道すがらの変化


「貴方は何か勘違いしていそうですね」

集落を出てひと月ほど。漢中付近で道草を食いながらの道中にて。
大きめの集落にある唯一の飯店で昼食後、自分の荷の整理をしていると背後から法正様がそうおっしゃった。
え、と思わず声が出る。

「その様子からすると、俺から世話を受けたことに報いるつもりで試行錯誤しているのでしょうが」

言葉に詰まる。が、無言でも表情によく出ていたのだろう。法正様は私を見て口角を上げた。まあ、図星だ。
辛い風邪を乗り切れて良かった良かったと思ったのも束の間、兵士二人がいながら法正様に直接看病していただいたことは胸に引っかかっていた。
平時であれば執務や戦働きで恩を返すなどといったことが出来るが、女を捨てたも同然の身分になって久しい私にとっては、遊び歩いているこの状況でどんな報い方が出来るのか見当がつかない。
水に濡れたと言えば即座に布を差し出し、野営すると言えば以前より張り切って準備してみたり。日常の些細なことで点を稼ごうとしていた。
それが不自然だったのだろう。私は仕事以外ではそこまできびきびしている質ではない。

「まあ、好きにすると良いでしょう」

「ぐぬ…」

軽くあしらわれている。分かりきっていたことではあるが、確かにやっていたことは些細すぎた。
甘えたことを言えば、気持ちだけでも受け取って欲しいといったところ。
いや、好きにしろということは受け取ってはくれているのだろうか。

「荷を整えるならさっさと済ませてください。日が高いうちにもう少し進みます」

「はあい…」

今の今まで道草を食ってきたのに、今更さっさとなんて言われて不貞腐れそうだ。
手の平で転がされているというか、遊ばれているというか。
しかしそれで楽しいと思ってくださっているなら良いか、とも思わなくもないが。
袋の口を紐でぎゅっと縛り、馬に括り付ける。休憩を終えて旅路に戻った。



それからまた、いくつかの山と谷と集落を越えた頃。洮陽を少し過ぎたあたりに到着した。
あたりの木々は紅葉が進み、色あせて散り始めた葉も多く見られる。日中はともかく、夕方以降は道中で買い増した上着が活躍する季節になった。
山に沿って田園と集落が点在する。街とは言い難いが、それなりに物流が存在しているようだ。

「これからさらに西へ進みます。言葉が通じない人間もいるかと」

「えっ…異民族ってことですか?」

「氐族の集落が九つ存在する地域の中に目的地があります。彼らから宿を借りることが出来なければ、この季節の高山の中で野宿です。
なのでここで装備を整えようという話です」

向かう先らしい山を見ると、頂が綺麗な白色に染まっている。雪だ。
つまりそれほど冷え込む場所ということ。
この旅で最も険しい道になることは容易に想像できた。不安と期待が入り混じる。
いつの間にか未知未踏の世界に踏み込む魅力に取り付かれているようだった。

「二手に分かれて物資を調達します。店の数はさほど多くないのでそう時間はかからないでしょう。
夕暮れまでにはここに戻ることにして、自由に探索でもしてください」

そう言ってここ近辺で唯一の宿の前で兵士二人と別れた。一歩分下がって法正様について歩く。
しばらく無言であたりを見て回った。二人になるのは風邪を引いた時以来かもしれない。

「貴方もこの旅に抵抗がなくなったようですね」

「そう思いますか?」

「ええ。
先程の表情は筆舌に尽くし難いものでした。怖気付いたような、しかし好奇心に満ち溢れたような。見ているこちらがぞくぞくしましたよ。
以前は半ば義務感を噛み締めているようでしたから」

ぞわりとしてしまった。このお方、随分と分析しておいでだ。それに言い方。他に言い方があるだろう、と思った。
少し返答に詰まり、明日以降向かうであろう方角に目をやって間をごまかす。

「これだけ難易度のある道を行くのです。それに見合った絶景があると思えば、多少は期待しますよ」

心を見抜かれたことが何だか恥ずかしくて、少しばかりつんけんした態度を取ってしまった。
山あり谷ありの道中は楽なことではない。風邪も辛かった。でも絶景は本当に素晴らしいものだし、連れてきた兵士二人も和やかで忠実で良い人柄だ。
法正様も、まあ、その。それはそれは悪党なのだろうが、私には優しい気がする。多分。
初めこそは嫌々だったが、この生活も当たり前のものになりつつあり、法正様に対してもそこそこの、まあまあな。いや、かなりの信頼は置いている。きっと。
上官に対して無礼なこんな態度、以前の私なら…やってたかもしれないが、こんな冷静さを欠いた棘のある物言いはしなかったと思う。
顔の向きはますます法正様から離れて、完全に山の方に向き合ってしまう。何となく法正様を見るのが嫌だった。
ふ、と息が抜けるように小さく笑ったのが聞こえる。次の瞬間、つう、と顔の輪郭がなぞられた。
短く、言葉にならない声をあげて法正様を見る。極悪の満足げな顔がそこにはあった。

「それでこそ、貴方を連れてここまで来た甲斐があります。この俺が選んだ旅路を、どうぞ最後まで楽しんでください」

私の横に垂らした髪を一房、軽く指に絡ませながら触れていった。意味ありげな発言と行動に呆けて立ちすくむ。
法正様が十数歩ほど先を歩いたところで我に返り、無言で追いかけた。
胸のあたりがざわざわする。頭には何も浮かんで来ず、それから買い物が済むまでうまく会話ができなかった。

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