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その日の夜は普段とは違い騒がしいものだった。 ネオンが輝く街の上空には一機のヘリコプターが飛んでいた。そのヘリコプターには"警視庁"と書かれていて、そこに新一と天音は乗っていた。天音はヘッドセットを被りながら、初めて乗るヘリコプターを楽しみながら夜景を楽しんでいた。そして、彼女は自分の左隣にいる、この度ヘリコプターに乗せてくれたふくよかな男性を見た。 「それにしても本当にお久しぶりです。目暮警部」 「たしか最後に会ったのは…。ああ…君のお母さんの葬式だったかな」 「お母さんの上司イコール新一くんがお世話になっている刑事さんって聞いたときはびっくりしました」 目暮警部。キャメルの帽子に口元の髭が印象的な目暮は警視庁捜査一課に属する警部で、難解な殺人事件が起こった際には新一に助けを求めている人物。そしてまた、天音の母親が警察官として現役だったころの上司にあたる人物でもあった。 天音は幼い頃、仕事に向かう母親に同行して警視庁に訪れたこともあり、そのときに仕事の合間に子守もかねて目暮が面倒を見てくれることがあった。昔の淡い記憶として目暮のことを覚えてはいたが、繋がりである母親がいなくなってから会う機会があるとは天音は思ってもみなかった。再び繋がりがあることに気付いたときは新一がいつもの如く事件の話をしていたとき。たまたまポロリと目暮の名前を零したとき、天音は淡い記憶がよみがえり、訊ねていけば思っている人と同一人物であることに確信をもった。 母親を知る人に母親のことを訊きたいと思い始めていたここ最近。天音にとって目暮は会いたい人物だった。目暮が警察のヘリコプターに乗せてくれる話に同乗しようと新一が誘ってくれたとき、天音はゆっくりと目暮と話ができるものだと思っていた。 …のだが。 「で。この状況は何なんですか?」 「工藤くんから聞いてないのかね?」 「来るときもずっと考え事してて、いまはお喋りしながらパソコンと睨めっこしててそれどころじゃなさそうです」 右隣にいる新一は防音用のヘルメットを被りながら、なにやら無線を使いブツブツと喋り、膝元にはパソコンが乗っかっていた。 景色を楽しむ様子は一切見られない。せっかく警察のヘリコプターに乗せてもらっているのに、わざわざこの場でパソコンをいじらなくてもいいのに。 天音はそんなことを思いながら、ふと新一越しに見える景色がなにやら騒がしいことに気付いた。 「たまたま警視庁に応援要請があってな。どうせなら現場を見せてやろうと思ってだな」 目暮の言う通り、いまこのヘリコプターは事件現場に向かおうとしているようだ。もうすぐ日付が変わるという時間帯であるにも関わらず、夜の街にやたらと明るいところがあった。辺りにはいま天音らが乗っているヘリコプターと同じ外装をしたヘリコプターが数機飛び回っていた。 天音は再び新一越しに外を見てみると、見覚えのある景色が目に映った。 「どうやら江古田駅前の時計台を盗みに来るやつがいるそうでな」 「あ。今日学校で話題になってました」 天音にとって見覚えのある景色。それは毎日通学で使っている江古田駅の風景で、時計台と言えば今朝友人と怪盗キッドが盗みに来ると話題になっていた場所だ。 彼女らを乗せたヘリコプターが時計台の側まで来るとどれほど騒ぎになっているか一目瞭然だった。夜も深くなっているこの時間。時計台の元には大勢の人で賑わっていた。 新一と目暮に挟まれ、生憎座席が窓側ではない天音はその賑わっている様子を目視することが出来ていなかった。外の様子が気になる天音はパソコンと睨めっこをしている新一に覆いかぶさる形で窓から下を眺めた。自分とパソコンの間に彼女の上半身が入ったことで視線を遮られた新一は「おい」と突っ込みを入れながらも、久しぶりにパソコンと無線から意識が外れた。 「思い切り捜査に首突っ込んで邪魔してるね」 「邪魔なのはオメーだよ」 "早く退け"と言わんばかりの視線を寄越す新一に目もくれず、天音は下の景色を眺めていた。新聞やニュースで話題になっている怪盗キッドの人気をこうして直で目の当たりにした彼女は目を丸くした。言ってしまえばただの泥棒なのに、こんなにも人気だとは思っていなかったのだ。 「新一くんは泥棒捕まえるのは得意なの?」 