思い出語り


共に食事をする約束を取り付けてからの日々は、春の陽気の中、色づき始めた蕾を眺めているような気持ちで過ごしていた。
新しい環境での不慣れな執務も、より一層熱を持って取り組めたように思う。
合間に城下に出る時間を見つけては飯店をのぞいて歩いた。いちこの言う通り、あまり大っぴらに特定の下女を贔屓にしていては周囲から何を言われるか分からない。
昔馴染みであることは事実なので徹底的と言うほどひた隠すつもりもないが、彼女の立場も守る必要がある。
店の選別が終わったあとで改めて日時を取り決め、実際に連れ出したのは数日後の夕方。
気分良く仕事を終え、城下で落ち合った。

「お勤めお疲れ様でございます」

「ありがとうございます。いちこも一日忙しかったことでしょう」

「私たちの仕事なんか、陸遜様のものと比べたらどうと言うことはありませんよ」

「とんでもない。執務を快適に進められるのはいちこのような方々の存在ありきですから」

昔馴染みと大人になってから交わす会話と言うものは、こうも硬いものだろうか。
年月のせいか、身分の差せいか。どことなく壁を感じる。
しかしこうしてじっくり会話する機会を取り付けられた。昔と同じ状態にはなれなくても、少しでも近づけるように言葉を交わしたい。
大路地から路地二つ分裏手に進み、地味ながらも明るい雰囲気の飯店へ足を踏み入れた。
穏やかそうな中年の店主に誘導され、奥まった席に向かい合って座る。
普段城仕えの者が来ることはほとんどないらしく、下見の時に事情を説明すると驚かれたが、いつも以上に腕によりを
かけるとにこやかに応えてくれた。

「いちこの母君はお元気ですか」

「元気も元気です。実は盧江を出たのも、親戚伝いに城下で飯店を出すことになったからなんですよ。
ここから少し離れてはいますが、今も身内同士で力を合わせて切り盛りしています」

「そうでしたか。心配ないようで嬉しいです。
いちこは城下に越してすぐに城に入ったのですか?」

「いえ、最初は飯店にいたんです。板に客の呼び込み文句を書いて飾っていたら、それが城の方に気に入られたようで。
客商売が出来て文字の読み書きも出来る若い女となると、良い下女になりそうだとか何とか。
これも陸遜様のおかげで得られたご縁だと思って、とても感謝しているんですよ」

そう言って、彼女は少しはにかんだように笑う。心がくすぐられるような、恥ずかしくも嬉しい言葉だ。
盧江を出た後、大変な思いをしていないか心配だったが、それも杞憂だったようでほっとする。
下女としての仕事も順調なようだった。

しばらくこちらでの生活の話を聞いていると料理や酒が運ばれてくる。
彼女曰く、この辺りで出される料理と比べるとやはり随分丁寧に作られていたようで、城に仕えている者だと分かった時とそうでない時の対応の差に驚きつつも笑っていた。

「陸遜様は私が先に盧江を出た後も、きっとしっかり勉学に励んでいらしたのでしょう。
本当に、日々お見かけする姿はご立派ですから」

「いえ、まだまだ未熟者そのものです」

いちこは心から私のことを讃えているのだろうが、そこにはやはり壁を感じた。
これこそ身分の差と言うのだろうか。
そしていくら幼かったとは言え、彼女が盧江を去った後に起きた陸家の崩壊を逃げることでしかまぬがれることが出来なかったのは、今でも無力を噛み締める他ない。
国政への挑戦と陸家の復興は本当に今始まったばかりで、今でもなお自身の力の無さはひしひしと感じている。

「…勉学に励む、の一言でまとめらないほどの様々な努力をなさったのですよね、きっと」

一瞬物思いに浸って手元の箸の先に視線を落とした直後、いちこはそう呟く。
はっとして彼女に視線を戻すと、困ったように笑っていた。
彼女は、あの頃もこうして私の機微を察知していたのだろう。寂しい記憶の蓋を少し開けたそばで、心がぎゅっと熱くなる。
簡単に悟られてしまった恥ずかしさをごまかすように笑うと、彼女はそれすらにも呼応するかのようにひょいひょいとつまみを口に入れ込み、酒をあおった。私よりは酒が得意なようだ。

