19
突然だった。何年も会っていない叔母が訪ねてきて、私は一円ももらっていないからこの家をよこせと言ってきたのは。
首を横に振った次の日、学校から帰ると家は既に私のものではなくなっていた。中には教科書も服もあったのに。位牌もアルバムもあったのに。こうして私は全てを失った。
一日目は友達に泊めてもらった。二日目は漫画喫茶で過ごした。三日目からは、もう生きる気力を失って外で過ごした。照星さんに助けてと言いたかった。携帯を握り締めて何度も思い悩んでいるうちに、電池が切れて使えなくなったけど。
お金も家もいらない。だけど、これで両親が遺してくれたものはなくなってしまったと思うと、悲しくて寂しくて堪らなかった。
歩道橋から見る町は、懐かしい。幼い頃にお母さんとよく散歩に出掛けていた。もう、いっそのこと消えてしまおうかと思っていると照星さんの声が聞こえた。振り向くと、何故だか息を切らせた照星さんがいた。
「そして、今に至ります」
「成る程」
「それより、照星さん。今日はお休みなんですか?」
「いや、サボりだ」
「え」
「どのみち辞めるしな」
「え!え、えーー!!」
「そんなことより…」
「そんなことじゃない!お仕事辞める、ダメ絶対!」
「辞めないと私はなまえから法的に財産を奪う手助けをすることになるんだぞ?」
「え…」
「そんな仕事を受けるような事務所には愛想が尽きていたから、いい機会だ」
あっけらかんと言ってのける照星さんが清々しいほど落ち着いていた。何で?別に仕事を失ってまで私を助けてくれなくても…
あぁ、だから。だから照星さんに言いたくなかった。この人は優しいから全身で助けようとしてくれる。
「私は大丈夫ですから!」
「そういうのは今はいい」
「だって…」
「これを見ろ。向こうは裁判に持ち込む気らしい」
「…これは私が見せてもらってもいい書類ですか?」
「普通は駄目だな」
「…照星さんが壊れた!」
「そういうのもいいから早く見ろ。対策をたてるぞ」
「えぇー…」
この人、本当に照星さんなの?真面目で堅くて仕事熱心な人だったのに急に…
恐る恐る差し出された書類に目を通すと、どうやら生前、両親は叔母にお金を借りていたらしい。その担保があの家だと。ふーん。
「じゃあ、仕方ないんじゃないでしょうか」
「借用書も遺言書もないから作り話の可能性がある。仮に事実だとしても法的には何ら効力はない」
「これ、財産放棄とかできないんですか?」
「できるが…いいのか?」
「裁判なんてしたくないんです。別に、何かもう…」
「あれは両親がなまえの為に遺してくれた家だろう」
「やー…でも、もうこういうのは嫌なんで」
両親が死んで、こういうことが何度かあって疲れたから揉めるのはもう嫌だ。別にお金なんて必要ない。私は私なりに生きていく。
「でも、大学は辞めなきゃいけないだろうなぁ…」
「金まで渡す気か」
「だって、家に…」
「…既に盗られている可能性が高いな。とはいえ、訴えれば盗難で逮捕だぞ?」
「出所してからもしつこそうですし。縁が切れるなら私はもう何も要りません」
「そうか…」
「どこかで働かなきゃ」
「奨学金をもらうとか」
「私の頭で、ですか?」
「勉強なら見てやろう」
「何で、そんな…」
それ以上は言葉を続けられなかった。どうして照星さんはこんなにも優しいの?
ぐしぐしと泣く私を照星さんは優しく抱き締めてくれた。そして照星さんは更にとんでもないことを言ってきた。
「一緒に住むか」
「は!?」
「この家は社宅だから、辞めたら出なければならん」
「はぁ、えっ、いやいやいや…え、ぅえぇぇ!?」
「落ち着け」
「だって!いいいいい一緒に住むって…」
「嫌か?」
「いーえー!とんでもございません!」
「そうか。新しい家は私が探しておこう」
「はぁ、って!照星さん、本気なんですか?」
「本気だが?」
またもや、あっけらかんと言ってのける照星さん。この人は照星さんの皮を被った別人なんじゃないか?と思うほどだ。
パニックになっている私にとどめを刺すようなことを照星さんはした。おもむろに電話をかけ、辞めると言ったのだ。
「だぁぁー!」
「これで、落ち着いた」
「落ち着きませんよ!」
「あぁ、そうだな。退去前に部屋の掃除をしないと」
「ちがーう!」
「…?あぁ、そうだな。忘れるところだった」
悪い、と言って照星さんはまた電話を取り出した。よかった、退職の取り消しか、と思って安心していたけど、相手は叔母だった。
「財産を放棄するそうだ。だから貴様はなまえに二度と関わるな。以上」
以上じゃねぇぇ!ぎゃー!照星さんが遂に壊れた!おかしくなっちゃった!
「し、照星さん…?」
「よし、飯にするか」
「はぁ、そういえば何だかお腹が空い…って違う!」
「次の家が決まるまでは狭いが、好きに使え。私はソファで寝るから」
「あれ、これ夢?夢なの?え、何これ。何これ!」
「さて。飯に行くぞ」
サクサクと話が進み過ぎて私の頭が追い付いたのは、それから二日後だった。
結局、裁判は起こさない。財産は放棄。そして、学校は来年から奨学生になる。 照星さんはあっさりと次の事務所を見付けてきたし、私は短期のバイトをした。
照星さんは本当にベッドを譲ってくれたし、私の分もご飯の面倒を見てくれた。申し訳ない気持ちで、照星さんに毎日のように謝っていると、笑えと言われた。ヘラりと笑うと、照星さんは少し安心したように私の頭を優しく撫でてくれた。
お父さん、お母さん。私は彼が好き。彼になら全てをさらけ出せる気がするの。だから、もう毎日位牌に手を合わせることも思い出の品を眺めることもできないけど、怒らないでね。私は生きるから。二人の分まで、私は頑張って生きるよ。優しくて、大好きな照星さんと一緒に。
[*前] | [次#]
小説一覧 | 3103へもどる