「エンドライン側から見たいんだけど、駄目かしら」

影山と日向の速攻に目を奪われ、盛り上がっていた観戦組は、第2セット前に名前が降りてきたことに気づかなかった。
てっきり帰ると言われると思った縁下は、かえって拍子抜けしてしまった。
バレーの試合に制限時間が無いことを伝え忘れていたが、瑣末な心配事だったらしい。
息をついたのも束の間、名前の申し出に頭を抱えた。
試合の邪魔になるからと告げても、そこを曲げて頼むと言われてしまえば、マネージャーになってほしいと悪戦苦闘している身では断れない。
菅原経由で澤村に許可を取った結果、縁下は壁として名前の横に立つこととなった。
ワンバウンドした豪球を弾くたび、ドッジボールをしている気になったが、名前の視線はコートから離れない。
影山のトスに合わせて動く両手から、名前が移動した理由を知る。
一挙手一投足を逃すまいとする眼光の鋭さにネットの向こう側で澤村が顔を引き攣らせたが、試合が佳境に入る頃にはその戸惑いも見えなくなっていた。

「鳥の巣頭の君さ」
「──は、はひっ!」
「まだ、とべる?」
「へ!?」

勝敗がつき、その場に倒れ込んだ日向におもむろに近づいたかと思えば、脈絡のない問いかけをする。
あんぐりと口を開けて呆ける様に、どうなのかと畳みかける名前を制そうにも、日向が頷きで返したことでタイミングを失った。
コートで荒い息を繰り返していた他の1年を追い出すと、転がっていたボールを拾い、感触を確かめるかのように数回、垂直に上げてから縁下を呼びつけた。
何とか止めさせようと縁下は口を開いたが、名前にボールを渡され、投げてと言い捨てられるに終わった。

「縁下がボールを投げたら走ってきて」
「はい!」
「で、飛び上がったら目を瞑らず、前だけ見て振り抜く。OK?」
「え…、でもおれ、それだとボールに目が行って……」
「何を言ってるの?コートで1番存在感のあるのはボールなんだから、目が行くのは当然でしょう?」

くだらないこと言わないで、とピシャリとはねつけられた日向は慌ててスタート位置へと移動した。
名前もまた、セッターの位置へと移動し、すっかり自分待ちの状態になったのに困り果てた縁下は、縋るようにコート外を見たが、誰も彼もが興味津々な様子だった。
一度だけという条件で主将のゴーサインが出たことで、縁下も腹をくくったのか、軽い動作で名前へとボールを投げた。
すうっと柔らかな軌道で吸い込まれるように名前の手へと落ちた時には、日向はもう踏み切っていた。
大きく振りかぶった日向の手のひらにボールが触れる。
パァンと破裂せんばかりの音が響き、放たれたそれがネットの向こう側に落ちるその瞬間に至るまで。
エンドラインから共に見ていた縁下には、名前に影山の姿がぴったりと重なって見えた。

「…なんか、今の……」
「ごめんね、鳥の巣頭くん。ちょっと爪伸びすぎてたみたい」
「あ、いえ、こちらこそトス上げてくれてありがとうござ……ぎゃっ!血!血出てます!!」
「爪割れただけだから平気」
「平気じゃないですよ!!」

響めいていた周囲も、日向の右往左往に正気を取り戻す。
清水が救急箱片手に駆け寄ると、名前は軽く頭を下げた後、すんなりと右手を差し出した。
利き手なのに怪我をしたのは、日向との速攻がレフトからのものが殆どで、影山の右手の型をよく見ることができなかったからだろう。
ぼんやりとそう分析していた縁下は、ぐいぐいと乱暴な手つきで田中によってコートから引っ張り出された。
魔女裁判宜しく2、3年に囲まれ、嫌でも目が泳ぐ。
名前の所には、いつの間にか影山が寄っていたが、上手く話しかけられず、ひどい仏頂面で佇んでいた。

「縁下…、話半分に聞いててごめんな」

目の前に立つ菅原が申し訳なさそうに言う。
自分でも真実味の感じられない内容だと分かっていたので、ゆるりと首を振って苦笑いで流す。

「今見てもらった通り、灰崎は天才です。その天才が3年間、続けてきたマネージャーとしての能力が戦力にならないわけがない」
「それは分かった。でも、やる気のない人間を部に誘うのには賛成できない」
「大丈夫です」

にべもない澤村の言い回しも、縁下には予測できていた。
だからこそ、余裕を持って返すことができた。

「灰崎はチームに飢えてる。だから、大丈夫です」

治療を終えた名前が清水たちと共に近づいてくる。
勝手をしたことを詫び、木下にジャージを返した名前の心情は上手く読み取れない。
感想を聞いても、無難なものしか返ってこない。
どう切り出そうか。
そう縁下があぐねる様が可笑しかったらしい。
名前はふ、と笑って囁いた。

「その顔は二度目ね」
「二度目?」
「夏休み明けにも同じ顔をしてた」

思い出される失態に、縁下から表情が抜け落ちる。
名前もまた、真顔で向き合う。

「夏に会った時、私、本当は多分、泣いてしまいたかったんだと思う」
「…うん」
「それくらい傷ついた。縁下は私の努力を分かってくれていると思ってたから」
「……うん、ごめん」
「今回のことも、同じくらい傷ついた。あの場に木下がいなかったら、弁当箱投げつけてた気がする」

唐突に巻き込まれた木下が声をあげる。
それでも名前と縁下の視線は互いから外れることはなかった。

「友達だと思ってた」
「友達だろ」
「『フヨ』としての私を求めた」
「…求めたよ」

ぐらりと瞳が揺れる。
真顔だと思っていたそれが、泣くのを我慢している顔なのだと気づいた。
名前にとって、縁下は有象無象の内ではない。
その証のように思えて、胸を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。

「私は万能じゃない。兄弟がやっているのを幼い時から見ていたバスケと違って、バレーとは関わりがない。私自身が真似て、熟せるようになったとしても、『フヨ』としての能力は使えない。期待には添えない。役には立てない」
「──それでもいいんだ」

捲し立てる名前を、右手を掴むことで黙らせる。
ふくふくとした小さな手も、たおやかな指先も、その内側は等しく硬かった。
豆を何度も潰すくらい、努力してきた人間の手だった。

「『フヨ』なんて、そんなものはただの付属品だ。俺は灰崎に、──灰崎だから、バレー部に入ってほしいんだよ」
「……考えさせて」
「分かった。送ろうか?」
「いい」
「そう。今日は付き合ってくれてありがとう」
「こちらこそ」

終始、縁下以外に口を挟ませることのなかった名前は、黙礼を残して足早に去って行く。
どっと疲れてしまった一同は、へたり込んだ縁下につられて膝をつく。
元気なのは握手がどうのと騒ぐ1年だけだった。


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