春高の県予選、烏野に敗北して3年は引退の運びとなった。
主将、副主将の引き継ぎも済ませ、それぞれが大学受験や就職試験に意識を切り替えている中、牛島の中で白布が話した過去が燻っていた。
ふと気がつくと、当人が何年かけても見つけられずにいる答えを探し出そうとしている自分が居る。
そもそも牛島には、白布が抱いているものをよく理解できずにいる。
終始落ち着いた口調だったが、その言葉と態度には大きな矛盾が生じている。
牛島には、名前が幸せを手に入れるまで見守ると言った白布が、実際には名前に縋りついて生きているように見えた。
しかし、それを口に出してどうにか白布たち2人の先行きを変えてやろうとは思わない。
元よりそんな思考を、牛島は持ち合わせていない。
白布がこれからどんな選択をしようとも、牛島には関係のないことだ。
途中で挫折して別の道を進む者を中学、高校の6年間で嫌というほど見てきた。
牛島はそれに対して否定も軽蔑もしなかったが、自分はそうなりたくなかった。
白布は白布の道を歩めばいい。
けれど、そうも言っていられない状態にまで、2人の「関係」は発展してしまった。

「これだけは譲れないんです」

すみません、と言って監督に頭を下げる白布を見た。
揺らぐことのない強い意思に、流石の監督も、ただ頷くしかできないようだった。

「…白布に主将を任せたのは、失敗だったか」

今更なその呟きは、誰にも拾われることなく消えていった。
そうは思いたくない。
主将としての力は、川西にも充分ある。
しかし、白鳥沢というチームをまとめられるのは白布しか居ないと、そう思っての判断だった。
白布は強豪の名を背負うのに耐えられないような、そんな弱い人間ではないという確証はある。
けれど同時に、他に優先するものを持っている白布には荷が重過ぎるかもしれないという思いがあった。
2択を迫られた時、白布がどちらを選ぶかなど聞くまでもない、明白な答えとして存在していた。
それを牛島が行動という形で目の当たりにしたのは、推薦状のことで相談があり、体育教官室を訪れた時のことだった。
形式上引退ということになっている3年だが、牛島を含め未だ多くの者が部活に出ている。
各々、感覚を鈍らせないようにする為だとか、受験の息抜きだとか、後輩指導だとか言っているが、結局のところ一緒にプレーしてきた仲間と離れがたいだけだった。
そんな中、白布を主将とした新チームは初試合を来月に控えている。
なかなか上手く纏まりきれていないチームだが、直前の合宿で形にするのが恒例だった。
今年もまた同様に合宿が組まれ、主将である白布が一足先に日程を知らされた。
その泣きそうなまでに歪んだ白布の表情が、忘れられない。

「すみません。この合宿に俺は参加できません」

しかし、表情とは裏腹に白布の声はやけにハッキリとしていた。
理由を尋ねられても、初日が大切な人の命日なのだとしか言わなかった。
監督は納得できていない様子だったが、夏に2人の事情を聞いていた牛島は、すぐにその大切な人が名前の母親を指していることに気がついた。
結局、合宿は何を言っても首を縦に振らない白布の態度を見た監督が、1日遅れて参加するように指示することで落ち着いた。
人にはそれぞれ人生があるのだから、白布にバレーを強要するつもりは毛頭ない。
主将に就任したからには、最低限、その責務を果たす義務はあると思うが、どうしても優先しなければならないことが他にあるのならば、何もバレーを1番に考えろなんてことは言わない。
今回の白布の選択を咎めるつもりもない。
けれど、勿体ないとは思う。
牛島の目には、白布は名前を見守っているつもりでいて実は彼女に見守られていることに気付いていないように映る。
断罪してくれる相手を失うのを恐れて、名前を手放せないでいるのだと。
牛島は名前と面識がない。
けれど、従兄妹である天童や瀬見から話を聞いたり、須磨や五色などと向き合っている姿は見知っていた。
そこからぼんやりと、直感のように根拠無く、名前は白布のそれらすべてを分かっているのだろうと感じた。
何も言わず、白布の望むままに傍に寄り添い、自分の想いを閉じ込めてまで、白布の罪悪感を受け入れている。
名前は白布にとって「神様」なのだ。
だがしかし、このままでいることで白布が許されたと感じる時がやって来るのだろうか。
名前が一度だけ流した涙を夢に見て、苦しめられることがなくなる日がいつか来るとでも、本当に思っているのだろうか。

