自分は、何だか名前とよく話をしている気がする。
そう五色が思うのは、五色が名前と同じ委員会に所属しているということもあるが、それ以上に、バレー部の中で白布との会話が段違いに多いことが影響している。
セッターである白布に自分のことを知ってもらい、トスを上げてもらわなければ牛島と同じ土俵に立てない。
五色は入部した直後から白布について回り、五月蝿い、お前は後だ、と邪険にされても、なら次お願いします、とさして心折れることもなく、いざトスを上げてもらったら遠慮せず注文をつけるというサイクルを繰り返していた。
それだけではなく、一般入試で入ってきた白布の頭脳を頼り、朝な夕なと分からないことがあれば何でも尋ねていたとなれば、名前とのエンカウントも比例して増える。
五色が2人の関係が異質であることに気がつくのにそう時間はかからなかった。
白布と名前は互いに相手の思考を先読みしているのに共には歩かない。
自分はいつだって横に居ると見せかけながら、横には誰も居ないと分かっている。
先を行く背を上手く隠して見ないようにして進み、そうして、行き着く先が見え始めたら名前の方が自然に歩みを止めてしまうのだ。
決して白布に悟らせることなく。
報われることのない追いかけっこに、白布が疲れ果ててしまわないように。
その場から立ち上がることができなくなってしまわないように。
間違っても、自分が先に着いてしまわないように。
これは、後輩である五色だけが気がついたこと。
追えばいいだけの五色だけしか、気がつけなかったことだ。
何がそうさせているかなんて知らないし、説明されてもきっと分からない。
五色はまだ、あそこまで相手を思いやる術を持っていないから。
だから少し羨ましいと、そう思っている。
「今年は花火らしいぞ」
「…今日でしたっけ、遊休日」
「嫌そうな顔するな。珍しく若利も乗り気なんだ。付き合ってくれ」
大平は半ば無理矢理、白布を連れ出した。
遊休日。
それは夏に思い出1つ作れない部員たちへの、レクリエーションだった。
学校近くにある神社の祭に参加するのがほとんどだが、練習日程の都合で学校での花火大会になる場合もある。
今年は後者だった。
「来たな、白布。ほらよ」
「なんで最初に線香花火なんですか」
「ちょっと話したいことがあんだよ」
「…昼間にはできないような話ですか?」
「んー…そうだな、夜だから聞き出せる話もあるだろうし」
瀬見、大平、牛島に囲まれた白布は、持ち前の察しの良さでその意味を理解した。
特に変わった挙動を見せたつもりはないが、大会を前に不信に繋がりそうな点を明らかにするのは、至極当たり前のことだった。
特に今年は、瀬見ではなく白布が正セッターなのだから。
最低限、主将と副主将には話しておくべきなのだろう。
入添ではなく瀬見が居るのは、名前とそれなりに親しくしているから、穴の空いた情報を聞き出しているのかもしれない。
白布は渡された線香花火に火をつけた。
パチパチとその先端で火花が小さく跳ね始めると、前置きをした。
自分は誰が相手だろうと試合で手を抜くことはありません、と。
「俺がバレーを始めたのは小学生の時からです。その日も隣町まで電車に乗って行きました。…ただ1つ違ったのは、駅までの道のりを俺が自転車で行くと言い張り、車での送り迎えに応じなかったということです」
そこまで口にすると、今まで跳ねていた火花が勢いを失くし、やがて白い一筋の煙を残して消え去った。
暗くて煙が昇っていく先なんて見えるはずがないのに、白布は地上に近い所から煙を追って空を見上げた。
「母親の送り迎えなしに駅まで行って電車に乗って教室に。たったそれだけのことなのに、少し大人になったような気がしました。舞い上がってたんです。だから、普段は指をくわえて見ていたスポーツショップに寄り道してしまったんです。自分の手よりずっと大きいボールや、目玉が飛び出そうなほど高いサポーターなど、飽きもせず見続け、気がついた時には辺りは暗くなっていました。慌てて電車に乗って地元の駅に着いた時、数メートル先すら煙って見えないほどの雨が降っていたんです」
白布は空から大平の線香花火へと視線を移し、そこで一旦話を区切った。
その横ではちょうど、瀬見の線香花火が音もなくその雫を地面へと落としたところだった。
「自転車で帰るのは難しいと思って家に電話したら、忙しくて手の離せない俺の母親の代わりに名前の母親が迎えに来てくれることになりました。だから俺は、駅でずっと名前の母親が来るのを待ってたんです。ずっとずっと、馬鹿みたいに1時間くらい突っ立ってて…、でも結局迎えに来たのは名前の母親じゃなくて俺の父親だった」
喘ぐようにもらす白布の声を飲み込むように、部員が大声をあげてはしゃぐ。
2本の花火を振り回す天童や山形に対抗して、五色が4本の花火を掴む。
