灰崎名前は実に淡白だ。
余程のことで無い限り、怒りも喜びも持続しない。
白壁の微瑕か、興味を持てるものが少ないこともあり、感情の揺れ幅の狭い、ひどくマイペースな人間に成長した。
そんな人間に物事を強制しようとすると、どうなるか。
名前は右手と共に枕の下に潜り込んでいたケータイを見て、首を傾げる。

「いつ止めたんだっけ…」

集合時間、20分前。
どれほど急いでも、時間通りに神奈川の海常高校には辿り着けない。
誰の目にも明らかな、華麗なる寝坊だった。
じきにこの画面は、電話が引っ切り無しにかかり、相田の名前で埋まるだろう。
途端に憂鬱になった。
ひとまずサイレントモードにしようと設定を開くと、既になっていた。
なんとも定番のオチにため息しか出ない。
仕方がないと、連絡を入れる。
相手は相田ではなく、黒子だった。
怒られるのが嫌だという勝手な理由で、許可無く最終防衛ラインとしていた。
既に電車の中にいた黒子は、相田の怒りの矢面に立たされる覚悟をしたと同時に、腹いせに黄瀬に名前の進学先を教えることを決意した。
教えろ教えろと五月蝿いのだ。
というのも、いざこざがピークに達していた頃、祥吾が名前のケータイから黄瀬の連絡先を消し、なおかつ拒否設定までしていた。
この拒否設定、電話は捨て置き、メールが迷惑メールボックスに行くようにしただけというのが、実に巧妙な点だった。
祥吾は名前に件のボックスを開けるとウイルス感染すると刷り込み、鍵を掛けた。
その鍵はもちろん、祥吾しか知らない。
加えて名前の基本スタンスは「読みはするけど返さない」であり、翻って、黄瀬の基本スタンスは「返事は欲しいけど送れば満足」である。
生活リズムの違いや、当時、名前が虹村と付き合っていたこと、名前が受験生だったことなど数多の要因から、黄瀬が電話をすることは無かった。
当然、逆もない。
すべて知っている。
シスコンとは実に恐ろしい。

「名前先輩?スミマセン、ケータイ誤作動してたみたいで」
「……黄瀬?ああ、何だ、そうなの。じゃあ、切るわね」
「待って待って待って!折角だから話しましょうよ!」

数日前、黄瀬がケータイを鞄の中から取り出すと、名前と通話中になっていた。
流れのままだらだらと言葉を交わしているうちに、祥吾の完全犯罪が露見した。

「退部云々の時から連絡来なくなったから、もう話すこともないかと思ってた」
「は?え?俺、すっごいメールしてたっスよ」
「誰に?」
「名前先輩に」
「1通たりとも来てないけど」
「……えっ!?」

思考停止に陥る。
祥吾とは色々あったが、姉の名前のことはマネージャーとして尊敬していた。
何となく、側に居るのが心地良かったのもあり、姿を見かければ話しかけに寄って行った。
虹村との仲は知っていたし、それを邪魔するつもりは毛頭無かったため、電話はしなかった。
けれどその分、何かとメールを送っていた。
嬉しかったこと、楽しかったこと、失敗したこと、いじられたこと、感動したこと、苦しかったこと、分け合いたくなったこと。
そのどれもを、黄瀬は名前に会った時にも話していたから、大きな食い違いが起きなかったのだろう。
きちんと聞いてくれていた。
けれど目にはしてくれていなかった。
怒りがふつふつと沸く。
チクショウ、祥吾くんめ。
名前の前ではとても言えないが、とりあえず一通り脳内で殴っておいた。

「名前先輩、とりあえず設定変更してほしいんスけど」
「えー…スマホ初心者が設定いじると訳分からなくなるからやめとけって祥吾に言われてるんだけど」
「大丈夫ですって」
「そもそもやり方分かんないし」
「…先輩は俺とメールできなくてもいいんスか」
「うん、別にいい」
「俺は良くない!傷つくから!そういうこと言わないで!」
「何か面倒くさい子になったね、黄瀬」
「名前先輩は相変わらず辛辣っス…。あ、なら俺がやるんで会いましょうよ!いつ暇っスか?つか、高校どこ行ったんスか?」
「黄瀬と会うと碌な事にならないって祥吾が…」
「はァ?ふざけんなあのシスコン!」

──ブチッ。
反射的に漏らしてしまった心の声を最後に通話が切れた。
慌ててかけ直すも、繋がらない。
怒らせてしまったのだと焦る黄瀬は知らない。
ただ、名前の方が充電切れを起こしただけだということを。
名前は暗くなり、自分の顔が反射する画面を暫し見つめたものの、仕方がないと充電器に差した。
かけ直す配慮などあるはずもない。
黄瀬に大きな誤解とショックを与えるだけ与え、放置。
悪女もいいところである。
それゆえ、黒子は黄瀬に泣きつかれ、耳を塞ぎたくなるほど怒濤の勢いで、とばっちりを受けたのだ。
閑話休題、話を現在、そして名前自身へと戻す。
名前は持っているだけで厄災を招くと、ケータイを放り投げ、外に出た。
相田は自宅の場所も番号も知っている。
相田父によるお迎えという名の強制連行を受けるかもしれない。
そんなことは甚だ御免である。
とはいえ、特に行く先はない。
脳裏に幾つかの顔が浮かぶも、自ら連絡ツールを打ち遣った名前が確実に会える訳でもない。
となれば、もはや選択肢は1つ。

「そうだ、本屋へ行こう」

ぼっちを満喫する。
それしかない。
名前の今日の予定は、適当な文庫本を買って公園で読書という深窓の令嬢ごっこに決まった。


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