体育館の冷たい床に正座させられるという屈辱に耐えながら、名前は仁王像が如く立ちはだかる友人の声に耳を傾ける。
「何で言わなかったの」
「聞かれなかったから」
「マネージャーが欲しいって相談、したわよね」
「されたね」
「どうしてその時、経験者だって言ってくれなかったの」
「聞かれなかったから」
「…それはさっきも聞いたわよ!」
「痛い痛い痛い!」
頬をぐいぐいと引っ張られ、部員のボールをつく振動も相俟って名前は何やら全身が痛かった。
この場に連れてきた日向と黒子は素知らぬ顔で練習を続けている。
許すまじ、と名前が睨みつけるも相田に余所見をするなと益々、頬を引っ張られる始末。
そんな理不尽な扱いは、見るに見かねた水戸部の実力行使と伊月の取り成しにより、ようやく終わりを告げた。
「大丈夫か、灰崎」
「大丈夫じゃない…痛い……」
「灰崎先輩、高校では尻に敷かれてるんですね」
「黒子、殴るからちょっとこっち来なさい」
「お断りです。足も止めてくださいね、あれは見るのもやられるのも勘弁です……あ、」
「……ヘタクソ」
がこん、とボールはリングに阻まれて転がった。
名前が見ていた限り、黒子の3ポイントラインからのショットは放ったすべてが外れていた。
その理由を名前はよく分かっていたが、指摘するつもりはなかった。
人に言われて簡単に直るような癖は癖ではないのだ。
当人が気づく他ない。
やれやれとボールを拾い、緩やかにドリブルをしながらハーフラインの数歩手前に立つ。
「スカートだから1本だけね」
言うやいなや、名前の手から放たれたボールは瞬きのうちにリングの中央を通ってコートに跳ねた。
名前は延長線上にいる黒子を見ながら、掛けてもいない眼鏡をくいっと上げる仕草をする。
「人事を尽くしていれば外れないのだよ」
「いや、何キャラだよ!」
「緑間くんです。キセキの世代、ナンバー1シューターで、僕はちょっと苦手です」
「私は筋肉量の問題でこれ以上の距離からは打てないけど、緑間はもっと遠くからゴールを決められる。秀徳に進学したって報告来てたから、予選で当たるかもね。性質上、タメが長いから対策としては膝かっくんがオススメ」
「そりゃ反則だろーが!」
「つか今の何だよ!上手すぎるだろ!」
「報告って何!?予想外過ぎる仲良しさなんだけど!」
やいのやいのと捲し立てられ、面倒くさいと息をつく。
そんな名前を今までにないほど目を輝かせて見つめる姿が1つ──火神だった。
黒子はふと、体格の差も考えずに勝負を要求していた青峰や黄瀬のことを思い出した。
諫めるべきかと、その挙動をじっと観察していたが、火神にその素振りは見られない。
見落としがちだが、青峰や黄瀬と違い、アメリカ育ちの火神には徹底的にレディーファーストの精神が叩き込まれている。
これは本来、女性優先という意味ではない。
自分より弱い者を大事にするという意味だ。
どんなに名前の技巧が優れていても、火神との差は明らかだった。
それこそ、火神がコートの中でピクリとも動かないという前提条件がなければ、勝負にならない。
万が一、ブロックでもしようものなら、名前は確実に怪我をする。
この時点で、名前はレディーファーストの対象とすべき相手だった。
なお、アレックスについては、ことバスケにおいて、この枠内からはみ出している。
とはいえ、青峰や黄瀬をいなしてきた経験の持ち主が、ただただ火神の想定通りになる訳がない。
自分より大きい者の躱し方など、とうの昔に身に付いている。
勝負を挑んでも、名前の感情指数が大いに下がるだけで、何の問題もなかったと火神が気付くのは、キセキの世代と対面してからのことだった。
「今のどうやったんだ?…です」
駆け寄ってきた火神を一瞥すらしない。
「火神くん、挨拶してください。」
「あ?挨拶?」
「灰崎先輩は基本的に穏やかですが、挨拶をしない人については問答無用であらゆる権利を蹂躙しにいきます。年下だろうと年上だろうと容赦無しです」
甚だ理解不能な脅し文句だが、責付かれると妙に焦る。
仕切り直しをしようにも、名前は2年生によるゾーンディフェンスの内側に居て突破口が無い。
何やら妙に話し込んでいることもあり、火神は渋々ながら諦め、見様見真似で名前と同じ位置からボールを放つ。
しかし、当然ながら、ゴールよりも手前で大きく跳ねただけだった。
悔しがる火神に触発され、他の1年も挑戦し始めた横で、名前は息をつく。
「何を言いたいかは察した。でもお断り。私は別にバスケが好きでマネージャーをしてたわけじゃない。彼氏がやってたからっていう極めて俗な理由でやってたの」
「彼氏!?」
「ショーゴってヤツか!?」
「それは弟」
「アンタたち五月蝿い!話が横に逸れるから黙ってて!」
鼻息荒い一喝に反射的に口を覆う。
その様に溜飲を下げ、相田はやや高いところにある名前の双眸を見つめる。
そこに映る自分の姿は、ほんの少しの揺らぎもない。
校内を圧倒的多数の割合で占める、話題になった時だけ持て囃す生徒と何ら変わりない。
バスケに興味のない人の目だった。
「一通り、皆のシュート練習見たわよね」
「まぁ、軽くね」
「何か気付いたこと、ある?」
「特にないよ。小金井くんは高校入ってからバスケし始めたんだろうな、とか。伊月の視野は随分と広いな、とか。その程度のことだよ」
「他は?他にもあるでしょう?」
主体性のない者を部に引き入れるつもりは毛頭ない。
バスケ部立ち上げの時から、相田の中で部員への絶対条件は主体性──早い話がやる気の有無だ。
経験者であることに越したことはないが、やる気さえあれば練習次第で何とでもなる。
「そんな欲しがられてもないってば…。敢えて言うなら日向はモーション入った途端に悪人面になるね」
「誰が悪人面だコラ」
「水戸部はオーバーのフォームが何か変だからフックシューターかな。土田くんは放つ瞬間に指先に力入りすぎ。黒子は相変わらずヘタクソ。青峰もどきは左右のバランスが悪いから調整した方がいいね。それから、そこの背の高い君は…」
滔々と述べられる内容は、相田の掲げる標語を黙殺してでも手元に置きたいと思えるものだった。
名前の経験と能力は、野放しにするには惜しい。
むしろこの歩く宝荷を1年も放ったらかしにしていたかと思うと、目眩がする。
「名前、今週土曜日の予定は?」
「…あ、すごく嫌な感じがする」
「朝10時までに海常高校に集合ね。来なかったら名前の嫌いな鉄平に連絡先教えるから」
「色々言いたいけど、とりあえず木吉のことは嫌いじゃない。苦手なだけ」
「どっちでもいい!とにかく来なさいよ、いいわね!?」
「……面倒なことになったなぁ」
ぽつり、と名前の口から本音が漏れる。
ふと目の合った黒子は、無表情ながらも意味あり気に頷いて見せただけだった。
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