「専門じゃねぇが、警察が何度も逃げられてる相手なら申し分ないぜ」 相手を追い詰めるスリルが堪らない。いつだか彼はそんなことを口にしていた。 余裕のある表情で口角を少し上げて微笑む新一の無線がジリリという音を立て音声を拾った。新一の耳に届いたのは時計台内で目標である怪盗キッドを見つけた旨。先ほどからずっと無線でやり取りしていた彼の指示が的中し、変装した怪盗キッドを見つけることが出来たようだ。 新一は無線が良く聞こえるように耳元に手を当て、パソコンを遮る天音の体を退かした。不服ながらも彼の邪魔をしてはいけないと思った天音は大人しく座り直した。 そんなとき、目暮の手元にあるトランシーバーが音を立てた。 「いやぁ!すまんすまん。一度このヘリに乗せる約束を彼としててな、どうせならと思って現場に連れて来たんだが──…あー、おいおい」 「警部さん!失礼ですがあなたと議論している時間はありません」 目暮のトランシーバーの通信先は時計台の中にいる中森という同期の警部からであった。この事件の現場担当を課されている中森は応援要請としてやってきたにも関わらず勝手に指示だしをする目暮の存在、否、新一の存在への抗議のために無線を掛けてきたのだ。 ついさっきまで別の無線でのやり取りをしていた新一はそんなトランシーバーを目暮の手から奪い取り、あろう事か現場責任者の警部に文句を言い、挙句には自分に従うように物を申した。 「僕ですか…?…工藤新一。探偵ですよ」 新一は自身の名前を告げながらヘルメットを外した。中森からの無線も受けながら現場の刑事からの無線も聴こうと、イヤホンマイクに付け替えようとしていたとき、隣にいる天音はイヤホンの片方を奪い取った。「あっ!おい」と新一に怒られながらも、いまいち蚊帳の外であった天音は話題に加わりたく、彼に目で訴えた。彼はしょうがないと言わんばかりの視線で溜め息をついたが、それは事を良しとする意味合いも含めており、それを察した天音はひとつのイヤホンを耳に付けた。 するとちょうど現場の警察官からの無線が入ったところであった。どうやら怪盗キッドに扮した警察官を通風口内で追い詰めたようだった。新一は自身の膝の上に置いてあるパソコンを見ながら、無線を掛けてきた警察官に現在の居場所を訊いていた。 「焦らないで。もはや獲物はあなたの爪にかかったも同然」 天音は新一が操作をしているパソコンを覗き込んだ。表示されているのはどうやら時計台の構造図のようだった。先ほどからずっと睨めっこしていたのはそういうことか、と納得した天音は新一と顔を並べてパソコンを見た。 怪盗キッドを追っている警察官以外にも指示を的確に出す新一は泥棒はもう捕まえたも同然と確信していた。 そんな中、怪盗キッドを追っていた警察官が目標を見失ったと慌てた様子で連絡を入れてきた。 『現在位置は?』 『えーと…ここは……──4階の東側の廊下です!現在目標は警官の変装を解き、階段を下って逃走中!至急応援を…!』 怪盗キッドを追っていた警察官に中森が現在の居場所を尋ねると、その警察官は少し悩んだ様子だったが、間もなくハキハキとした声で現在位置と怪盗キッドの行動を伝えた。実のところ警察官の回答の後半は怪盗キッド自らによるものなのだが、完全に模写した声色は誰もが同一人物のものだと思っていた。 ただ、言うなれば違和感を覚えた人間はいる。天音だ。通風口で怪盗キッドを追っているときに新一に居場所を訊かれたとき、目標を見失い中森に居場所を訊かれたとき。どちらとも現在位置に自信が無い様子であったのに、突然ハキハキとした様子に変化した。 「…あれ?なんか様子おかしくないですか?」 「なんだと?」 「警官が密集するあの空間で警官の変装を解くのは、ヤドカリが殻を捨て海中をうろついているようなもの…。僕には理解できない」 天音は警察官の様子の変化に疑問を抱いたが、新一は怪盗キッドの行動に疑問を抱いた。新一の言い分も言われて見れば確かにと思った天音は「うーん…」と唸り声を上げた。 すると、ゴーンという大きな音を立てて時計台の鐘の音が鳴り響いた。気付いたときには時刻は12時を回り、怪盗キッドの予告時間となった。誰もが息を飲み込んだその時、突如時計台の移築作業に組んだ工事用の足場から煙が物凄い勢いで立ちのぼった。時計台の文字盤を隠すように真っ白な煙に包まれ、それを見物している地上でのざわめきは目に見えたものだった。 