10
おかしな話だ。いつも、あんなに煩いくらいに騒いでいたなまえが静かだなんて。
相変わらず笑っているが、穏やかな顔だった。こんな顔は初めて見た。頬に触れると、いつもよりも体温が随分と低くて、でもまだ身体は温かかった。
どうして、こんなことになったのだろうか。私はまだお前に何も伝えていない。散々、私に付きまとっていたくせに、答えを聞く前にお前は逝ってしまうのか。
好きだった。本当はなまえが忍術学園を卒業する前からずっとずっと好きだった。私がずっと言えなかった、ただ一言の言葉。いつか伝えようと思っていたのだ。それがまさかこんな別れ方をすることになるとは思ってもみなかった。
「照星、そこまでだ」
銃口を首に当てられたが、そんなことは最早どうでもよかった。殺ろしてやる。私の命に代えても、この男だけは絶対殺さねばなるまい。なまえの敵なのだから。
向こうが引き金を引くよりも素早く、私はなまえの使っていた火縄銃を構えた。
「死ぬのはお前だ」
「くくく。大事な女が死んで、やる気になったか」
「貴様だけは、貴様だけは絶対に許さん!」
静かな森に火縄銃の音が鳴り響いた。私の撃った弾は相手の胸に当たり、相手の撃った弾は私の首筋をかすめていった。恐らくは、向こうは即死だったことだろう。私は…。
「なまえに触れる時間くらいはありそうだ…」
そっと頬に触れると、既に冷たくなっていた。この滑らかな肌に触れたいと何度となく願ってきたが、ようやく触れられた。冷たい唇に己の唇を重ねる。膝をつくことさえ敵わなくなってきた私はなまえの横に寝転んだ。あぁ、私はこの場で死ぬ。
悔いがないとは言わない。だが、なまえと過ごした時間はかけがえのないものだ。この子に会えてよかった。想いを伝えられなかったことだけがただ悔やまれる。
視界が霞んできて、最期になまえの笑った顔が見たいと思ったが目を開けていることができなくなってきた。あぁ、眠い。
遠くの方で義昌殿の声が聞こえたのを最期に、私は薄暗い無の世界へ旅立った。いつか魂が浄化された時には私は生まれ変われるのだろうか。今とは違う世界、違う時代に生まれ変わるのだろうか。
もしも、それが叶うのならば、その時はまたなまえの側がいい。また出会いたい。その時は、今度こそ、必ずやなまえを護ろう。今度こそ、必ずやなまえに好きだと伝えよう。今度こそ、ずっとずっとなまえの側に…
*****
弁護士とは、表向きは華やかだろうが、実際はそうでもない。結局は、人と人の醜い争い事に巻き込まれているだけだ。誰かを護りたいと思って就いた仕事だったが、何が正しいのかもよく分からなくなってきた。そもそも、護りたいと願っている誰かが誰のことかも分からない。
電車に乗って手帳を開く。向こう一ヶ月先までギッシリ予定が詰まっている。思わず溜め息を吐いて、手帳を鞄にしまう。戻ったらやらねばならないことが山のようにある。今日は帰れるだろうか。
ふと、高校生が不快そうな顔をしているのが目に留まる。あぁ、また痴漢か…。
法にひれ伏した男は、あっけなく去っていった。高校生の方はというと、何故か私をまじまじと見詰めて私の名を呼ぶ。高校生に知り合いなどいない。だが、何故だろう。初めて会ったのに懐かしい。挙動や言動の一つ一つが特徴的で、思わず笑みが溢れる。あぁ、そういえば久しぶりに笑ったな。
この子は穢れのない世界で生きているのだろうな。この子は汚れてほしくない。
「また何か困ったことがあったらここに連絡しろ」
「…弁護士なの?」
「あぁ。また会おう」
名刺を渡して電車から降りる。何故だろうか、もっと彼女と関わりたいなんて。もしかしたら彼女と前世で会っていたのかもしれん、なんて自分らしからぬ夢見がちなことを考えながら私は事務所へと戻った。
北風が冷たく肌に刺さる。あぁ、もう冬か。なのに、心は何故かとても暖かい。
「照星さん」
空耳だろうか。疲れているからか、鈴の鳴るような声が風に乗って聞こえた。
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