「俺は多分、名前と名前の父親に一生許してほしいだなんて思えないんです」

そう言った白布は、もしかしたら自分が許される時が来ることなど少しも望んでいないのかもしれない。
このままずっと、それこそ一生、名前の掌に縋りつきながら、名前から手を離すまでずっと、「贖罪」という名の檻の中に居るつもりなのかもしれない。
これほどまでに裁かれたがっている白布の混沌とした思いを、名前はたった1人で、どんな想いを抱えて受け止めていたというのだろうか。

「……苗字は、白布をどうするつもりなんだ?」

名前が1人で居るところに出会した途端、初対面にもかかわらず牛島の口から明け透けな言葉が溢れ落ちていた。
慌てて取り繕うにも、何と誤魔化せばいいのか分からず、黙りを決め込む。
そんな牛島を心底可笑しいものでも見たように笑った。

「賢二郎から聞いたのは瀬見さんだけじゃなかったんですね」
「……すまない」
「謝らないでください。大体、予想してたので。…夢の話も、聞きましたか?」
「知っていたのか」
「一度、見てしまったんです。『泣かないで』って何度も言いながら魘される賢二郎を。……それを見た時、ひどくショックでした。そして同時に、愕然としました。賢二郎は夢の中でさえ、謝罪の言葉を口にすることができないのだと。謝りたい、でも許されちゃいけない。そんなジレンマを抱えながら私の傍に居てくれているのだと。そこで漸く、賢二郎の抱えているものの重さを知ったんです」

促され、ベンチに横並びに腰掛ける。
膝の上で行儀良く重ねられていた名前の手は、いつの間にか小さな握り拳へと姿を変えていた。

「私や父がいつまでも悲しんではいられないからと、前を向いて生きていく気になったのに、賢二郎はあの時のままずっと動けないでいるんです。そんな賢二郎にどう接するのが最善なのか、私にはもう分からないんです。賢二郎の重荷にだけはなりたくなかった。だから離れようとも思いました。でも賢二郎が私を離さないでいるから、私は傍に居てあげるしかないのかと」
「だが、このままでは…」
「はい。このままじゃ駄目なことは分かっています。変えるには、私が動くしかないってことも。…賢二郎にはもう、苦しんでほしくないんです。人生の中で私を優先するんじゃなくて、自分の進みたい道を自由に進んでほしいんです」
「確かに、今の白布が自分自身で変えることは難しい」
「……はい」
「…キッカケはあることにはあるが、使う気はあるか?」
「え?」

試すかのような物言いに、弾かれたように顔を上げる名前。
牛島は唇を半開きにしたままの名前を見据えた。

「白布が部活の合宿に不参加を申し出た。…合宿の初日が君の母親の命日らしい」
「う、そ……」

卑怯な真似だと、牛島はそれを口に出してから恥じた。
関係ないと嘯きながら、名前を利用して、白布をバレーに集中させようとしている。
白鳥沢というチームのために、いつか再び同じチームでプレーしたいと思う自分のために。
罪悪感や後ろめたさを抱いているとは露ほども思わず、名前は儚く微笑った。

「……もう、限界なんですね」

消え入りそうな声で呟く。
風が運ばなければ、隣に座っている牛島の耳にすら届かなかったかもしれない、そんな小さな小さな声だった。

「教えてくれて、ありがとうございました。賢二郎は、牛島さんに話して正解でした」

牛島がその意味を理解する前に、名前はベンチから腰を上げた。
一礼をし、流れる動作で背を向ける。
この時、名前を呆然と見送った牛島は、事の次第を把握した天童にいくら若利くんでも許さねぇと、大量のチョコアイスとジャンプを買わされることになるなど、知る由もなかった。


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