しばらくして煙が止み、文字盤を隠す白が闇に散った。時計台の針と共に。 「あ、時計の針が!」 再び新一に覆いかぶさる形で天音は窓の外の時計台を興味津々な様子で見つめた。あんなに大きな時計台の針が一瞬にして消え去ったのだ。おそらく発煙機は事前に仕込んでいたものなのだろうという考えは容易に出来たが、あの一瞬にして時計台の針を消す術が彼女にはわからなかった。 「…揺れてる?」 「ああ、ヘリのこの揺れか?」 「違いますよ、警部。すみません、ヘリをもう少し時計台に近づけて」 時計台の針がなくなったというのに新一は至って冷静であった。どちらかというと現実主義者な彼はあの一瞬で時計台の針が無くなると単純に受け止めていなかったのだ。そしてよくよく見てみれば時計台の文字盤がなにやら揺らめいているのを見つけ、ある仮定に至ったのだ。 ヘリコプターの運転手に指示した通り、彼らを乗せるヘリコプターが時計台ぎりぎりまで近づくと、時計台の文字盤の揺らめきが大きくなった。 「も、文字盤が揺れている…!どういうことだね工藤くん!」 状況を理解できない目暮は新一にトリックを尋ねた。天音も文字盤が大きく揺らめいたことで新一と同じ考えに辿り着いた。煙が上がり文字盤を隠したところで文字盤の上にこれまた事前に仕込んでいたスクリーンを垂らし、足場からプロジェクターで針のない時計台を映し出していたのだ。 「そのトリックはフェイク。おそらく彼はいまスクリーンの裏で短針についている宝石を──…ちょっとお借りしますよ」 新一は天音を退かし、目暮に手を伸ばしたかと思うと、ヘリコプターの扉を開けた。強い風がヘリコプターの中に舞い込んで来たが新一はそれをものともせず、手に持った拳銃を構えた。目暮から奪い取った拳銃を。 慌てふためく目暮に目もやらず、新一は拳銃から1発弾丸を発した。天音は銃発音に驚き思わずヘッドセットの上から耳を押さえてしまった。 彼は以前ハワイで父親から射撃の訓練を受けたらしく、拳銃の腕前はなかなかのものであった。見事にスクリーンを真っ直ぐ張る役割となっていた下部にある鉄の棒の片側を打ち取った。彼の腕前のお陰でスクリーンはカーテンが揺らめくように、ヘリコプターの風で舞った。 「さあ、マジックショーのフィナーレだ。座長の姿を拝見するとしましょうか」 新一はもう片側にぶら下がるように付いている鉄の棒に狙いを定めた。あれを撃ち落とせばスクリーンの下部は重みを失い、且つ、このヘリコプターの風で舞い上がるだろう。そうすればスクリーンと文字盤の間に隠れている怪盗キッドの姿が晒される。 名前も姿も知らぬ泥棒を一目見ようと彼は弾丸を放った。 が、何故かスクリーン上部までも外れ、スクリーンは風に乗りながら地上へ舞い降りていってしまったのだ。というのも、彼らの目には全く届かぬスクリーンの内側で怪盗キッドが機転を効かせ、スクリーンと共に地上の人混みに紛れる手段を取ったのだ。 「なんてやつだ。スクリーンとともに人ごみの中に落ちるとは」 「あ、目暮警部。無線機から音してますよ?」 そんな彼の大胆さに圧巻されていた目暮はトランシーバーの着音に気付いていなかった。天音に指摘され、無線に出てみれば案の定、中森からのものだった。 「ところで警部さん。彼は何か言ってませんでしたか?──…暗号?」 またもや目暮からトランシーバーを奪った新一は怪盗キッドと対峙したであろう中森に尋ねた。すると時計の文字盤になにやら暗号が書かれていたことを告げ、暗号の内容を目暮がメモに書き取った。 それは丸の中に放射線状に線画引かれ、謎の文字列が記されてるものだった。中森に言われた通りに書き取りつつも、目暮はなんの脈絡性も感じられないその暗号に首を傾げた。 「とにかく、それは重要証拠物件。暗号が解けるまで予定されていたその時計台の移築は中止してもらうしかないな…」 「えっ」 中森に対し目暮が言った言葉に天音は思わず声を漏らしてしまった。 あの時計台は移築されずにあの場所に残る。 今日の昼休み。友人に伝えた根拠もないあの励ましが現実となったのだ。 「本当に良いこと起こっちゃったなぁ」 「どうした、天音?」 「ううん。新一くん、暗号解けた?」 「んなの簡単じゃねぇか」 「早い!ねえねえ、教えて」 「たまには時間かけて自分で解いてみろ」 |