「お、お願いします!」

角張った様子で入室した日向に、名前は首を傾げた。
今までの流れで、てっきり西谷が先に来ると思っていたが、違ったようだ。
さり気なく机に出していたプリントを入れ替える。
この間まで中学生だった彼らの理解力を考慮して、名前は1年生の4人組には他よりも簡単にまとめた物を用意していた。
月島は嫌がるだろうと思いながらも、そうしたのは実利を重んじた故だった。

「日向くん」
「ひゃい!」
「…深呼吸ー深呼吸ー。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。然程、難しいことはしませんから」

はい、落ち着いてー。
名前が何とも気の抜けた声で促すも、いつまで経っても日向の肩から力が抜けない。
仕方がないと、特に説明も無く映像を流し始める。
それは青城との練習試合のものではなかった。

「あ、これって…」

日向の目がスクリーンに釘付けになる。
そこには目一杯にとある選手の勇姿が映し出されていた。
食い入るように見つめる姿に流していた映像を一時停止し、名前はリモコンを左右に振った。

「お察しの通り、これは『小さな巨人』の対音駒戦の映像です」

名前はこれを手に入れるのに随分と苦労した。
帝光の同級生から音駒に進学した者を探し出す。
これだけでもひどく時間を要したが、そこから更にバレー部へと接触を図れそうな者を抽出するのに手こずった。
あにはからんや、なし崩し的に増えていったモデルの後輩のオフショットが縦横無尽の活躍を見せた訳だが、こればかりは誰の耳に入ることも無いだろう。
とにもかくにも、名前はなかなかに苦労したという話だ。

「彼の試合を見たことは?」
「小学校の時に一度だけ…、商店街のテレビで見ました」
「それは重畳。君の技術はお粗末で、青城との試合を振り返っても、得られるのは誰かしらの後頭部にサーブを決める方法くらいですから」
「う…っ!」
「という訳で、日向くんにはこの試合でスコアシートを書いてもらいます。難易度が上がるので満点時にはプラスアルファ、この試合のロムも差し上げましょう」
「え!本当ですか!?」
「嘘は言いません。が、難しいのは嫌だと言うなら青城戦に変更します。どうしますか?」
「こっち!こっちの『小さな巨人』の方!で、お願いします!」
「ではこのプリントを見てください」

清水も含めればもう6回目。
過不足ない説明など、容易くできる。
名前は、指先を追って視線を動かす日向を見て、あらぬ方向を指してみたくなった。
きっとその動きにつられてくれるのだろう、と思ったら堪らなく可笑しくなった。
もう片方の手を口元に持って行き、笑いを噛み殺す。
実に可愛い後輩だ。
名前はこれまで、こんなにも愛嬌のある後輩を見たことがない。
どれもこれもが雁首揃えて、頑固な曲者ばかり。

「あああ…!」
「はい、やり直し」

日向の爪の垢でも煎じて飲めばいいのに。
名前は、当の本人が絶叫していることなど、欠けらも頓着していなかった。
足取り重く出て行った日向と入れ替わるように西谷が入って来たが、その足取りもまた重く、名前は一瞬、日向が戻って来たのかと勘違いした。
どんなに見つめても目が合わない。
話を振ると決まって吃る。
挙動不審の極みである。
西谷自身、ノヤっさんらしくねぇぜ!と脳内で田中の鼓吹が響く。
清水と2人きりになるより、名前と2人きりになる方が緊張しなくて済むはずだ。
たかが同級生。
たかが同級生。
目を覆い、呪文のように唱えた後、意を決して名前を見据える。

「調子でも悪いの?」

西谷はまともに会話することなく、脳内の田中もろとも悶死した。
たかが同級生。
──されど、同級生。
田中同様、この言葉の意味を身に沁みて理解した。
2人の違いは、それが課題をこなす前か後かということ、ただ一点に尽きる。

「これが終わったら紅白戦ですよね?」
「うん、そう。チーム分けはあそこのボードに書いてあるから。スコアはどうしようか?」
「お願いしてもいいですか?木下たちのデータが取りたいので」
「ビデオも撮っておいた方が良いよね?」
「あ、そっちは武田先生がやってくれるみたいです」

物言わぬ石像と化した西谷を成田や木下の力を借りて体育館へと連れ帰り、現実へと引き戻しながらのサーブレシーブ練習。
その最中も、名前の利き手は休むことなく動き続けていた。
前日のゲームに参加していなかったメンバーを中心に、サーブの種類やコース、レシーブの成否や返球位置を書き取る。
清水と言葉を交わしてもそのスピードは変わらない。
選手に怒号を飛ばしていた烏養が、そのハイスペックさに冷や汗をかく。
烏野で天才と認められる影山や西谷でも、指導するに当たってまるで手に負えないとは思わない。
それぞれ、伸ばすべき点はいくらでもある。
だが、名前についてはそれが見当たらない。
ともするとサイボーグと言われても納得してしまえる程の完全無欠さで、末恐ろしいとさえ感じる。

「…お前が女で良かったよ」
「何ですか、それ。嫁にもらってくれるという話ですか?もしくはセクハラですか?」
「どっちも違ェよ!」

ピイッ、とタイミング良く清水の笛が鳴る。
ラストのサーブレシーブをこなし、転がったボールを拾う。
滑り止めに軽くモップをかけ、ビブスを配る頃には、名前の手の内で転がされた3人は、どうにか調子を取り戻していた。
声を掛け合いながらボールを回す部員や、指示を出す烏養。
スコアボードの左右にパイプ椅子を並べ、ノートを広げる清水と名前。
武田は俯瞰するすべてが烏野バレー部なのだと興奮し、胸が高鳴った。
技術的な指導はできないが、彼らの目標達成のために手助けできることはまだあるはずだ。

「頑張らないと…!」

密やかな決意表明は、ばっちりと録音されており、編集作業をした名前にむず痒い思いをさせることになる。

「日向!レシーブの姿勢が悪い!もっと腰落とせ!」
「はい!」
「東峰!お前の武器はパワーだけか!?」
「…ッ、いいえ!」
「ならしっかりブロック見て打ち分けしろ!山口!サーブミスで下向いてる暇あったら声出せ!」

試合が進むにつれて、烏養の声が大きくなる。
それらすべてを漏らすことなく拾い、書き記すと満遍なく目を配っていることがよく分かる。
昨日の時点では気に入らないと口にしたものの、名前は烏養の視野の広さには好感が持てた。
劣等生の元セッターは、全体の指導者に適している。
だが、アタッカーやブロッカーの気持ちを理解しきれない。
いずれ、その超えがたい壁にぶつかる時が必ず来る。
その時にサポートにつけるよう、名前はポジションごとの特性や部員ごとの性格を理解しようとしていた。
名前にとって1年振りのマネジメント活動。
それは殊の外、厄介事を引き込んだ。


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