いちこが盧江を去った後のことを語ると、彼女は全て真剣な面持ちで聞いていた。
袁術の指示により、孫策殿に陸家を攻め立てられたこと。世話になった叔父の子と共に逃げたものの、叔父は帰らぬ人になったこと。年少のうちに家政を担うことになったこと。
彼女は時々涙を浮かべてくれていた。
乱世においては大きな一族も足元をすくわれたら終わり。どこにいても、どんな人間も多かれ少なかれ惨劇の渦中にいるのだと思い知らされる。
全て話し終わったあとで、こうして幼き日の思い出の人と再会を喜んで言葉を交わせる奇跡に感謝した。

「…こうして昔を語れる方がいるだけで、本当に嬉しくなるのです。それがあなただと言うことが、さらに心強い。
こんなに近くにいるなんて、夢みたいです」

そう言うと、彼女は目線を少し泳がせて笑っていた。
少し大袈裟すぎたかもしれない。思わず私も目が泳いでしまう。あまり飲んでいないが、酒のせいか顔が熱い気がする。
苦し紛れに料理に手をのばしつつ、ちらりといちこを見やると片手で首元をさすっては落ち着かない様子だった。

「…私も、夢みたいだと思っているのですよ。嬉しくて」

少し目をそらしてそう応える。
幼き頃と、下女としてとはまた別の一面を見たようで、心の臓がうずく感覚がした。
言葉に詰まりそうな何とも言えない刺激的な感覚を振り切るように、思いついた話題を振る。

「湿っぽくなってしまいましたね、すみません。
…そう言えば、あの頃はよくその辺の生き物を捕まえて来ることがよくありました。今もその腕は健在なのですか?」

「ま、まさか…あの頃はやんちゃ盛りでしたので、今はさすがに」

「そうですか、少し残念ですね」

「…えっと、今度母の店にいらしてください。裏手に犬、猫、鶏がいますので…」

罰の悪そうな顔をして答える彼女を見て、思わず噴き出した。
大人びた見た目、恥じらいを覚えたその姿、城仕えする立場にふさわしい振る舞いから、彼女はどこか遠い存在になったような気がしていた。
立場の違いが壁を生んでいることは事実だが、大人しさとやんちゃさが混在しているところは変わりなかったようだ。

「ふふ、ぜひ行かせてください」

「わ、笑わないでくださいよ…」

「まさか、城内にも動物を引き入れていませんよね?」

「するわけありません!」

少し意地悪を言うと下女としての仮面が崩れて、年相応な一面が見えた。これも酒のせいだろうか。
敬語は忘れずとも、口を尖らせて反論するいちこはあの頃を思わせるようだった。灯りに照らされる血色の良い頬が可愛らしいとさえ思ってしまう。
そんなこんな、最初は堅苦しい雰囲気の中合流したものの、食事が終わる頃には柔らかな空気に包まれていた。
こんな穏やかな気持ちになったのはいつぶりだろうか。
退店し大通りに出ると、行き交う人の数が減っている。すべての市民がそれぞれの家にまっすぐ帰る時間だ。
先に城に戻るよう彼女に促す。

「本日は本当にありがとうございました。私のような身分のものが、こうして時間や話題を共有できるなんて身に余る…」

「お礼を言いたいのはこちらの方です。ありがとうございます。
…これからも、仲良くしてください」

別れ際に初めの上官に対する下女としての態度に戻った彼女を見て、私の口から零れたその言葉は切実な願いだった。
命果てるその時まで、私はこの国のために身も心も砕くつもりでいる。その過程で、立場が今より離れていくこともあるだろう。
それでも、変わらず唯一無二の幼馴染でいて欲しいと思った。

いちこは一瞬はっとしたような表情をしたものの、私が早く城へ戻るよう再び促すと頭を下げ、そそくさと駆けて行った。物陰から無事城門を抜けて行く様子を見届ける。
この夜得られた安堵感と、また沢山会話ができそうな口実を見つけられた高揚感でふわふわしたような気分だ。いや、酒のせいだろうか。
夜の城下を歩いて酔いを覚ましながら、共に外出していたことが知られないよう時間を置いてから城内に戻った。



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