川西は後悔をしない。
試合に負けて悔しいと思っても、あそこでああしていれば良かったとは思わない。
同じ展開を迎えたらこうしようと反省しても、時を戻してくれとは願わない。
そんな川西がたった1つ、後悔していることがある。

「…お母さん、かな」

名前にあんな顔をさせてしまったことだ。
川西と白布は、比較的早く仲良くなった。
同じ部活に所属する同級生。
ポジション争いをすることもないとなれば、穏やかに会話を重ねられる。
名前と知り合うのは時間の問題だった。

「…ただいま」
「おかえり」

部活終了後、白布は自宅通学の名前を家まで送っている。
そのまま夕食を共にしているらしく、川西は入学してから休日の時しか夕食の食堂で白布を見かけない。
寮の川西の部屋の前には、樹齢十数年の桜の木が植えられている。
白布は川西と連絡を取り合い、同室の先輩なり後輩が居ない時にその木をよじ登り、自室へと戻っていた。
高校1年の春、それこそ入学してすぐの頃は名前と白布の仲を囃し立てることが多々あった。
白布はこれを止めようとはしなかったし、名前もまた、肯定も反論も笑みに巻き取っていた。
次第に白布と名前の関係に口出す者は減っていき、今では誰1人として2人を茶化す者は居ない。

「白布さ」
「ん?」
「苗字のこと、好きか?」

そう問い掛ければ、 返ってくる答えは決まっている。

「好きだよ」

でもこれを口にしてはいけないし、口にするっもりもないんだ。
諦観たっぷりの白布に川西がかけられる言葉は無かった。
苗字名前。
その名前と存在は、ある意味、とても有名だった。
バレー部レギュラー、白布賢二郎の幼なじみ。
たったそれだけで勝手な噂が一人歩きするのに充分過ぎるくらいの威力があるというのに、名前にはもう1つの面があった。
同じくバレー部のレギュラー、天童覚の従兄妹。
強豪校だけあって他府県から人が集まってくることもあり、校内でのバレー部はやや目立つ存在だった。
表立ってキャアキャアと騒がれるわけではないものの、名前を取り巻く環境はひどく羨ましがられた。
白布、天童、名前の3人をよく知りもしない者たちは、有りもしない三角関係を持ち出して騒ぎ立てる。
天童にスマイリーなどと不愉快なあだ名をつけられたバレー部マネージャー、須磨もその1人だった。
大っぴらに言うことはなかったが、心の底ではそういうことも有り得るだろうと、下世話な想像をしていたのだ。
須磨は足りなくなった備品の補充に出て、白布が女子を連れて歩いている姿を目撃したことがある。
自主練サボってデートとはレギュラーは余裕だな、なんて軽口を叩くと隣を歩いていた水津宮に頭を小突かれた。

「やめろよ。誰かに聞かれたら面倒だろ」
「いや、つい。もう言わねぇよ」
「そうしとけ。あの子だよ、噂の白布の幼なじみ兼、天童の従兄妹」
「え!ギョロ目じゃねぇじゃん!」
「そこじゃねーだろ、オイ」

冷めた目を向ける水津宮をよそに、白布と名前に視線を戻す。
白布は、須磨が今まで見たことのないような穏やかな表情を浮かべていた。

「須磨さん。買い出しですか?」

気を利かせて声をかけずに見送ったにもかかわらず、目的地が同じだった。
水津宮と分かれ、店内を回り始めてから数十分。
品物の棚から声の方向へ体を向けると、白布と名前が立っていた。

「おー、白布。ここはデートには向かねぇだろ」
「名前は彼女じゃなくて幼なじみです」
「はじめまして、賢二郎の幼なじみ兼覚くんの従兄妹の苗字名前です」
「ああ、はじめまして。俺はマネージャーの須磨イリトだ。宜しくな」
「貴方がスマイリーさん…」
「…天童だな?天童の野郎が教えたんだな?あのゲスモンスターが!」

帰ったらぶん殴るという宣言に、名前はお手柔らかにと困ったように笑った。
そのまま買い出しを手伝ってくれるという名前の厚意に甘え、買い出しメモを半分に切って渡した。
自分のカゴが一杯になったところで、ふと2人の様子を窺うと、幼なじみにしては大袈裟過ぎるほどの仁愛の情に溢れ、恋人にしては憂いを帯びた瞳で相手と向き合っていた。

「気持ち悪かったでしょ、あの2人」

買い出しを終え、寮に戻ると天童に出会した。
天童は須磨が繰り出した拳を華麗に避け、にやにやと笑う。
とてもチームメイトや従兄妹に向ける言葉ではないが、確かにその通りだった。
須磨には2人が関係すら断ち切って、精一杯1つになろうとしているように見えた。

「…何なんだよ、あの2人」
「徹頭徹尾、幼なじみだよ。それ以上でもそれ以下でもない。息をするように互いを思いやり、慈しんでいるだけの、ただの幼なじみだよ」

煩わしいと鼻でせせら笑ってさえしまう天童。
この時、須磨はこれが現実の彼ら3人の関係なのだと瞬時に理解した。
三角関係には程遠い。
言うなれば、交わることのできない平行線に跨がるもう1本の線が、天童の立ち位置だった。

「…ほーんと、いつまで続けるつもりなんだか」

ポツリと呟くその声は、誰の耳にも入らなかった。


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