18


「よし、今月の分は終わり」

「お疲れ様でした」


パチパチと手を叩くなまえの頭を撫でる。長い一週間が終わったというのに、いつもよりも体調がいいのは間違いなくなまえのおかげだ。食事一つでこうも体調が左右されるとは思わなかった。寝不足で怠いには怠いけど、なまえがずっと側にいてくれたから心のバランスも良い。
抱き寄せてキスすると、なまえは可愛らしい声を出した。酷い子だ、まだ抱く用意が整っていないというのに。


「約束通り、明日はカフェに行こうか」

「雑渡さん、大丈夫なんですか?」

「うん。お陰様で元気。助かった」

「私は何もしていませんよ?というか、何も出来ません」

「そんなことはない。なまえがいなかったら今月はヤバかった。ちょっと大型の施設と契約したから」

「お疲れ様です。じゃあ、私は帰りますね」

「うん。ありがとう」


玄関まで見送りに行く。離れ難くて思わず引き止めたくなってしまう。どうしてこんなに近くにいるのに、毎日こうして会っているのに家は違うんだろう。一緒に住めば、こんな寂しい思いをしなくてもいいのに。
なまえと一緒に暮らしたいと考えるようになってもうどのくらい経ったか。なまえの家を出て一人になるといつも考えていたけど、なまえが家から出ていって一人家に残される方がずっと寂しさを感じた。静かな空間にいると、さっきまでの楽しさは都合のいい夢だったのではないかと思うほどに。


「雑渡さん?」

「…ねぇ、一緒に住まない?」

「えっ」

「だって、なまえも自分の家で調理して持ってくるのは大変でしょ?うちに住んで、ここで作ればいいじゃない」

「大変じゃないですよ」

「それに、こうして隣に住んでいるのにいつも会えないし」

「毎日会っているじゃないですか」

「…私と住むのは嫌?」


なまえをどう説得してもあまり良い返答を貰えそうな雰囲気ではなく、私と一緒に住むことは微塵も考えられなさそうななまえを見ていて不安になる。好きなのは結局、自分だけなのかな、と。少なくとも、離れて生活することに寂しさを感じているのは私だけのようで、悲しくなる。
私が落ち込んでいることを察してか、なまえは焦り始めた。


「ほ、ほら…急な話ですし…」

「私はもうずっと前から考えていたけど」

「それに私、まだ学生ですし…」

「学生だって同棲くらいするでしょ」

「そうかもしれませんけど…でも…」

「でも、何?」

「…言っても怒りませんか?」

「待って。私が不快になるような話なの?」


どうかな…となまえは言った。私が不快になるような話。つまりは男絡みの話ということか。待って、聞いてない。
私の不穏な空気を察知したのだろう。なまえは怯んだ。


「ち、違いますよ?浮気とかじゃないですよ?」

「いいから話しなさい」

「その、たまーに家に男の子を呼ぶことがあるというか…」

「はぁ!?」

「も、もちろん二人きりとかではないですよ?学校の課題とかでたまに家に男の子が来るんです。雑渡さんの家に住んだら、流石に申し訳なくてそれは出来なくなるというか…」

「ふ、ふふふ…」

「…あの、雑渡さん?」

「そう。お前は相変わらず誰かれ構わず男に媚を売り、好かれようとしているわけ。凄いね、全く変わっていない」

「な…こ、媚なんて売ってません!」

「どうだか。どうせ、男を知らないというのも嘘なんじゃないの。そんな嘘で私の気を引こうとするなんて、大概だね」


頭に血が昇って、思ってもいない言葉がどんどん出てくる。止まらない。我ながらよくここまで人を不快にさせることが思いつくものだと感心する。
私はいつも頭に血が昇ると大概こうなる。当然、相手の逆鱗に触れるわけだが、どうせ力でも私の方が勝る。相手に勝ち目など初めからない。ただ、それはいつもの場合で、今回はそうもいかなかった。相手がなまえだったから。好きな子だったから。
なまえはボロボロと大粒の涙を流した。そこでハッとする。


「ひ、酷い…私のこと、そんな風に…」

「…っ、その…」

「雑渡さんの馬鹿!もう知らない!」


なまえはそう吐き捨てて出て行った。
やってしまった。どんなに言い合いになろうとも絶対にこんなこと言わないつもりだったのに。先月の過ちをまた繰り返してしまった。先月どころか、昔から私はこうだ。好きな子を傷付けて泣かせてばかりいた。失って後悔して、それをちゃんと事細かに覚えていたのに、また泣かせてしまった。
気分が悪くて、そのまま寝た。自分を責め、後悔し、どう謝ろうか考えながら布団に入ってまどろむ。
その日、私は夢を見た。夢というには随分とリアルな夢。それもそのはず、昔経験した夢だった。嫉妬してなまえを監禁し、泣こうが喚こうが犯し、そして失い、激しい後悔に苛まれる夢。息が詰まりそうなほど自分は泣いて悔やんだ。なのに、どうして死にそうななまえの前でも強がっているのだろう。どうして謝れないのだろう。いや、それは私も同じだ。なまえを泣かせてしまった。私も同罪だ。
重く、つらい過去の思い出は色褪せることなくこうして私の心を蝕んでいく。救いの手を差し伸べて欲しくて愛しい子の名前を呼ぼうとしてやめた。あまりにも自分に都合がよすぎる。だけど、助けて。お願い、私を一人にしないで。
泣いているのは今の私なのか、それとも過去の私なのか。もうそれすらも分からず、闇にのまれていった。


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