「久しぶり、だね。お父さんは仕事が重なっちゃったから、また夜に来るって言ってたよ」
墓石の掃除をし、花を活ける名前の後ろ背についと目を細める。
このように母親に呼び掛ける従兄妹の姿を、久しく見ていなかった。
8年前。
名前が小学校3年生だった時に起きた不運な事故。
まだまだ甘えたい時期だっただろうに、甘える相手である母親だけでなく、幼なじみの心までも奪われてしまった名前の気持ちは計り知れない。
ついさっきまで笑顔を交わしていた人が二度と戻らないと知った時、どれほどの恐怖と寂しさを与えられるのだろうか。
経験したことのない天童には分からない。
天童は墓参りに来ると決まって胸にぽっかり穴が空いた気分になる。
経験したことのない者の気安さからかもしれないが、それでも、その隙間を埋められるのは生きている人間だけだと思っている。
「叔母さん、名前はこんなに大きくなったよー」
「お母さん、覚くんはこんなに大きくなったよー」
墓前の狭い空間で、無理やり横並びになって手を合わせる。
話でしか知らなかった名前の幼なじみが自分の後輩になったこと。
レギュラーで一緒に試合をしたこと。
山形が忘れていたケータイを届けようとして手からすっぽ抜け、壊してしまったこと。
瀬見の私服がダサいこと。
最後の試合は烏野に負けてしまったこと。
引退して受験勉強が面倒くさいこと。
いずれ、牛島の親友枠でテレビに出る予定なこと。
白布が主将になったこと。
気づけば、バレー部関係のことばかりを胸中で呟いていた。
名前と天童の2人分を名前の母親は聞き取ることができただろうか。
未だ静かに対話している名前から目を逸らす。
視界の端に黒い影が入り込んだ、気がした。
「俺、地蔵さんのとこ行ってんね」
名前の母親の眠る、この田んぼに囲まれた墓地の敷地内には、小さな地蔵がある。
地元の人間は墓に用が無くとも、近所を通れば挨拶がてら手を合わせる者が多い。
かく言う天童も、小学生の時は地蔵盆でここに集まり、袋詰めにされた菓子を貰っていた。
花を手向け、地蔵の前にしゃがむ。
「あの情けないメッセージの貸しはいつ返してくれんの?」
閉じていた目を開けば、地蔵堂の後ろから白布が顔を覗かせた。
あちらからは見えないが、こちらからは見える。
そんな場所から、白布はただ名前だけを見つめていた。
「名前、泣いてましたか?」
「珍しくね」
「そうですか」
「結局、行かなかったんだ?合宿」
「明日から行きますよ」
「ふぅん」
手を合わせたからいいだろうと、お供え物のキットカットを口に入れる。
折って食べるなんて以ての外。
行儀悪く口の端についたチョコを舐め取るのが、天童流だった。
「賢二郎にとってさぁ…」
ごくりと喉を鳴らして飲み込み、白布を見上げる。
その背に広がる空は重々しい雲を携えて、もうすっかり冬の様相となっている。
息が白く見える寸前の、澄んだ空気に頬を刺されながら、天童は殊更ゆったりと口を開いた。
「名前とバレーは同じなの?」
「……どういう、意味ですか」
「名前がそう言ってたよ。『だから安心してたのに』ってね。要はどっちも罪滅ぼしってことじゃない?」
そこでようやく、天童と白布の視線がかち合った。
眉間にはくっきりと3本の縦皺が刻まれ、見るからに不満げなその顔は、ある意味で天童を安心させた。
白布にとってのバレーは償いではなく、ただ好きだから続けてきたものなのだと、確信を持てた。
ところがそうなると、瞑目し難い疑問がわく。
「何で名前に言ってやらないの?バレーは自分の意思で続けてるってこと。それを知れば名前も賢二郎も、こんな身動きが取れないような状態にならなくて済んだのに。これじゃ、まるで」
「まるで俺が名前をわざと自分に縛り付けてるように見えますよね」
僅かばかり感情的になった天童の言葉を引き継ぎ、白布は淡々と言い放った。
顔には苦笑が浮かんでいる。
白布が自覚していたことに呆れて物も言えない天童を余所に他人事のように続きを口にする。
「自分でもなんとなくは分かってたんです。ただ、名前がそんな勘違いをしてるとは知りませんでした。そこまで思いつめてたとも。…全部、俺の所為ですね」
何よりも優先すべき、大切な存在が自分と同じくらい、否、もしかしたら自分以上に苦しんでいたのだという事実。
