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「…で、それから?」

「それだけ」

「え、その後はどうなったの?」

「家に帰っちゃった」

「えぇ!?嘘でしょ!」


食堂で昨夜のことを話すと、友達は信じられないという顔をした。私はカレーを崩して口にしながら、これからどうしたらいいんだろうと思い悩む。何が正解なのか分からない。
あの後、雑渡さんは私から離れていき、家に帰っていった。「ごめん、少し頭を冷やしたい」と言って。


「どうしたらいいと思う?」

「どうしたらって…彼、なまえのことが好きなんでしょ?」

「…多分」

「じゃあ、付き合えばいいじゃない」

「うん…」


多分、雑渡さんは本当に私のことを好きでいてくれているんだと思う。それは昨日、痛いほど伝わった。多分、文次郎のことを誤解して、それであんなに怒ったということも時間が経った今なら分かる。だけど、雑渡さんが思い留まってくれていなければ私は雑渡さんに昨日無理矢理抱かれていた。それも、あんなにもつらそうな顔をした雑渡さんに。
雑渡さんは口では冷たいことを言っていたけど、その顔はずっとつらそうだった。寂しそうな、苦しそうな、悲しそうな顔。そして、光を無くしたかのような冷たい目。
雑渡さんなら今までたくさん恋をしてきているはずだ。なのに、昨日の雑渡さんは余裕がないように見えた。いつも余裕そうで、飄々としていて、私を翻弄し、のんびりと穏やかな声で話していたのに、昨日はそうではなかった。恋愛に疎い私でも分かる。昨日の雑渡さんはおかしかった、と。


「彼、慣れてないんじゃないの?」

「恋愛にってこと?」

「そう」

「えー…まさかぁ。だって、雑渡さんは大人だよ?」

「大人だからって恋愛経験豊富とは限らないでしょ」

「…でも、女の人には慣れてそうだよ?」

「今まではみんな遊びだったんじゃないの?」

「そうかなぁ…」


雑渡さんと出掛けていて、いつも思うことがある。余裕そうだな、と。私はいつもドキドキしていて、余裕なんて全然ない。雑渡さんはこういうことに慣れているんだな、とか、大人だから経験豊富なんだろうな、と勝手に思っていた。だけど、本当は雑渡さんもドキドキしてくれていたのかな。私みたく緊張していたのかな。そうは見えなかったけどなぁ。
それと、もう一つ気になったことがある。雑渡さんは自己評価が低い。自分は誰にも理解されないし、誰にも愛されないと思っている節がある。言葉の端々から伝わってくる。


「それは何でなんだと思う?」

「さぁ?」

「凄い人なんだけどなぁ…」

「確かにスペックは最高よね。高身長で、顔もいいんでしょ?おまけに、タソガレドキ社に勤めているってことは高学歴なのは間違いないし、高収入なのは言うまでもない、と」

「…まぁ、そうだね」

「本当、なまえが羨ましい。私なら遊びでもいいから、そういう人とお近付きになりたいわ。紹介して欲しいくらい」


いいないいな、と友達は言ったけど、雑渡さんの魅力はそんなところではない。笑顔で私の話を聞いてくれたり、私の作ったご飯を本当に美味しそうに食べてくれる。仕事熱心で、きっと努力家。私は雑渡さんと過ごす時間が本当に好きだった。穏やかで、楽しくて、ずっと一緒にいたいと思った。
友達の言うように雑渡さんには遊びでもいいからと近付いてくる人ばかりだったのだろうか。だから、誰からも愛されないと思っているのだろうか。雑渡さんは自分のことをあまり教えてくれない。正直、分かりにくい人だと思う。だけど、一緒にいると分かることがたくさんある。なのに、誰も側にいてくれないから、誰からも理解されないと思っているのだろうか。雑渡さんはたくさん傷付いて生きてきたのかもしれない。もうこれ以上は傷付きたくなくて、一歩を踏み出すことが出来ないのだろうか。今の私のように。
だったら仕方がない。私が覚悟を決めるしかない。
雑渡さんが帰宅した頃を見計らってチャイムを押した。着替えている最中だったのか、雑渡さんはジャケットを脱いだ姿で出てきてくれた。私がまさか尋ねてくるとは思っていなかったようで、私の顔を見て雑渡さんはとても驚いていた。