そこに火をつけようとする川西を、入添が諫める声が鋭く飛ぶが、須磨の放ったネズミ花火から逃げ回る他の部員に巻き込まれていた。
「…父親の車が向かった先は家じゃなくて救急病院でした。真っ白な空間で慌ただしく行き来する白い人たち。俯いて肩を震わせている名前。そこで初めて名前の母親の事故の話を聞かされたんです」
瀬見には、大平の息を呑む音がよく聞こえた。
とうとう、最後に残った牛島の線香花火も消え、白布がどんな顔で話をしているのか、じっと見つめなければ分からなくなった。
「今でも時折、夢に見るんです。病院の嫌な静けさの中に響く名前の泣き声が。あいつが泣いたのはその時だけだったから…。葬式の時もぐっと唇を噛み締めて、できる限りの笑顔を見せて『平気だよ』って言って…」
その時のことを思い出したのか、白布が複雑そうに顔を歪めたのが、打ち上がった花火に照らされて明瞭に見えた。
握られた拳は力が入り過ぎて小刻みに揺れている。
「…俺が参ってたのに気づいてたからなんでしょうね。自分が泣いたら、俺がもっと苦しむって。俺は多分、名前と名前の父親に一生許してほしいだなんて思えないんです」
「──でもそれは、お前の所為じゃ…」
お前の所為じゃない。
瀬見はそう言おうとしたであろう大平の服を引っ張り途中で止めた。
──ウサギが死んだのは、自分が悪かったのか、それとも運が悪かったのか。
以前、名前に聞かれたことが脳裏を掠め、安易な慰めは不要であると判断した。
「頭では分かってるんです。雨だったから迎えに来てもらうことも、交通事故も、どこにでもある話で。あの時はただ不運な偶然が重なってしまっただけなんだって。自分の所為だって思い込んでる俺を、あろうことか名前や名前の父親が気遣ってくれました…。だけど、それでも俺の中では何も変わらなかった。後から後から浮かんでくる『もしも』が俺を罪悪感で一杯にしていく。もしも俺が寄り道をしなければ、もしも俺が土砂降りの中、自転車で帰っていれば…。誰がどんなにお前の所為じゃないと慰めてくれたところで止められない。責めてほしいのに、それすら誰もしてくれない。だから、…だからせめて自分だけは、自分を責め続けようと。…俺が奪ってしまった以上の幸せを名前が手に入れるまでは、ずっと傍で見守っていこうと、そう決めたんです」
再び火を点された線香花火が、白布の指先で揺れる。
それに照らされたのは、さっきとは打って変わる穏やかな白布の顔だった。
「…お前自身は、彼女のことをどう思ってるんだ」
ずっと黙って聞いていた牛島のその問い掛けに、白布は言い淀むことなく答えた。
「好きです。誰よりも何よりも大切です。でも名前はもう、俺にとっては絶対的な存在なんです。だから『彼女』とか、そういう位置には置けないんです」
「…苗字がお前と同じ気持ちだって分かっていても?」
「………はい」
目を伏せ、己の問いに微笑んだ白布を直視することができなくなり、瀬見はふいと目を背けた。
その先では、未だ鮮やかな火に囲まれて戯れる仲間たちの姿があった。
「なぁ、苗字」
「はい」
「白布から離れようと思ったことはないのか?」
放課後。
委員会の用事があったのをいいことに、いつものように音楽室で白布を待っている名前の元を訪れた瀬見は尋ねた。
ピアノの音は途切れずに鳴っている。
「無いですよ」
「一度も?」
「……そうですね、一度も無いと言ったら嘘になります」
曲が終わり、ピアノの音が空気に溶けていくと、名前は再び口を開いた。
「賢二郎を許してあげられるのは、私しか居ないんです」
「…それはお母さんの事故のこと、だよな?」
「……賢二郎に聞いたんですね」
「ああ、半ば無理矢理。そういうつもりじゃなかったんだが、苗字の家庭の事情を詮索するような結果になった。本当にすまない」
それに対し、名前は怒ることなくただただ苦笑した。
「賢二郎にとってバレーをすることは、罪であり罰であり、幸せでもあるんです。もちろん、賢二郎の為を考えたら離れたほうがいいのかなと考えたこともありました。でも、そうしたら賢二郎はきっと、もっと思いつめてしまうから」
「…だから傍に居る?」
「はい。それが賢二郎の救いになっているのか、私自身にも分からないですけど」
白布と名前は、互いに相手の表情を見ることができずにいる。
苦し紛れに自分と相手を繋いでいる、今にも切れてしまいそうな糸を手繰り寄せ、その存在を確かめることで束の間のの安堵を得ている。
相手も自分も、一体どんな顔をして笑っているのか、確認することなく。
恐怖めいた何かを抱えて。
平静を装った声に気づかない振りをして。
続けられるはずもない、破綻した関係なのに、続けていない姿の想像もできない。
終わりが見えないとは、こういうことを言うのだろうか。
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