それを頭の隅で何となく分かっていながら放置していた自分の新たな罪。
それを認めなければ、白布はきっと前に進むことができないだろう。
「本音を言えば、名前が俺から離れていくのが怖かったんです。悔やんだところで俺があいつの母親を死なせた事実は変わらない。でも、そうやってずっと立ち止まったままでいれば名前はずっと俺の傍にいるだろうと、一度も考えなかったと言ったら嘘になります。俺は、自分の罪を利用したんです」
「傍に居るって決めたのは、名前の意思だよ」
「そうさせたのは俺です」
「…賢二郎もさ、いい加減気づいてるんでしょ?名前が、お前をどう思っているかなんて」
「……。」
「好きだから。だからずっと一緒に居たんだよ」
「…それくらい、天童さんに言われなくてもわかってます」
「なら受け入れるか拒否するか、はっきりしなよ。このままじゃ、名前だって可哀想だ」
「…受け入れるなんて無理です。そんなの、許される訳がない」
僅かに顔を上げた白布の視線の先には、墓石の前に腰を下ろした名前の後姿がある。
白布は、頑なに態度を変えようとしない。
そんな様に天童は吐き捨てるように言った。
──気持ち悪い、と。
「『The Gift of the Magi』って知ってる?」
切り出したのは、愚かな男女の話。
「賢者の贈り物」という邦題のついたそれは、互いを思って互いの大事な物を手放し、ちぐはぐな贈り物をしてしまうという話だ。
時計を質に入れて簪を手に入れた男。
髪を売って鎖を手に入れた女。
彼らは自分の一番大切にしていた物を犠牲にしてまで、愛する者を喜ばせようとした「思いやりの心」を互いに受け取ったのだという。
成る程、何とも尊い考えだ。
しかしながら、くだらない結末だ。
天童にはこの男女は、相手を思っている自分に酔った気持ち悪い2人組にしか映らなかった。
これ見よがしに、私は貴方のためになら何でもできるのよとアピールしているような気さえする。
思いやりの心を受け取ったなど、馬鹿らしくて仕方がない。
元より贈り物とは相手を思ってするものだ。
思いやりの心など、須く贈り物には入っている。
とはいえ、この話の主題はクリスチャンらしい隣人愛で、拝金主義や物質至上主義への異議なのだから、その点を突いてしまうと話として成り立たなくなってしまう。
それは分かっている。
分かってはいるが、現実にそんな頓珍漢なことをしている2人が居たら囁いてやりたくなるではないか。
どうせ大事な物を手放すなら、豪華なディナーを食べて一晩中語り明かして、共有できる思い出を互いへの贈り物とすればいい、と。
簪も鎖も、2人には必要ない。
だから時計も髪も、差し出す必要はない。
本当に要るのは、今までの全部を放り投げてでも新しい物を手にする勇気だ。
これまでのことを昇華し、改めて相手と向き合える篤実さだ。
「もしもそれが本心なんだったら、もう名前に構わないでやってくれない?賢二郎自身、手に入らない相手のことをずっと思ってるのも辛いだろうし、名前にもお前以外の人に目を向けさせる隙を与えてやらないと」
「……。」
「名前がいつかお前じゃない別の誰かのものになることに耐えられるなら、だけどね」
天童の言葉を聞き終えると、白布は前髪に手をやり、ついと目を細めた。
それは心内に動揺が広がっている時に見せる、白布の癖だ。
結論を急がせた自覚はある。
だがしかし、これ以上の猶予は毒にも薬にもならない。
今一度の停滞では、名前が向こう見ずな行動をした意味が無くなる。
「どうする?」
容赦なく責付く。
すると白布はだらりと手を下ろし、やんわりと拳を作った。
殴られでもするのだろうかと天童が他人事のように見つめていると、白布は今まで見た中で一番素直な笑みを浮かべ、名前の元へと走って行った。
言葉は無かった。
ただ笑みを浮かべて一礼しただけ。
けれど十二分に伝わった。
「ほーんと、手が掛かるなぁ」
ため息まじりに呟き、墓地に背を向ける。
またしてもお供え物から拝借したコアラのマーチが手の中でシャカシャカと音を立てる。
それに耳を傾け、天童は名前の泣き声には聞こえない振りをした。
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