次に現れたのは田中だった。
木下があっさりと満点のスコアシートを作り、戻ってきたのを見て、筋金入りのテスト嫌いも安心したらしい。
だがそれとは裏腹に、名前の方はまだ2回目にもかかわらず、説明の面倒さに嫌気が差していた。
清水に同じ事をさせると思うとあまりに申し訳ない。
頭を上に下に大きく動かし、プロジェクター画面と手元とを見ている田中を横目にまとめていた「スコアシートの書き方」は、設定していたアラームが鳴った頃には、すっかり出来上がっていた。
流していた映像を止め、片手を突き出す。
「はい、回収」
「ま、待ってくれ…!最後の1プレーは向こうのサーブで、俺がブロックに飛んでアウトを…」
「往生際が悪い」
「…チクショー!煮るなり焼くなり好きにしやがれ!」
うおお、と唸りながら頭を抱える田中だが、結果は完璧だった。
まさに、好きこそ物の上手なれ。
採点を終え、気まぐれに花丸をつけると諸手を上げて喜んだ。
そんな田中に思わず笑みが溢れる。
ふっと吐息に乗せられた細やかな笑み。
直視した田中は部屋に2人きりである事実を思い出し、頬を赤くした。
動揺し、今の今までどのように会話していたかさえ分からない。
「何?」
「い、いや!何でもねぇ!」
田中の脳内で、男らしくないぞ!龍!という西谷の叱咤が飛ぶ。
清水と2人きりになるより、名前と2人きりになる方が緊張しなくて済む。
たかが同級生。
たかが同級生。
目を覆い、呪文のように唱え、名前を再び視界に戻した田中の行動は、実に軽率だった。
「痛むの?」
顔を覗き込まれ、田中は脳内の西谷もろとも爆死した。
たかが同級生。
──されど、同級生。
この言葉の意味を身に沁みて理解したのだった。
「田中が使い物にならなくなって帰ってきたんだけど」
「何それ、サーブできなかったの?」
「…できてたけど」
「ブロックは?」
「…ブロックもレシーブもアタックもできてたけど!」
「使い物になってるじゃない」
素気ない名前に何を言っても無駄だと察し、指定された席に着く。
未記入のスコアシートと手製のハウツープリントを見て、今しがた閉じたばかりの縁下の口は自然と開いた。
「何で居るんだよ」
ところが、思考は言葉の選定にまで至らず、出てきたのは誤解を招くのが必定のようなものだった。
名前の片眉がつり上がる。
意味が分からないと言わんばかりだが、縁下は心の底から声を大にして伝えたかった。
いつもお前がやっていることだ、と。
「何でマネージャーやる気になったんだ。あんなに嫌がってたのに」
「嫌だったんじゃなくて時間が欲しかったの。それなのに縁下が私の気持ちを弄ぶから」
「俺は俺で真剣だったよ」
「真剣に弄んでたの?」
「違う。というか、弄んだ覚えもない。真面目に答えろって」
「真面目に、ねぇ…」
珍しくも性急な物言いに目を瞬かせた名前は、できる限り言葉を選んで返した。
「勝利の証明がしたくなった」
何とも不遜な物言いだが、「烏野の」という文言が入らなかったことに縁下は安心した。
名前と関わるようになり、帝光中がどれほど天下無敵であったかを知った。
能力を十全に活用できるだけのチームに居た2年間が、名前に与えた影響はあまりに大きい。
根付いた価値観はそうは覆らない。
この発言は十中八九、帝光を根元としたものだが、だからこそ、紛うことなく名前の本音だと確信できた。
名前に烏野バレー部に入れ込む理由はない。
「『普通』のチームに私たちの普通を持ち込んだらどうなるか、見てみたくなった。この答えじゃ、満足できない?」
否、むしろ充分すぎるほどに満足できた。
去年の夏、名前と喧嘩をしてから縁下の中には深く突き刺さっている思いがあった。
ただひたすら正直に心裡を告白するならば、それは憐憫の情だった。
何の申し開きもない。
縁下は名前を哀れだと思ったのだ。
哀れみ、優越感まで得たその先で、看過することのできない飛礫がゴロリゴロリと転がった。
菅原が片思いと勘違いしたそれは、罪悪感に苛まれた末の献身だ。
その自覚があるから、どんなに名前との仲を囃し立てられても本当のことを言いたくなかった。
「──ごめん」
唐突な、脈絡のない言葉だった。
だが、縁下にとっては昨夏からずっと、燻り続けていた言葉だった。
縁下は名前を友達だと思っているし、名前も縁下を友達だと思っている。
事実、その関係性に一切、変化は無かった。
無かったから、縁下はこの言葉を口にすることができなかった。
「俺は、灰崎の友達で居て…いいんだよな?」
胸中の吐露を、名前はどう受け取っただろう。
相手が拒否を示しづらいような言い方までして、中身も外見も、何もかもが情けない。
自分に嫌気が差す。
「縁下」
名前の声に身構える。
けれど、聞かなければならないことだ。
覚悟を決めて向き合う。
名前は、すっと縁下の後方を指差して微笑んだ。
「出てって」
ガツンと槌で撲られたような衝撃を受けた縁下は、子細に気が回らなかった。
30分経ったから縁下はやり直し、という名前の声は耳に入らなかったのである。
「…縁下が使い物にならなくなって帰ってきたんだけど」
「サーブできなかったの?」
「…できなかった」
「ブロックは?」
「…ブロックもレシーブもアタックもできなかった」
「それはまた、随分な役立たずっぷりね」
いけしゃあしゃあと告げる名前におののきながらも、成田は集中して説明に耳を傾けた。
生来プレッシャーに弱く、瞬発力に欠け、今覚えてすぐテストの形式にはとんと弱い成田だが、今回はそのテストよりも重大なことが控えていたため、満点のスコアシートを作るのは容易だった。
これなら大丈夫だと太鼓判を押され、情報室を出ようとした直前、くるりと向きを変えた。
きょとんとした名前が目に映る。
「灰崎、あのさ…」
力を入れすぎて、返ってきたスコアシートに皺が寄る。
しかし、そんな些末事を気にしてもいられない。
今、言わなければ。
脅迫のように追い立てられ、声を振り絞る。
「──ありがとう」
「…何のこと?」
「昨日、俺や木下たちを戦力だと言ってくれたこと」
「当たり前のことでしょう?礼を言われるようなことじゃない」
「でも俺は、嬉しかったから。だから、ありがとう」
これから宜しくと歯を見せる成田に、同じように宜しくと返した。
この後、名前は木下から麩菓子を貰い、成田の方が男気があるようだと勝手な分析をすることになる。
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