「…なに」

「ご飯の時間ですよ」

「は?」

「雑渡さんが毎日作ってと言ったんですよ?」

「いや、言ったけど…」

「どうぞ。出来てますから来て下さい」


私がそう言うと、雑渡さんと大人しく着いてきた。促されるがままに座った雑渡さんはまだ困惑している様子だった。自分を落ち着かせようとしているのだろうか、ゆっくりと深い息を吐いている。多分、凄く緊張しているんだ…と思う。
テーブルにロールキャベツと小松菜のおひたし、南瓜の煮付けとトマトのマリネ、じゃが芋のお味噌汁とご飯を並べる。流石に雑渡さんは動揺した声を出した。


「凄いラインナップだね」

「雑渡さん、野菜嫌いでしょ?」

「…別に」

「分かりやすい嘘を言いますね」

「成る程。これは手の込んだ嫌がらせを…」


雑渡さんが野菜を嫌いなことくらい、大分前から分かっていた。コンビニのお弁当やレストランで出てきた野菜を避けて食べていたから。だけど今日は、今日からは食べてもらう。
雑渡さんは意を決したようにロールキャベツに口にした。


「えっ。美味しい…嘘でしょ!?」

「何が嘘なんですか」

「野菜がこんなに美味しいはずはない」

「それは野菜に失礼です」


いいから早く食べて下さいと促すと、雑渡さんはどの野菜も初めは恐る恐る口にしていた。だけど、表情と食べるスピードを見ていたら分かる。美味しいって思ってくれている。
よかった。たくさん調べた甲斐があった。野菜が嫌いな雑渡さんにどうにか野菜を食べてもらえるよう、たくさん料理の本を借りて研究してよかった。ちゃんとバランスよくご飯を食べて貰えるようにこれからもたくさん料理について勉強しよう。雑渡さんが倒れたりしないよう、せめて食事面では私が支えてあげよう。そう思った。


「なまえ、本当に店出せるよ」

「出すなと言っていませんでしたっけ?」

「いや、言ったけど…」

「ねぇ、雑渡さん。お願いがあるんです」

「…なに」

「もう誕生日は過ぎましたが、今度のお休みの日に美味しいケーキを食べに連れていって下さい。で、来年は当日に顔を見せて下さい。直接、おめでとうって言いに来て下さい」

「えっ、あぁ…」

「それと。私が大学を卒業したら花束を下さい」

「卒業したら?随分と先だね」

「はい。なので、ちゃんとその時まで一緒にいて下さい」


私がそう言うと、雑渡さんは驚いた顔をした。何て私に返事をしたらいいのか悩んでいるように見える。
こうして雑渡さんを冷静に見ていたら、案外分かりやすい人なのかもしれないと思った。私が勝手に雑渡さんを大人だと決め付けて、雑渡さんのイメージを作り上げていた。凄く失礼なことをしてしまった。雑渡さんは雑渡さんなのに。


「私のこと、許してくれるの…?」

「いいえ。許しませんよ。私、本当に傷付いたんですから」

「…だよね」


雑渡さんは重い溜め息を吐いた。今日は随分と大人しい。昨日はあんなに怒っていたのに。頭を冷やしたいと言って帰っていったけど、本当に頭を冷やしたんだろう。そして、凄く反省して、凄く後悔しているんだろう。そう思うと随分と年上の大人の男の人なのに可愛いなぁと思った。
私がくすくすと笑うと、雑渡さんは怪訝そうな顔をした。そして私が微笑むと、雑渡さんは目を逸らした。溜め息を吐く顔がほんのりと赤く染まっている。知らなかった、雑渡さんって案外可愛い人だったんだ。そんなことを思うと余計に可笑しくて、また笑ってしまった。


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