気も良いし、外で食べようよ!」と笑顔で誘った。天音も笑顔でそれに答え、二人で教室から出て行った。
青子はよく二人だけではなく何人かの友達も誘って昼食を取ることが多いが、今日は天音だけを誘い、しかも外へと連れ出そうとしている。天音は青子のそんな行動が珍しいと思いながらも、どことなくいつもと様子の違う隣で廊下を歩く彼女を脇目で見た。正直いつもより元気がないのはなんとなく原因はわかっている。
廊下には昼休みに入って何人もの生徒が出てきているが、外に向かう青子と天音は二人だけの空間。天音は息を吸い込むと青子の名前を呼んだ。


「青子ちゃん。朝、時計台の話ししてるとき元気なかったけど大丈夫?」

「えええ!?」

「?」


青子が元気のない天音の思う原因を挙げてみると、青子は驚きつつも焦ったように肩を震わせた。少々挙動がおかしくなった青子に天音は傾げ、もしかしたら的外れなことを言ってしまっただろうかと少し悩んだ。
だけど天音は間違っていなかった。青子は自分を落ち着かせるように深呼吸をすると困ったように笑った。
階段を下ろうとしていたとき、青子は天音よりも先に階段を下って踊り場のところで振り返った。


「やっぱり天音ってすごいね!天音の前じゃ青子、隠し事できないや」


階段の上にいる天音を青子は見つめた。天音は立ち止まり、きょとんとした顔で青子のことを見下ろす形で見ていた。自分の思っていたことは間違ってはいなかったのだけど、青子の素直な態度に呆気を取られていた。普通はそんなこと思っても恥ずかしくて口に出せない人は多い。天音もあながち簡単に口にできないようなことを素直に声に出してしまう同族ではあるが本人にその自覚はなく、思っていることを素直に話す度に幼馴染の名探偵には頭を抱えられていたそうな。
そんな名探偵の苦悩など知らない天音はただ単純に青子の素直さに好感を持っていた。
天音は階段を下りて青子に近づくと、青子は少し笑みに影を落とし、再び口を開いた。


「あのね…あそこの、あの時計台は青子の思い出の場所で、……快斗と初めて会った場所なの…」


ぽつりぽつりと青子は静かに語った。
青子にとって駅前の時計台は幼馴染の快斗との大切な思い出の場所だった。今やこうして快斗とは気さくに言い合える身近で当たり前な人物ではあるが、初めて会ったときというのは案外覚えているものだ。青子はその思い出を大事に今まで心の中にしまっていたようだ。
移築され、あの時計台がなくなるわけではない。だけど、あの場所にあってこその思い出。自分がどうこうできる話ではないが失いたくはない。


「移築されちゃうにしろ、怪盗キッドに盗まれちゃうにしろ、青子ちゃんの思い出の場所がなくなっちゃうのは悲しいね」


天音は同情するように青子に声を掛けた。
天音自身、幼馴染の出会いというものは小さい頃の記憶であまり覚えていない。新一と蘭とはそれぞれ気付いたときには一緒にいて、園子とは保育園から。保育園になって初めて新一と蘭と園子と天音の四人揃い、それからはずっと一緒にいた。当たり前になっていた。
思い出深いはずである出会いを覚えていない天音は青子の時計台にまつわる思い出が素敵なものと感じ、本当にあの場所からなくなってしまうのは悲しいことだと目を伏せた。
だが次の表情では天音は満面の笑みへと変わっており、青子に笑顔を見せつけた。


「でもきっと大丈夫だよ」

「…へ?」

「良いことある気がするんだ」


なんの確信もない。ただ、良いことがある。天音はふわふわとした不思議な感覚を信じていた。



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